青空が見えているのに雨が降り出した。
おかげで虹が出ました♪CHAPTER 2 空 22
虹は半円でなく、本当は丸い
雨上がりの空にかかる虹の架け橋――。
まるで魔法のように美しい風景を見せてくれる虹ですが、「本当は丸い」ことを知っていますか?
そもそも虹は、赤から紫までの色が並んだ円弧状(えんこじょう)の光の帯で、太陽と反対側の空で雨が降っているときに見られます。
レインボー(雨の弓)とも呼ばれるように、雨のつぶのなかで光が曲げられて(屈折)、あの虹色が生まれます。
出会いやすいのは、内側が紫で外側が赤い主虹(しゅこう)です。
光が強いと、その外側に色の並びが逆になった副虹(ふくこう)も現れ、ダブルレインボーになることがあります。
(『空のふしぎがすべてわかる! すごすぎる天気の図鑑』荒木健太郎 KADOKAWA 2021年) 虹は、太陽とちょうど反対側で影のできる位置にあたる対日点(たいじつてん)を中心に円のかたちをしていて、じつは私たちは地上でその一部を見ているのです。
このため、日の出・日の入くらいの虹は半円に近くなり、太陽が高いと低い空だけに虹色が見えることもあります。
高層の建物や橋の上、飛行機などからは対日点が見えやすく、丸い虹と出会えるスポットです。
(『空のふしぎがすべてわかる! すごすぎる天気の図鑑』荒木健太郎 KADOKAWA 2021年)
この本は、全部の漢字にフリガナがうたれていますが、そのまま転記するのは大変なので一部だけにしました(^^ゞ
情熱大陸に出演されたときに子どもたちが荒木さんの話を聞きに来ていた様子が見られたので、子どもたちにも読めるようにと編集したのでしょうね。森崎和江さんのデビュー作の
はじめに
まだ目のあかぬ兎のような息子を、ねんねこで負んぶし、娘の手をしっかりとにぎって、遠賀川(おんががわ)の風にふかれていました。
みだらな野菜をすてて
炭塵をかむった女らが降りていった
なぜ男は羽根かざりに似るの
(『まっくら 女坑夫からの聞き書き』森崎和江 岩波文庫 2021年) ちかちかと数行のきれっぱしが鳴っていました。
私のまえには寝そべっている牛のような川原があるばかり。
川のはるかむこうに硬石山(ぼたやま)が雪をかむったまま燃えていました。
しろい煙を、火山のように雪空に流しているのです。
するどくとがっているその山の頂きから左右に流れる稜線に似た岐路が、私のなかでは朱の色を引いて流れています。
「ママ、かえろう」
いくどか娘はくりかえしました。まるで私のこえのように。
「かえるの? どこへかえりたいの?」
私は、私と娘とに問います。
娘と私はそれぞれ、その問いにこたえねばなりません。
握りあっている掌が熱く汗ばんでいて、どことなく滑稽な思いがするほどでした。 私には、それとも女たちは、なぜこうも一切合財が、髪かざりほどの意味も持たないのでしょう。
渋茶色の波をひからせている川へむかって、川よ川よ、と、私は呼びかけていました。
愛もことばも時間も労働も、あまりに淡々しく、遠すぎるではありませんか。
なにもかもがレディ・メイドでふわふわした軽さがどこまでもつづいているので、まるで生きながら死人のくにへ追われているようです。
その思いに暗く重くとらえられてしまう。 それは私が本などを読みはじめたころからこの世のなかに感じた反感と憎悪の白い根でした。
女たちの内発性とまっこうから拮抗しないニッポン! 武士道! もののあわれ! 近代!
そこにあるもろもろの価値に血が噴くような憎しみを感じた敗戦前後、あかんべえと舌をだすことを覚えました。
心の底から日本という質をさげすんでいる自分の火を守りました。
それはまるで民族的な訣別へ私を追うような強さで、私の歩みを押しました。 洞海湾の錆のいろ
くろい肌をひからせて
侮蔑の海をおよぎでる
精魂つきている朝へ
川などへむかって心を傾けていた自分にがっかりして、女なんかくそくらえ、ということばがとびでました。
私は、自分をたくさんの女たちからも区別していくようでした。 ほっと吐息して娘をねんなこの袖でつつみました。
雪がちらちらと降りつづいていました。
「昔はね、はだしでここを女の人がたくさん歩いたのよ。土のなかで石炭を掘って。子どもも一緒に掘ったのよ。かえるとこなんかなくてね。どこへ行こうかといつもさがしていたのよ」
「どこ行ったの」
「ママもよくわからないの。それでもきっと、いつかわかる。たくさん、そんなおばあちゃんとお話してみるね」
「ママ、どうして泣いたの」 私は川のそばのちいさな店で飴を買ってやってから、道路にあふれている紙屑や野菜のくずを踏んで、私の仕事場である台所へもどりました。
つるはしにまがった指に
ふにあいなすべてのやつ!
寸づまりの絹をにくむさめ肌で
吹いてやる 犬神のふえを 私は何かをいっしょうけんめいに探していたのです。
そんな私が坑内労働を経験した老女をたずねてあるきましたのは、日本の土のうえで奇型な虫のように生きている私を、最終的に焼きほろぼすものがほしかったためでした。
老女たちは薄羽かげろうのような私をはじきとばして、目のまえにずしりと坐りました。
その姿には階級と民族と女とが、虹のようにひらいていると私には思えました。
彼女たちの心の裂け目へ、私は入っていきました。
森崎和江
(『まっくら 女坑夫からの聞き書き』森崎和江 岩波文庫 2021年)今朝の父の一枚です(^^)v
先日、かかりつけ医での血液検査の結果でPSAの値が高く、
主治医から精密検査を受けるようにと言われました。
主治医は、医大付属病院と総合病院を紹介されましたが、いずれも父は拒否しました。
20年前、父は、風邪をひいていたのに急死した義弟の葬儀のために無理をして肺炎になった。
医大付属病院で検査の結果を聞くとき担当した医師が
パソコンに向かったまま話をしていたと憤慨していました。
私は、診察室から父が出てきて呼ばれたのですが、
一緒に待っていた母は怖くて一緒に診察室に入ることができませんでした。
診察室で医師から検査の結果から肺ガンだと言われました。
当時、年老いた父にいきなり肺ガンだと宣告するかと怒りがわいたのを覚えています。
その後、内視鏡検査を受けたのですがガンは見つかりませんでした。
そんな経験が医大付属病院での検査を拒否させました。
父が選んだ病院でMRIなどの検査を受け、
金曜日に検査の結果を聞くと、疑わしい小さな黒い影が見られる…
でも、90歳という高齢を考えると半年後に再度血液検査をすることになりました。