2022年3月18日金曜日

彼岸の入り

今朝は雨が降っていたので少しだけ歩いてきました。
大阪は、心配するような雨ではないけど…

地震被害の東北で雪や雨 風も強まる見込み 土砂災害など注意を」(NHK)

昨日、同じ道を通ったのに気がつかなかった…
ヤマザクラ(種類は…?)が咲いていました。

彼岸会は日本独自の行事ですが 
彼岸の頃になると思い出すのが

  母の詞(ことば)自から句になりて
 毎年よ彼岸の入に寒いのは

(『子規句集』高浜虚子選 岩波文庫 1941年)
 ひがん【彼岸】

 彼岸とは、春分の日と秋分の日のそれぞれを中日とした前後の七日間をいう。
この期間に法要を営む習わしは、日がまっすぐに西へ沈むので阿弥陀の所在をはっきり示し大往生を願うところからきている。
単に彼岸といえば俳句では春の彼岸で、秋の場合は秋彼岸という。
歌では次のように春彼岸・秋彼岸として歌われることが多い。
いずれの日も寒さを感じつつ便りを書き、また、雨を見ている。

  4B鉛筆に毛糸を巻きて書く文字の指たよりなき春彼岸雪  斎藤史

  秋彼岸すぎて今日ふるさむき雨直(すぐ)なる雨は芝生(しばふ)に沈む  佐藤佐太郎

 一方、<彼岸の夕日を負いて立てれば詩を書けば傍観者たる縁(ふち)踏みはずす  佐佐木幸綱>に使われているように単純に向う岸の意もある。 (田島邦彦)
(『岩波現代短歌辞典』岡井隆監修 岩波書店 1999年)
昨日のニュースでほぉーと思ったのが

自民大阪府議3人がIR議案反対で離団届提出」(関西NHK 3月17日)

大阪府・市が発信する情報は、
大阪市廃止の住民投票の時のように都合のいい情報ばかりを流す。
意に沿わない情報を提供すると曝しものにする。
大阪万博も当初の予算からどんどん膨らんでいる。
開催までにどれほど予算が膨らむことか…

大阪市、夢洲インフラ整備に272億円計上 22年度当初予算案」(毎日新聞 2月16日)

開催まで3年に迫った大阪・関西万博の綱渡り」(産経新聞 3月13日)
昨日の朝日新聞「天声人語」
鶴彬(つるあきら)の川柳が紹介されていました。
……
 手と足をもいだ丸太にしてかへし
……
 (しかばね)のゐないニュース映画で勇ましい
……
▼ロシアで多くの人が見ている夜9時のニュース番組。
その機会を捉え、身を賭して訴えようと彼女は考えたのだろう。
国営テレビの生放送中に掲げた紙には、短く強い言葉があった。
「戦争反対。プロパガンダを信じないで。ここではあなたにウソをついている」
▼テレビ局の職員である彼女は、警察に連行された。
禁固刑ではなく罰金刑が早々に決まったのは、当局のあせりを示しているのか。
あるいは重い罰がこれから待っているのか。
▼プーチン政権のウソがあまりにひどいと分るのは、私たちが外にいるからだ。
もしもあの国の中にいて「我が軍は解放勢力」「砲撃はウクライナ軍のしわざだ」などの話にさらされ続けたら、どうだろう。
だからこそ官製情報のほろこびには大きな意味がある。
……
 暁を抱いて闇にゐる蕾(つぼみ)
……
 (2022年3月17日)

国営テレビで反戦訴えた女性「愛国者としてロシアにとどまる」〟(NHK)

鶴彬の川柳は青空文庫で読むことができます。

鶴彬ってどんな人?」(鶴彬を顕彰する会)

大阪城に句碑があります(2016年4月16日の記事
 あとがき

 1930年代日本の軍事と外交を専門とするわたくしは、これまで明治憲法体制や大正デモクラシー体制の解体をなりわいとしてきました。
そのような人間が、明治維新期から太平洋戦争までの時期を対象として、為政者や国民が世界情勢と日本の関係をどのようにとらえ、どのような道筋で戦争を受けとめていったのか、その論理の変遷をおってみようとの、疲労困憊すること必定のテーマを設定したのには、わけがありました。
(『戦争の日本近現代史』加藤陽子 講談社現代新書 2002年)
 1994年、現代新書への執筆を、当時、講談社のPR雑誌『本』編集長であった堀越雅晴氏から勧められたとき、わたくしの念頭にあったのは、山口定(やすし)氏の言葉でした。
それは、「二度と戦争を起こさない」という誓いが何回繰り返されても、今後起こりうる悲劇の想定に際して、起こりうる戦争の形態変化を考えに入れた問題の解明がなくては、その誓いは実行されないのではないか、といった内容でした(『戦争責任・戦後責任』)。
  戦争責任について容易に論ずれば、「誠実を装つた感傷主義か、鈍感な愚かしさか、それとも威張りちらした居直りか」になってしまうと喝破したのは丸谷才一氏でしたが(『雁のたより』朝日文庫 1986年)、この山口氏の静かなる提言は、たしかにわたくしの心に届きました。
感傷主義でもなく、居直りでもなく、戦争や戦争責任を論ずることができるのではないか、と。
 日本の近現代史をながめてみただけでも、新しく起こされる戦争というのは、以前の戦争の地点からは、まったく予想もつかない論法で正当化され、合理化されてきたことがわかります。
そして、個々の戦争を検討すると、社会を構成する人々の認識が、がらりと変わる瞬間がたしかにあり、また、その深いところでの変化が、現在からすればいかに荒唐無稽にみえようとも、やはりそれは一種の論理や観念を媒介としてなされたものであったことは争えないのです。
 わたくしのやったことは、いくつかの戦争を分析することで、戦争に踏み出す瞬間を支える論理がどのようなものであったのかについて、事例を少し増やしただけなのかもしれません。
歴史は、一回性を特徴としますから、いくら事例を積み重ねても、次に起こりうる戦争の形態がこうだと予測することはできないのです。
ただ、こうした方法で過去を考え抜いておくことは、現在のあれこれの事象が、「いつか来た道」に当てはまるかどうかで未来の危険度をはかろうとする硬直的な態度よりは、はるかに現実的だといえるでしょう。
…後略…
(『戦争の日本近現代史』加藤陽子 講談社現代新書 2002年)

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今朝の父の一枚です(^^)v
園芸品種は種類が多いので???
アカコシミノかな?「紅色系 唐子咲き

戦争映画を見るのを嫌がっていた母が唯一好きだった映画「ひまわり」

52年前に公開されたけど
「戦争とは何か」 ウクライナ侵攻で再注目の映画「ひまわり」〟(NHK)
母に見せてあげたくてDVDを購入しました。
検索すると50周年HDレストア版で上映されているようです。