2022年3月13日日曜日

アツイ アツイ…

今朝は、風がないので歩いていると暑くて汗をかきそうでした。
飛行機雲が消えずに残っているので
夜には雨が降り出しそうです。
カンヒザクラ、モモ、トサミズキなどが咲き出しました。

今朝の天声人語

 植物たちに、魔法がかけられた。
そんなふうに思えてしまうのが春という季節である。

東日本の雪国ほどでないにしてもいっぺんに花が咲き出すように気がします。
Eテレこころの時代~宗教・人生~シリーズ 私にとっての3・11「福島からの伝言」
早川篤雄さんの話にブログの編集作業をする手が何度も止まりました。

忘れようっていうより忘れさせられてんだよ」という言葉。
原発事故の後、精神障碍者など弱い立場の人々が追い詰められ亡くなりました。

安斎育郎さんと3年前 原発事故の教訓を伝える資料館伝言館をつくることを思い立ちました。

伝言館には、原発の誘致から2011年の事故に至るまで
地域がどのように原子力発電所と関わってきたのかをたどる資料が収められています。
資料のパンフレットには、東電のマスコットの名前が「ピカちゃん」と名づけられていたのだけど
「ピカドン」を連想するネーミングは、東電らしい無神経さだと思う。

境内で学ぶ原発事故の教訓 住職が私費で「伝言館」開設〟(朝日新聞 2021年3月18日)
国と東京電力、県が 一緒になってつくった開発ビジョンがあって。
(「双葉原子力地区の開発ビジョン」昭和43年3月)

そのビジョンの 第1章の第1番に原発の立地条件っていうのが書いてある。
現状における原子力発電の立地というものは
送電原価を含め 発電原価の許す範囲で近くに大都市がなく 産業水準が低く
人口密度の低いところであること。


原子力発電が安全ではないことを国も東京電力も承知していながら
安全だ、安全だと地区の人びとに言い続けていたのだ。
早川篤雄さんと一緒に裁判を闘い続けた吉田信さんがガンで亡くなる前に書いた詩
(聞き間違いがあると思います)

「薄明地帯からのメッセージ」 吉田 信

巨大原発施設に怒れる
バルカン<火山の神>の鉄槌が一撃を加える日

この華麗な花綵列島に
いかなる春が来るというのか

それは「明るい不死の春か」
  否「沈黙の春」すらない

それは たとえば核の冬に呑みこまれた
暗々たる
春には似てもつかぬものにちがいない

「重い歳月」

故郷の海岸線は原発の銀座になり
人々の素朴な暮らしのありようも
人々の眼付きも
心なしか変ってしまった十年だった

だが慣れない金策に駆けまわり
署名を集め 勉強会もする
この十年がなかったら
私たちの人生は やせ細ったものになっただろう

<真実>はいつも少数派だった 今の私たちのように
しかし 原発はいつの日か 必ず人間に牙をむく
この猛獣を曇りない視線で 看視するのが私たちだ
この怪物を絶えず否定するところに
  私たちの存在理由がある
 私たちがそれを怠れば
いつか孫たちが問うだろう
「あなたたちの世代は何をしたのですか」と
――原発公判 福島地裁判決の日に
   84年4月23日
地裁、高裁、最高裁へと上告するも棄却されます
裁判しか方法がないという手立てがない。
でも、弁護士に支払う交通費さえもないことを告げると

「裁判なんて『子孫へのメッセージ』だと思えばいいんだよ」って。
やっぱり声をあげて行動するしかないと。
もしそれをやんなかったら吉田さんの詩でないけども
やせ細った人生のまま終わることになるだろうと。


東京・上野から「非核の火」を福島・楢葉に移設〟(河北新報 2021年3月14日)
日本で合法的に反対運動をするために裁判に訴えますが
当時は、少数派で原発推進派から「アカ」だと攻撃されていたそうです。
その人たちが原発事故のあと、早川さんにあなたの言っていた通りだと謝りに来られたそうです。
これまで国が東電が国民を欺いてきたことを思うと、
汚染処理水の海洋投棄について国や東電の説明を信じることができません。

東日本大震災と福島第一原発事故11年 ~廃炉は 処理水は~」(NHK 3月11日)

再放送が3月20日(日)午前1:30からあります(高校野球が始まっている関係だと思います)。

2月に放送されたドキュランドへようこそ「プーチン政権と闘う女性たち」が
3月17日午前2時21分から放送されます。
女性たちは合法的に政権批判をしようとしますが、
批判を封じ込めようとあらゆる手をうつ政権側
このドキュメントを見ると、ロシアで戦争反対を訴えることがいかに勇気がいるのかがわかります。

今、ロシアでは国民はウクライナ侵攻の真実を知ることができずにいます。
父や母が経験した戦前・戦中の日本の状況と一緒です。
「ロシアにいる母は侵攻を信じない」、ポーランドへの避難民〟(ロイター 3月12日)
大阪市で戦争で犠牲になった動物について伝える特別展」(関西NHK)
1945年3月13日に大阪第一次大空襲が市民を襲いました。
大量に降る焼夷弾の火の豪雨の中を逃げ惑い焼け死んだりした人たちが大勢います。
そして今もロシア軍によってウクライナの人々が死の危険のなかにいます。
あらためて考える 平和の大切さ」(大阪市淀川区)

