2021年12月2日木曜日

昨日とうって変わって

今朝は、風がほとんどなく日差しが気持ちいい朝でした。
散歩の途中でコーヒータイムをしています。
父が、膝が痛くてもこうやって歩けるのは幸せだなと話していました。
意外と盲点だと思うのが

アルコール消毒の盲点?増える感染性胃腸炎」(NHK 12月1日)
の記事にある
アルコールと手洗いどちらが有効?」(画像)

私は、一度で丁寧に洗える自信がないので、ハンドソープを少なめにして2回洗っています。

一方、このような報告も
ノンアルコールタイプ消毒液 ウイルスへの効果持続 研究成果」(関西NHK 12月1日)
 国立公文書館のTwitterに

1年の業務報告をまとめる方も多い時期でしょうか?
明治10年(1877)12月、
内務省衛生局初の報告書が出されました。
画像は報告書中の
伝染病患者統計表
天然痘による死者数の飛び抜けた多さは依然として脅威であり、継続的な対策が模索されました。
科学が発達した現代でさえも陰謀説が広まっているのですが
天然痘のワクチンも当初、いろいろなデマが流れました。
種痘を発見したのはジェンナーですが、もう一つ発見したのがあるのですよ(^_-)

第2章 天然痘根絶への道
 ジェンナーの種痘


  かわいい娘んさんどこへ行くの
  わたしは牛乳しぼりに行くのよ
  かわいい娘さんわたしもいっしょに行っていいかい
  どうぞどうぞと娘はいった
  お父さんは何をしているの、かわいい娘さん
  お父さんは農夫よ、と娘はいった
  あなたの財産は何なの、かわいい娘さん
  わたしの顔が財産なのよ、と娘はいった
(『人類vs感染症』岡田晴恵 岩波ジュニア新書 2004年)
 農村の牛乳しぼりの女性をうたったヨーロッパの歌です。
「わたしの顔が財産」というのは、天然痘特有の発疹の痕がないことをいっているのです。
ほとんどの場合、患者に醜い痕跡を残すのが天然痘ですから、彼女らは、天然痘にかかったことがないと推測されます。
牛の乳しぼりをする女性は牛痘(ぎゅうとう)にさらされたことがあって、牛痘にかかったことのある人は天然痘の流行のときにも発症しないという、これは経験に基づく噂話(うわさばなし)でした。
当時の農村の牛飼いたちは、このような例を見て経験として知っていたのです。
 18世紀、イギリスの田舎で医師として患者をみていたエドワード・ジェンナーは、この「牛乳しぼりの女性は、天然痘が流行してもかからない」という話に注目し、1796年に乳しぼりの女性にできた牛痘疹から取った膿汁(のうじゅう)を近所に住む8歳のジェームス少年の腕に接種しました。
 1週間もすると、少年の腕に牛痘疹ができたのが確認できました。
ジェンナーは、一ヵ月後に天然痘の患者の膿疱(のうほう)から材料を採取し、それを少年の腕に接種しました。
当時はわかっていませんでしたが、膿疱にはたくさんの天然痘ウイルスがいます。
つまり、ウイルスの固まりをこの少年に接種したことになります。
天然痘はきわめて強い病原性をもった病気ですから、これはジェームス少年にとってはいのちがけのきわめて危険な人体実験だったわけです。
 この少年には天然痘の症状は現れませんでした。
少年は牛痘にかかったことで、もっとおそろしい天然痘から逃れることができたのです。
 このあとジェンナーは、ほかの5人の子どもにも同じように牛痘を接種し、そのうち3人に天然痘の患者の材料を接種しています。
しかし、結果はすべて同じで、その子らは天然痘の発症から逃れることができたのです。
ジェンナーには、牛の乳房にできる牛痘にかかった女性は、天然痘から逃れられるという噂を事実として実証し、噂を噂で終わらせずに、予防の一歩を踏み出す知見としてとらえたのです。
 蛇足になりますが、予防医学に貢献した偉大な医学者でもあり、臨床医でもあったジェンナーには、もう一つ有名な研究があります。
「カッコウの托卵(たくらん)の発見」です。
カッコウは、自分では卵をあたためたり生まれたひなの世話をしたりせずに、ほかの種類の鳥の巣に卵を産んで、その巣の親鳥に卵やひな鳥の世話をさせるのです。
ジェンナーは、既成概念にとらわれないで、自然を自然のままに受け入れる科学者の目を忠実にもっていた人だったのでしょう。
この科学者の目が、以後の天然痘根絶への道筋に大きな影響を与えることになったのです。
 権威に屈せず

