2022年3月15日火曜日

なまあたたかい風

昨夜も雨が降ったようで梅の花がほとんど散ってしまった…
風もなまあたたかくてウィンドブレーカーを脱いでも汗をかきそうでした。
朝のニュースを見ていて衝撃的だったのは
生放送中に「戦争反対」のプラカード ロシア国営テレビで〟(BBC)

逮捕されることを覚悟で事前に

ロシア国営テレビ 職員が「反戦」訴え 事前投稿のSNS全文も〟(NHK)

政権に反対するとどのような処罰が待っているかは
ドキュランドへようこそ「プーチン政権と闘う女性たち」で描かれています。
3月17日木曜日午前2時21分から再放送がありますし
BS世界のドキュメンタリーでは、3月21日月曜日午後11時から放送されます。
日本の国会では
首相、ロシアとの経済協力費「修正は考えていない」……〟(読売新聞 3月14日)

一方、
英住宅相、ロシア財閥の差し押さえ不動産をウクライナ避難民支援に活用の可能性示す」(BBC 3月14日)
この違いはどこから生れてくるのでしょうか?
人道支援も入っているというのなら21億円をウクライナ支援に使えばいい。


素人考えでは、プーチンが大統領の間は北方領土は帰ってこない
安倍前首相が提案したのは2016年、返還交渉は進展したのか
プーチン大統領にネギ背負って会いに行っただけだというのは言い過ぎになるのだろうか。

プーチン氏「露改正憲法、平和条約交渉妨げず」 4島返還を否定〟(産経新聞 2021年6月5日)

政府 北方領土「ロシアが不法占拠」鮮明 平和条約交渉は困難に〟(NHK 3月9日)
 岩波書店のTwitterに

1928年の今日、三・一五事件発生。
小林多喜二は、この事件を題材にして特高警察の残虐を徹底的に曝露した作品を発表します。
岩波文庫版解説で、蔵原惟人さんは多喜二が「特高警察に虐殺されるにいたったことと無関係ではない」とします。


