2021年12月9日木曜日

気温は低くても

公園に着いたときは、気温が4度でしたが、風が吹いていなかったので日向は暖かかったです。
サグラダ・ファミリア 「マリアの塔」完成〟(NHK)

1882年に着工し、ガウディの没後100年となる2026年の完成を目指しているそうです。
コロナ禍の今、人々の希望の星になってほしいです!
今朝のNHK NEWS おはよう日本(見逃し配信:12月16日)で
朝河貫一(あさかわかんいち)について報道していました。

日本人の特色は妥協の一事にある
個々人の道念と責任
民主は何よりもこれを必要とする

(1947年11月 村田勤宛書簡)

朝河貫一資料」(福島県立図書館)

そして鹿児島放送局では11月11日に放送されていた
鹿児島県曽於市で行われた芙蓉部隊の慰霊祭についても紹介されていました。
美濃部正(みのべただし)少佐のことも知りませんでした。

特攻拒否の芙蓉部隊慰霊祭  鹿児島、「教訓を後世に」〟(産経新聞 11月11日)
今朝のEテレ0655のオープニングに…

冬はやっぱりみかん。
ちなみに、食べるときに、袋や白い筋を捨てている人はいませんか?
その部分には、「
ヘスペリジン」という成分が含まれていて、高血圧を予防する効果があると言われているんですよ。

σ(*^^*)は子どもの時から袋ごと、白い筋も食べていました。
芥川龍之介の「蜜柑」を転記したいと思います。
実は、サービス停止で閉鎖になったブログで2015年に紹介したことがあります。
再度、転記していると感動が薄れるどころか…
 蜜 柑