戦略爆撃の系譜
 米軍のビラのうそ


 1945年(昭和20)3月4日の正午過ぎ、アメリカ軍のB29一機が飛来して、大阪市北部の淀川沿岸地域に大量のビラを投下した。
このビラには、次のように書かれていた。

  工場、軍需施設、発電所、鉄道、停車場等に絶対近寄るな。人民を害するのが米国の目的ではない。
  併(しか)し日本軍閥を無力にするには軍需工場を皆破壊しなければならぬ。
  出来る丈(だけ)軍事施設のみを爆破する。
  併し地方の人も怪我(けが)をしないとはかぎらない。
  日本の軍閥が此の戦争を始めたと云う事を覚えて居て貰いたい。軍閥の始めた戦争の後始末を米国がする。
  念の為もう一度忠告す。軍事施設に近寄るな。
(『大阪にも空爆があった』小山仁示 ピースおおさか ブックレット 1991年)
 敵機がまいたビラを普通の市民が所持することなど、絶対に許されない時代である。
大阪府の警察当局が、全力をあげて、ビラの発見と収集に努めた。
その結果、回収されたのは8万2592枚にのぼり、各警察署で焼却された。
 このアメリカ軍のビラによると、爆撃は軍事施設を目標とすると予告されていて、市民に対しては「軍事施設に近寄るな」と警告が発せられていた。
「人民を害するのが米国の目的ではない」と記されていた。
 ところが、10日後、3月13日深夜から14日未明にかけての第一次大阪大空襲は予告とまったくちがっていた。
市街地への無差別爆撃であり、家屋を焼き払い、住民を殺傷するのが目的であった。
3月4日のアメリカ軍のビラは完全な虚偽であった。
 実は大阪へのビラ投下から三日後の3月7日午前7時(日本時間、以下同じ)、グアム島の第21爆撃機集団司令官ルメイ少将は、サイパン・テニアン・グアムのB29部隊に対して、10日未明の東京大空襲命令を発した。
これが、日本都市への本格的無差別爆撃の開始であった。
以後、12日未明に名古屋、13~14日に大阪、17日未明に神戸、19日未明に再び名古屋と、日本の大都市に対して300機規模のB29による激烈な夜間低空焼夷弾攻撃がおこなわれた。
 それからも、市街地を焼きつくす焦土作戦がくり返された。
6月15日の第四次大阪大空襲をもって、五大都市(東京、横浜、名古屋、大阪、神戸)への焼夷弾攻撃計画を完了したあと、B29部隊は中小都市に目標を転じた。
広島と長崎には原子爆弾が投下された。
空襲は終戦の日の8月15日未明まで続けられた。
 太平洋戦争が終わって、外地から帰国した復員の兵士たちが大阪駅に降りたったとき、あたり一面焼野原の彼方に難波の高島屋の建物が見えたという。
大阪のキタからミナミが完全に見通せたのである。
空襲で大阪市街地の主要部はみごとに焼きつくされ、繁華を誇った街は廃墟と化していた。
大阪だけではない。
東京も、横浜も、名古屋も、神戸も、そして広島、長崎も、さらに堺、和歌山、尼崎、西宮、芦屋、明石、姫路、岡山、徳島、高松、松山、今治、宇和島、高知、津、四日市、桑名、宇治山田、敦賀、福井、……。
日本の都市のほとんどが、無差別爆撃で焦土と化した。
 戦争である限り、軍事施設が攻撃されるのは致し方がない。
軍事施設を攻撃したつもりが、目標を外れて若干の市民が巻き添えをくっても致し方がない。
だからこそ、1945年3月4日に大阪にまかれたアメリカ軍のビラには、「工場、軍事施設、発電所、鉄道、停車場等に絶対近寄るな。人民を害するのが米国の目的ではない」と書かれていた。
 だが、事実はちがっていた。
太平洋戦争末期のアメリカ軍の本土空襲の大部分は、一般市民の住む市街地を目標にし、非戦闘員を殺傷し、家屋を焼いた。
市民を無差別に攻撃する残虐行為であった。
アメリカ軍は、日本の市民に対して、どうしてあのような残酷きわまる攻撃を加えたのであろうか。
(『大阪にも空爆があった』小山仁示 ピースおおさか ブックレット 1991年)
今朝の父の一枚です(^^)v
最近、シジュウカラのさえずりを聞きます♪

シジュウカラは鳴き声で会話する

 シジュウカラのオスは、春になると枝先などにとまって「ツツピーツツピー」とよく響く声でさえずり、求愛したり、ほかのオスに対してなわばりを主張します。
「ツピーツピー」「ピーツツピーツツ」などと、バリエーションが多いほどメスにモテます。
器用でかしこい=生き残る力があるオスということなのでしょう。
 繁殖のさえずりではない、ふだんの鳴き声を「地鳴き」といいます。
シジュウカラは地鳴きの種類も多く、なかま同士会話していることが知られています。
たとえば子育て中、天敵の警戒は重要です。
親鳥はハシブトガラスが近くにいると「チカチカ」という甲高い声を出し、アオダイショウがいたら「ジャージャー」と鳴きます。
ひなは「チカチカ」のときはからだを低くしてカラスをやりすごそうとし、「ジャージャー」のときにはいっせいに巣から飛び出します。
ヘビが来たら、とにもかくにも飛び出すほうが生き残れる確率は高まるのです。
…後略…
(『トリノトリビア 鳥類学者がこっそり教える 野鳥のひみつ』川上和人 マツダユカ他 西東社 2018年)