天気予報でも言っていたけど、黄砂の影響かな?
「あす 西日本の広範囲で黄砂飛来か 交通の影響にも注意を」(NHK 3月4日)ツグミが枯葉の下にいる朝ごはん(虫)を探しているようでした。
今日は「啓蟄」で雨は降っていませんが
啓蟄の雨(けいちつのあめ)
「啓蟄」に降る雨。
「啓蟄」は、二十四節気のひとつで3月6日ごろを指し、土の中に冬眠していたカエルやもろもろの虫たちが穴から出てくる。
春の訪れを小さな動物までが喜んでいるのだ。
このころから一雨ごろに春らしくなっていく。
(『雨のことば辞典』倉嶋厚・原田稔編著 講談社学術文庫 2014年)
地蟲出づふさぎの蟲に後れつつ 相生垣瓜人(あいおいがきかじん)啓蟄の雨(けいちつのあめ)
「啓蟄」に降る雨。
「啓蟄」は、二十四節気のひとつで3月6日ごろを指し、土の中に冬眠していたカエルやもろもろの虫たちが穴から出てくる。
春の訪れを小さな動物までが喜んでいるのだ。
このころから一雨ごろに春らしくなっていく。
(『雨のことば辞典』倉嶋厚・原田稔編著 講談社学術文庫 2014年)
土中にすむ虫を総称して地虫という。
虫は蟲(むし)の略体で、虫+虫+虫と多くの虫の意。
上田五千石には「啓蟄(けいちつ)に引く虫偏の字のゐるはゐるは」のユーモラスな句がある。
うようよいるというイメージだが、それら冬ごもりの虫が地上にはい出る節季を啓蟄という。
ところで掲出句の話題でもう一つは<ふさぎの蟲>だ。
ふさぎこんでいることを虫のせいにする表現で、気分がすぐれないことをいう。
世の中はさまざま煩雑(はんざつ)になりすぎて、社会の構造変化に伴うストレスの増大で<ふさぎの蟲>はいつなんどきでも這(は)い出てくる。
地蟲に先駆けてというより、無季の<ふさぎ蟲>が這いまわっている。
生前は瓜人仙境と親しまれた俳人の作。
1898~1985 兵庫県高砂生まれ。百合山羽公と二人で「海坂(うなさか)」主宰。
句集『微茫集』『明治草』など。
(『きょうの一句 名句・秀句365日』村上護 新潮文庫 平成17年) 春日いま人働かす明るさに 岡本 眸(ひとみ)
立春から一カ月もたつと陽光はすっかり春の明るさだが、まだ肌寒い。
光りの届くのは速いが、地上で熱が暖められるのは約40日も遅れる。
太陽暦の3月6日ころ、啓蟄を迎えると、冬ごもりの虫たちもようやく動きだす。
そんな<いま>である。
まだ本格的な春ではないが、人間もいよいよ始動しはじめる時期。
もちろん厳寒でも働くのが常である、春の明るい光と共に自発的な働く意欲がわいてきたという。
「自愛てふ怠けごころの霞(かすみ)かな」などの句もある。
1928~ 東京生まれ。「朝」創刊主宰。句集『朝』『母系』など。
(『きょうの一句 名句・秀句365日』村上護 新潮文庫 平成17年)中学生の頃、夢中になって読んでいたのが白土三平さんの『カムイ伝』です。
〝漫画家の白土三平さん死去 「忍者武芸帳」「カムイ伝」など描く〟(朝日新聞 2021年10月26日)
中学の社会のテストで『カムイ伝』で知った「庄屋」を回答欄に書くことができたのを今でも覚えている(^^)v
そして部落差別についても『カムイ伝』で初めて知った。
田中優子さんの『カムイ伝講義』を転記しますが、
小学館版は品切れになっていましたが、ちくま文庫版で復刊されています。おわりに
いまもカムイはどこかに潜んでいる
『カムイ伝』を読んでいるとさまざまなテーマが浮かぶ。
シーンの一つ一つの向こうに、江戸時代を生きていた現実の人々が生々しい肉体を持って現れ、息苦しくさえなってくる。
そのまなざしに見つめられると、「私はいったい何をしているのだろうか」「何のために生きているのだろうか」という思いにとらわれてしまう。
自分自身を含む現代日本人そのものが、この歴史の中でいかなる存在なのか、それも考え込むようになってしまう。
(『カムイ伝講義』田中優子 小学館 2008年) 白土三平がこの作品を創造した1960年代とは、狂気のような高度成長に向かってさまざまなものを捨て、壊し、経済成長のための社会体制を急速に作っていた時代だった。
私自身がそのありさまを見て育った。
日本人はこのとき何かを得たのであろうが、同時に多くのものを失ったのである。
私の江戸文化論はその「喪失感」に根がある。 一方『カムイ伝』は江戸時代の階級と格差を見つめる劇画であり、むしろ江戸時代を否定するものだ。