 或(ある)曇った冬の日暮である。
私は横須賀発上り二等客車の隅に腰を下して、ぼんやり発車の笛を待っていた。
とうに電燈のついた客車の中には、珍らしく私の外に一人も乗客はいなかった。
外を覗くと、うす暗いプラットフォオムにも、今日は珍しく見送りの人影さえ跡を絶って、唯、檻に入れられた小犬が一匹、時々悲しそうに、吠え立てていた。
これらはその時の私の心もちと、不思議な位似つかわしい景色だった。
私の頭の中には云いようのない疲労と倦怠とが、まるで雪曇りの空のようなどんよりとした影を落としていた。
私は外套のポケットへじっと両手をつっこんだ儘(まま)、そこにはいっている夕刊を出して見ようと云う元気さえ起らなかった。
(『蜜柑・尾生の信 他十八篇』芥川龍之介 岩波文庫 2017年)
 が、やがて発車の笛が鳴った。
私はかすかな心の寛(くつろ)ぎを感じながら、後(うしろ)の窓枠へ頭をもたせて、眼の前の停車場がずるずると後ずさりを始めるのを待つともなく待ちかまえていた。
所がそれよりも先にけたたましい日和下駄(ひよりげた)の音が、改札口の方から聞こえ出したと思うと、間もなく車掌の何か云い罵る声と共に、私の乗っている二等室の戸ががらりと開いて、十三、四の小娘が一人、慌しく中へはいって来た。
と同時に一つずしりと揺れて、徐(おもむろ)に汽車は動き出した。
一本ずつ眼をくぎって行くプラットフォオムの柱、置き忘れたような運水車(うんすいしゃ)、それから車内の誰かに祝儀の礼を云っている赤帽――そう云うすべては、窓へ吹きつける煤煙の中に、未練がましく後(うしろ)へ倒れて行った。
私は漸(ようや)くほっとした心もちになって、巻煙草に火をつけながら、始めて懶(ものう)い睚(まぶた)をあげて、前の席に腰を下していた小娘の顔を一瞥した。
 それは油気のない髪をひっつめの銀杏返しに結って、横なでの痕のある皹(ひび)だらけの両頬を気持の悪い程赤く火照(ほて)らせた、如何(いか)にも田舎者らしい娘だった。
しかも垢じみた萌黄色(もえぎいろ)の毛糸の襟巻がだらりと垂れ下がった膝(ひざ)の上には、大きな風呂敷包みがあった。
そのまた包みを抱いた霜焼けの手の中には、三等の赤切符が大事そうにしっかり握られていた。
私はこの小娘の下品な顔だちを好まなかった。
それから彼女の服装が不潔なのもやはり不快だった。
最後にその二等と三等との区別さえ弁(わきま)えない愚鈍な心が腹立たしかった。
だから巻煙草に火をつけた私は、一つにはこの小娘の存在を忘れたいと云う心もちもあって、今度はポッケットの夕刊を漫然と膝の上へひろげて見た。
するとその時夕刊の紙面に落ちていた外光が、突然電燈の光に変って、刷の悪い何欄かの活字が意外な位鮮(あざやか)に私の眼の前へ浮んで来た。
云うまでもなく汽車は今、横須賀線に多い隧道(トンネル)の最初のそれへはいったのである。
 しかしその電燈の光に照らされた夕刊の紙面を見渡しても、やはり私の憂鬱を慰むべく、世間は余りに平凡な出来事ばかりで持ち切っていた。
講和問題、新婦新郎、瀆職(とくしょく)事件、死亡広告――私は隧道へはいった一瞬間、汽車の走っている方向が逆になったような錯覚を感じながら、それらの索漠(さくばく)とした記事から記事へ殆(ほとんど)機械的に眼を通した。
が、その間も勿論(もちろん)あの小娘が、恰(あたか)も卑俗な現実を人間にしたような面持(おもも)ちで、私の前に坐っている事を絶えず意識せずにはいられなかった。
この隧道の中の汽車と、この田舎者の小娘と、そうしてまたこの平凡な記事に埋っている夕刊と、――これが象徴でなくて何であろう。
不可解な、下等な、退屈な人生の象徴でなくて何であろう。
私は一切がくだらなくなって、読みかけた夕刊を抛(ほう)り出すと、また窓枠に頭を靠(もた)せながら、死んだように眼をつぶって、うつらうつらし始めた。
 それから幾分か過ぎた後であった。
ふと何かに脅かされたような心もちがして、思わずあたりを見まわすと、何時(いつ)の間にか例の小娘が、向う側から席を私の隣へ移して、頻(しきり)に窓を開けようとしている。
が、重い硝子戸(がらすど)は中々思うようにあがらないらしい。
あの皹(ひび)だらけの頬は愈(いよいよ)赤くなって、時々鼻洟(はな)をすすりこむ音が、小さな息の切れる声と一しょに、せわしなく耳へはいって来る。
これは勿論私にも、幾分ながら同情を惹くに足るものには相違なかった。
しかし汽車が今将(まさ)に隧道(トンネル)の口へさしかかろうとしている事は、暮色(ぼしょく)の中に枯草(かれくさ)ばかり明(あかる)い両側の山腹が、間近く窓側に迫って来たのでも、すぐに合点の行く事であった。
にも関らずこの小娘は、わざわざしめてある窓の戸を下そうとする、――その理由が私には呑みこめなかった。
 いや、それが私には、単にこの小娘の気まぐれだとしか考えられなかった。
だから私は腹の底に依然(いぜん)として険しい感情を蓄(たくわ)えながら、あの霜焼けの手が硝子戸を擡(もた)げようとして悪戦苦闘する容子(ようす)を、まるでそれが永久に成功しない事でも祈るような冷酷な眼で眺めていた。
すると間もなく凄(すさま)じい音をはためかせて、汽車が隧道へなだれこむと同時に、小娘の開けようとした硝子戸は、とうとうばたりと下へ落ちた。
そうしてその四角な穴の中から、煤(すす)を溶(とか)したようなどす黒い空気が、俄(にわか)に息苦しい煙になって、濛々(もうもう)と車内へ漲(みなぎ)り出した。
元来咽喉を害していた私は、手巾(ハンケチ)を顔に当てる暇さえなく、この煙を満面に浴びせられたおかげで、殆息もつけない程咳(せ)きこまなければならなかった。
が、小娘は私に頓着する気色(けしき)も見えず、窓から外へ首をのばして、闇を吹く銀杏返しの鬢(びん)の毛を戦(そよ)がせながら、じっと汽車の進む方向を見やっている。
その姿を煤煙と電燈の光との中に眺めた時、もう窓の外が見る見る明くなって、そこから土の匂や枯草の匂や水の匂が冷(ひやや)かに流れこんで来なかったら、漸(ようやく)咳きやんだ私は、この見知らない小娘を頭ごなしに叱りつけてでも、また元の通り窓の戸をしめさせたのに相違なかったのである。
(『蜜柑・尾生の信 他十八篇』芥川龍之介 岩波文庫 2017年)

つづく…