小林多喜二『一九二八・三・一五』
地下鉄のホームなどに避難しているウクライナの人々に奇跡が起こりますように

序章 大空襲の夜、地下鉄が走った
 被災地に響くレールの音


 原子爆弾が投下され、地上の生命が消えてしまった広島で起こった一つの奇跡だったかもしれない。
 爆風と熱線と放射能ですべてが破壊された死の街で、被爆からわずか3日後に走りはじめた路面電車。
 残留放射能が漂い、多数の遺体が横たわり、まだ残り火があちらこちらに見られるなか、線路上の瓦礫(がれき)を取り除き、架線(かせん)を張り直し、被害をまぬかれた車両を決死の思いで回送させた職員を忘れてはならない。
 絶望のどん底に突き落とされた被爆者が、路面電車の力強い響きにどれらけ励まされたことだろう。
(『命の救援電車 大阪大空襲の奇跡』坂夏樹 さくら舎 2021年)
 戦災とは少し異なるかもしれないが、阪神大震災で大きな被害を受けた神戸でも同じような光景があった。
 激震から1ヵ月後、JR線が神戸市中心部で運行をはじめた。
 倒壊した家屋の残骸(ざんがい)や、ブルーシートの屋根が果てしなくつづくなか、高架線に「ガタンゴトン」と響くレールの音と「ピー」と鳴り渡る電車の警笛(けいてき)……。
それらが、復旧作業に疲れ果てていた被災者をどれだけ励ましたことだろう。
 戦災にせよ、天災にせよ、大きは被害を受けた被災地を走る電車は不思議な力を持っているのかもしれない。
「大阪大空襲の夜(1945〔昭和20〕年3月14日未明)、地下鉄で救援電車が走って多くの命を救った」
 空襲体験が語られるたびに、夏が来るたびに、こんな話が大阪の街に流れた。
 焼夷弾による猛火に追われ、命からがら逃げ込んだ地下鉄駅。
 絶望する被災者が、次に聞いたものはホームに滑り込んでくる電車の警笛であり、次に見たものは希望につながる一条の光だったという。
 そんなことが本当に大空襲の夜にあったのだろうか。
 単なる「空襲伝説」だという人さえいた。
 NHKの朝の連続テレビ小説『ごちそうさん』で、謎の救援電車が取り上げられたのは2014年3月のことだ。
『ごちそうさん』は、戦前・戦中の大阪を舞台に、食いしん坊のヒロイン・西門(にしかど)め以子(いこ)の「食」を通じた奔放(ほんぽう)な人生がテーマだった。
 め以子の長女ふ久(く)が男児を出産したのは、1945年3月13日の夜。
時をおかずして、米軍機が来襲し大空襲がはじまった。
め以子とふ久は、生れたばかりの赤ん坊を抱えて、火の海の中を逃げ回った。
 いよいよ逃げ場がなくなったとき、満州に軍属として送られた夫・悠太郎(ゆうたろう)が書き残した手紙の一節を思い出した。
悠太郎は戦前、大阪市の技師として地下鉄建設をになっていた。
「空襲があれば地下鉄に逃げれば安全だ」
 め以子は、「規則だから入れることはできない」という駅員を説(と)き伏せて、地下鉄の出入り口のシャッターを開けさせた。
 なだれ込むようにホームに逃げ込んだところ、電車が入ってくるではないか。
 め以子とふ久、生れたばかりの赤ん坊は、電車に乗り込んで無事に避難することができた――。
 このシーンは放送後、大きな話題になったという。
「空襲の最中に本当に電車が走ったのか」
「単なるドラマの演出、フィクションではないのか」
 人気の朝ドラで流れたのを機に、大阪大空襲の夜に走った「謎の救援電車」はふたたび注目を集めることになった。
 『ごちそうさん』のシーンからさかのぼること17年前の1997年。
 途切れそうに糸をつなぎ、埋もれそうになっていた証言を少しずつ集めて、「謎の救援電車」に挑(いど)んだ二人の男がいた。
敗戦から半世紀以上が過ぎていた。
 大空襲の夜に、本当に奇跡は起こったのか。
 単なる「空襲伝説」のなかの幻(まぼろし)の電車だったのか。
 二人の軌跡(きせき)をたどりながら、「謎の救援電車」に迫ってみたい。
(『命の救援電車 大阪大空襲の奇跡』坂夏樹 さくら舎 2021年)

広島の路面電車 8月6日を乗り越えて」(NHK みちしる 2011年)

地下鉄100型105号車輌 1輌」(大阪市)
今朝の父の一枚です(^^)v
カワラヒワが朝ごはんを食べていました。
1961年公開の映画では、
グレーテルのかまど「“ティファニーで朝食を”のデニッシュ

(以下の文章は、広島大学名誉教授の新田玲子さんの解説とナレーションが混ざっています)

物語の舞台となったのは第2次世界大戦中のニューヨーク。
ホリーも きょうだいを戦争で亡くしていました。
そんなホリーを時折襲うのが「赤」という言葉で表現される不安定な心。
赤は戦いの赤。
戦争などによって自分が生きたいと思っている生活が
壊されてしまうのではないかとい恐怖があると思います。
何かが壊れ失われるのではないかという恐怖。
しかし 大切にしているものをあえて 手放すことで先へ進んでいくホリー。
原作では 最後まで諦めることなく新天地へと向かっていくのです。
失ってみて初めてわかる己のなかの限界。
普通の人だったら そこで 夢を追うことを諦めて 落ち着くし
映画の中では落ち着いてしまうんですけれども
原作のホリーっていうのは、それでもと言って旅立っていく
だからホリーがホリーであり
アメリカヒロインであり続ける。

名前の下に住所ではなく「旅行中」と書かれたホリーの名刺。
ただ歩み続けるという決意表明でした。
上を向いて旅を続ける。
デニッシュは そんな彼女の背中をそっと押してくれたのでしょうか。

(再放送は、3月16日と3月21日

ティファニーで朝食を』(新潮文庫)