連休最後の日とあって駐車場がいっぱいになっていた。
照明用かな? 強化ガラス?で蓋をしているのだけど 草が生えていて上にのびることができずにギュウギュウになっていた… ウクライナの人びとは、避難することができずに閉じ込められ、命の危機に瀕している。 今朝のNHKニュース おはよう日本で マリーナ・オフシャンニコワさんがアメリカABCのインタビューに答えて 「これはプーチンの戦争であって、ロシア国民の戦争ではない。 非常に暗く困難なときだが、すべての人が声をあげなければいけない。」 |
「キエフの姉妹都市 京都市で平和願いウクライナの国歌合唱」(京都NHK 3月20日)
合唱を企画した声楽家の山本昌代さんは
「きょう、歌うことでみんなで祈りをささげたいと思いました。
音楽がパンや水にはならなくても、なにか心を励ますぬくもりになるかなと思いました」
と話していました。
合唱を企画した声楽家の山本昌代さんは
「きょう、歌うことでみんなで祈りをささげたいと思いました。
音楽がパンや水にはならなくても、なにか心を励ますぬくもりになるかなと思いました」
と話していました。
忽那賢志さんのTwitterに
4回目のワクチン接種の有効性についてイスラエルから報告が出てきています。
残念ながら劇的な効果というものではなく、ワクチン政策は大きな岐路に立たされそうです。
「くつ王、ついに反ワクになったか…闇落ち乙」と思われるかもしれませんがそういうわけではありませんよ。
「4回目のワクチン接種の効果によって明らかになってきた、既存の新型コロナワクチンの有効性の限界」(3月20日)
都合の悪い情報も提供する。4回目のワクチン接種の有効性についてイスラエルから報告が出てきています。
残念ながら劇的な効果というものではなく、ワクチン政策は大きな岐路に立たされそうです。
「くつ王、ついに反ワクになったか…闇落ち乙」と思われるかもしれませんがそういうわけではありませんよ。
「4回目のワクチン接種の効果によって明らかになってきた、既存の新型コロナワクチンの有効性の限界」(3月20日)
一方、都合の悪いニュースは、国民の目から隠すのが
「無言で帰国するロシア兵の葬儀 2週間更新されない公式死者数」(BBCNEWS 3月19日)
政府の公式発表と異なる数字を報道すれば、ロシアでは刑事罰を受ける。
春分
……
西洋の暦では春の始まり、東洋の暦では春の真ん中。
……
春分と秋分を中日とする仏教の彼岸の由来には諸説があるが、この日は太陽が真西に沈むから弥陀(みだ)の在所の方向が正しくわかるというのが通説になっている。
キリスト教でも春分は重要な日である。
それはキリスト教最大の祭りといわれる復活祭が、春分以後の初めての満月の次の日曜日ときめられているためである。
(正確にいえば、復活祭の計算には、春分を3月21日に固定する)
現在の暦の1月1日も暦法上では冬至正月の伝統によるものだが、実際には紀元325年のコンスタンチヌス大帝の二ケア会議で春分を3月21日に決めたため、1月1日は、冬至の約10日後にきたのである。
復活祭(イースター)は年によって日付が異なる移動祭日である。
……
(倉嶋厚)
(『四季の博物誌』荒垣秀雄編 朝日文庫 1988年)
春 はる
春という語は、草木の芽が「張る」、田畑の開墾の「墾(は)る」、気候の「晴る」などを語源とするという説がある。
古典歌人たちの歌にはそのような語源説をたくみに消化したといっていいような歌がある。
その一例。
霞たち木(こ)の芽(め)も春の雪ふれば花なき里(さと)も花ぞちりける 紀貫之
(『岩波現代短歌辞典』岡井隆監修 岩波書店 1999年)
この歌は<春>に「(木の芽が)張る」をかける技巧によって、一首の意味をふくらませている。
<花なき里も花ぞちりける>も、雪が木々に降りかかって、白い桜花が咲いたように見えるという見立てを詠んだもので、一首全体、明るくめでたい気分が基調をなしている。