 ジェンナーは、牛痘で天然痘を予防しうるという事実を当時の最高権威を誇ったイギリス王立医学会に報告書として提出しています。
しかし、王立医学会はまったく取り合わず、もし医学者としての名誉を存続させたいなら、この報告書をすぐに取り下げるべきである、という返答をしてきたのです。
 当時の版画(1802年イギリス製)には、種痘(牛痘接種)をした人に牛の角(つの)をもったおできができている姿が描かれています(図2-3)。
「種痘をした人の頭に角が生える」などといった流言もあったのです。
しかし、ジェンナーがこれら権威による抑圧や迫害に屈する男ではなかったことが、のちの人類に天然痘根絶の光を与え、多くの生命を救うことになるのです。

ジェームズ・ギルレイ画 『ジェンナーの種痘』)
 ジェンナーは、少年に牛痘を接種してから2年後に、牛痘は天然痘を予防するという内容の本を自費出版し、さらに1801年『種痘の起源』を著しています。
これ以後、堰(せき)を切ったように、アメリカ、ヨーロッパの各国で、種痘による天然痘の予防が開始されました。
種痘を糧(かて)とした天然痘と人類のたたかいがはじまったのです。
 日本でも、1848年に天然痘のワクチン接種がはじまっています。
ドイツ人医師が牛のお腹の皮膚に牛痘ウイルスを苗のように植える痘苗(とうびょう)を伝え、広く普及していきました。
このころのアメリカの種痘の絵には、子牛のまわりに種痘を受ける子どもたちが、順番待ちをしている姿が描かれています。
(『人類vs感染症』岡田晴恵 岩波ジュニア新書 2004年)
今朝の父の一枚です(^^)v
母が楽しみにしていた冬桜が満開のようです。

録画していたプロフェッショナル
85歳、職人の夢~旋盤職人・岩井仁~」(見逃し配信:12月7日まで)
父と一緒に見ました。
初めは岩井さんの職人としての姿にいろいろ話をしながら見ていたのですが、
最後の方で岩井さんと茂子さんの物語に
母のことを思い出していたのか無言で見ていました。

(茂子さん事故で大けがした40年前)

ひと月ぐらいずっと(妻の)枕元で座っていて
ちょっとおまえ留守番してろと
嫌だって言うんだよ
どうしたのお前…
ちょこっと1時間行ってきたって何てことない
何で嫌なんだって言ったの
そしたら寂しいって
それでそういう顔をするから
分かった
じゃあ行かないよって言ったの
そしたら うれしそうな顔をしたんだ
そんときの顔 一生涯忘れらんないよ

約束したの
どこもやらないよ
俺と一緒にいるんだよ
いいなって言ってさ
約束したの
これから何年ね一緒にやれるかどうか分からんけどさ。
俺がしっかりしてれば…。

張り合いってものがあるじゃん
ふたりでね
あと何年、一緒にこうやってやってるか
やっていれるか
ずっと今日があって、明日になって
明日が明後日になって
死ぬまでそれを通せるかね
それだけだよ

(最後の方で岩井さんが夢を語ります。実現してほしいです)
再放送:12月7日午前0:03~(6日深夜)