しかしそれは近現代社会を肯定したり謳歌するために創られたものでもなかった。
『カムイ伝』は江戸時代を舞台にしながら、その向こうに近現代の格差・階級社会を見ている。
百姓たちの努力の果てに、それを乗り越えた社会も見ている。
しかしその史観がユートピア的社会主義ではない証拠に、カムイは常に「いま」を否定して漂泊し続けているのだ。
『カムイ伝』の魅力はそこにある。
『カムイ外伝』で中心になるカムイが、『カムイ伝』では脇役であるかのように見える。
しかし『カムイ伝』を貫いているのは、やはりカムイの否定(現状否定、自己否定)と漂泊、韜晦(とうかい)であり、そこに批評が仕掛けられている。
60、70年代だったらそれを「アナーキズム」と呼んだであろう。
しかしそれはいかなる「イズム」でもない。
ましてや、白土三平はそこに、「個人の自由」などという甘い幻想を設定したりはしない。 カムイが持ち続けるのは自由ではなく批判である。
最底辺の人間が持つ批判のエネルギーそのものである。
それはカムイの変装のように、あらゆる人間の姿をとる。
どこに潜んでいるかわからない。
『カムイ伝』を読み終わった後、私たちの中に残るのは、「いまもカムイはどこかに潜んでいる」という感覚だ。「カムイの潜む現代社会」という視点でいまを眺めると、この社会は驚くほど変わっていない。
21世紀にもなって、ちゃんと階級もあり、格差もますます健在だ。
階級制度を捨てたかに見える日本には、まだ公式な階級制度が一つだけ残っている。
天皇制だ。
生れたときから自らの身分と職務が決まっており、それに従って教育され、それに従って結婚し、それに従って生きる。
武士はそこから逃れる道があった。
次男三男となればむろんだが、長男でさえ、家督の妹婿に譲ったり、果ては士分の株を売って逃げる生き方が残されていた。
しかし天皇制は逃げる道も無く、安全弁であった側室制度は、見せかけの「個人の尊重」と「男女平等」のもとに廃絶され、彼らは矛盾の檻(おり)の中に閉じ込められた。
私たちの憲法はその階級を公式に認めている。
それは彼らを人形(ひとがた)にすることで、私たち自身の戦争の贖罪(しょくざい)をするためではなかったか。
そう思うと、背筋が寒くなる。
私はその意味でも改憲派である。 格差はもっと大勢のふつうの人たちの中に偏在する。
『カムイ伝』が連載された当時の日本は、経済格差の中にあっても一億総中流をめざして働き、しかもそれがある程度達成されたのだから、70、80年代になると、『カムイ伝』を我がことのように感じられた人はたちまち減少したであろう。
しかしいまは違う。
中流幻想は遠のき、私たちの生活はいつどん底に陥るかわからない。
いったん貧しさに陥るとそれは固定化され、見えない階級のようになって貧しさを生む。
政治家は固定化され、見えない階級のようになって世襲がおこなわれる。
将軍に忠誠を誓う大名のように、アメリカに忠誠を誓う日本政府は、将軍とともに経済システムの悪循環の中に、すでに巻き込まれている。 しかし確かに、違いもある。
『カムイ伝』で苦境に追い詰められた下級武士は、子どもと妻を殺して自分も切腹したが、いまは苦境に追い詰められなくても、「個人の自由」のために我が子を殺したり親を殺したりする。
『カムイ伝』の社会のほとんどを占めるのは、自らの生産を自らの努力で増やすことのできる百姓であった。
自分で生活手段を持っているのだから、怒れば一揆を起こした。
しかし雇われ人であるサラリーマンやフリーターが人口のほとんどを占めるこの社会では、仕事を失うような行動を慎まなければ明日はない。
そもそも、分断されて管理される状態を「自由」と呼んでしまう私たちの社会で、怒りの結束は困難だ。
さらに言えば、かつての百姓はいまは農業従事者と呼ばれ、米を作るなと指導され、仕事場を縮小され、作った米は買いたたかれ、農業では生きられなくなっている。
私たちは、毎日食べるものがどこから来たのか、誰がどう作っているのか、ほとんど知らない。『カムイ伝』は時代を超えて、むしろいまのためにあるのではないか。
私たちは歴史の中で、いったい何者なのかと問い、何ができるのかと考え、カムイはいまどこに潜んでいるのか、と耳をすます。
カムイはこの世界をどう見ているか、どう考えているか、カムイなら、どこで何を仕掛けるだろうか、と、私は考えをめぐらしている。
(『カムイ伝講義』田中優子 小学館 2008年)
『カムイ伝講義』(ちくま文庫)