それを技巧の面で支えているのが、「春」の季節は「張る」の季節でもあるという懸け詞にほかならない。 春は生命力が盛んに活動する季節であり、「春情」の語が、単に春の思いという原意から進んで、人間の色欲、情欲を意味するようになったのも、春という季節の明らかな一特徴である。
にはとこの新芽を嗅げば青くさし実(じつ)にしみじみにはとこ臭し 木下利玄 中国の思想五行(ごぎょう)説は古来日本人にも深い影響を与えてきたが、木・火・土・金・水という万物組成の五元素のうち、木にあたる季節である春は、方位でいえば東、色彩でいえば青にあたる。
まさに春は同時に青春を意味した。
利玄(りげん)の歌がニワトコの芽の青くささを強調しているのも、春という季節の膨張する生命力を詠む場合、青くさい匂いというのが、ここでは一番端的な表現であることを、歌人として敏感に感じとったからにほかならない。 このように人間の情念や情欲の発動に深く関わりを持つ季節であるがゆえに、短歌で春を詠んだ歌にも、上気したような、水分過多の外界におのずと感応して、みずみずしい、けれどもどこかおぼろに霞んでいるような情景をうたう歌が、他の季節にくらべて多くなるのも、ごく自然なことであった。
おぼろめく春の夜中を泡(あわ)立ちて生(うま)れくるもの数かぎりなし 前川佐美雄
背のびして唇(くち)づけ返す春の夜のこころはあはれみづみづとして 中城ふみ子 春という季節を代表的に示す気象は「春雨」である。
これは、初秋の代表的な気象が「秋風」であるのと好一対をなしている。
春雨も秋風も、日本列島にすむ動植物のすべてが、季節風(モンスーン)気候によって一様に生活を支配されているという事実を端的に示している気象であって、詩歌表現もこの条件を離れてはありえない。
一般に、夏は高温・多湿、冬は低温・少湿というのが季節風気候の特徴である。
その意味では、春雨も秋風も、まことにありふれた東アジア圏の気象現象の一つにほかならない。
ただ、日本列島では、さまざまな要因の組み合わせによって、気象条件は比較的に温和であり、恵まれた生活環境を生みだしているのが、いちじるしい特徴である。 そういう中で、微妙な季節の移り変りの代表的なものである「春雨」「秋風」が、古来和歌や俳諧の作者たちに、とりわけ多くの作品を作らせたのだった。
彼らは雨や風の一日ごとの微妙は変化に対して、敏感に反応した。
しかしこれは、単に美的な鑑賞のためだけではなかった。
春の雨も、秋の風も、人間の命を支える穀物や野菜、果実類の、生長期・完熟期ときわめて密接に関わる自然の力であるという点で、詩歌人の関心を惹かずにはおかなかったのである。
(つづく)
(『岩波現代短歌辞典』岡井隆監修 岩波書店 1999年)今朝の父の一枚です(^^)v
コサギの冠羽(かんう)が写っています。
コサギ 小鷺
サギ科 全長約61cm
全身白いサギの中ではいちばん小さく、もっともふつに見られる。
くちばしは1年中黒く、足指は黄色い。
夏羽では後頭からひものような2本の冠羽が出ていて、背の飾り羽の先はカールしている。
本州、四国、九州で繁殖し、留鳥であるが、冬、暖地へ移動するものもある。
宮城県伊豆沼では冬もたくさん残っている。
水田、ハス田、川岸、河口や海岸の干潟、浅い湖沼等にいて、浅い水の中で片足を前に出してふるわせ、石や水草のかげから魚やザリガニを追い出して捕らえる。
ゆっくりしたはばたきで、くびをちぢめ、足を後ろへ伸して直線的に飛び、降りる前には滑空をする。
群れが長距離を飛ぶ時には隊列を組み、夕方、ねぐらの林へ向かう時にはダイサギやチュウサギと混群で隊列を組むこともある。
竹林、雑木林、杉林等に他のサギといっしょに集団で繁殖する。
ゴアーゴアーと鼻声で鳴いて争う。
(『自然観察シリーズ[20]<生態編>バードウォッチング』 高野伸二 小学館 昭和58年)