2021年12月18日土曜日

初氷かな?

田んぼを見ると薄い氷がはっていた。
昨日来てないからわからないけど初氷かな?
東屋の温度計は0度と1度の間だった。

近畿北部中心に断続的に雪 交通影響に警戒を」(関西NHK)

日本海側中心に大雪 各地で50センチ超 交通影響に警戒を」(NHK)
いつも生駒方面を眺めていた展望台(?)が改修工事のため来年3月中旬まであがれない…
改修工事だったらいいのだけど
トイレが二か所も解体・撤去になったのは辛いなぁ
今朝も歩いていると腹痛に悩まされた。
トイレに駆け込むことはなかったけど、ある程度の距離でトイレがあると安心できた。
ネコメンタリー 猫も、杓子も。「西炯子と大ちゃん」を
見ながら「猫」と「描」は、「苗」は一緒で「犭(犬)」と「扌(手)」なんだと、今頃、気がついた(^^ゞ

】(解字)会意。「艸+田」。なわしろに生えた細くて弱々しいなえのこと。

】(解字)会意兼形声。
「犬+音符苗(なよなよとして細い)」。
からだがしなやかで細いねこ。あるいは、ミャオと鳴く声になぞらえた擬声語か。
▽貓は、正字。
(『新版 漢字源(改訂新版)』藤堂明保他編/学習研究社 1984年)

】〔解字〕形声。「手」+音符「苗」(=小さい。細かい)。
物の形を細部にわたってえがく意。
(『岩波 漢語辞典(旧版)』山口明穂、竹田晃編 1987年)
 舞妓さんちのまかないさん(12)「店出しのいちにち」(見逃し配信:12月25日まで)

キヨちゃんがぜんざいを作っているのかなと思ったけど
なべっこ団子(青森の郷土スイーツ。ハレの日にふるまわれるお汁粉)。

つる駒さんがおしることぜんざいの違いを聞いていて????状態になったけど…
σ(*^^*)も????でした…

発病する前、山を歩いた後の楽しみは、夏はビールだったけど
冬などはぜんざいを食べてホッと一息ついていた。

出雲ぜんざいの歴史~「ぜんざい」発祥の地 出雲
昨日、午後から心臓リハビリでした。
待ち時間に読んでいたのが『杉浦日向子ベスト・エッセイ

杉浦日向子さん
の本を読むと江戸時代の庶民の暮らしなどを楽しく学ぶことができます。
46歳の若さで旅立たれたのは早すぎると思います。
本の帯には、
生きて在るこの自分の時間をことほぐ
伍 いのちの読書
『疱瘡
(ほうそう)神』

「〝疱瘡神〟とは言っても、現代人の耳には不慣れな言葉となっており、包装紙と勘違いする者もあったり」する時代となった。
 1980年に疱瘡(痘瘡、天然痘、smallpox )は、WHOにより絶滅宣言が出された。
 左肩先に触れてみると、指先にかすかな凹みを感じる。
かつて、ノースリーブを厭(いや)がる娘もあった。
いまや、真夏のはじける歓声のなかに、この痕跡のある子は、もういない。
(『杉浦日向子 ベスト・エッセイ』ちくま文庫 2021年)
 はじめに、「医学の分野からみれば、すでに時勢に合わないテーマであることは勿論である」とまえおきして、ここでは「疾病の歴史ではなく疾病対抗法に見られる庶民信仰の発生過程を探ることを目的とする」と明言してある。
本書は、1991年秋、パリで出版された研究書の、著者自身による邦訳版である。
 著者ハルトネート・O・ローテルムンド氏は、1939年ドイツのヴェルツブルグ生まれ、日本宗教史、民俗学専攻。
宮田登氏の解説によれば、「『露田主水』の名刺をもち、鮮やかな日本語を駆使する長身碧眼(へきがん)の」氏は、「出羽三山をはじめとして、修験道の霊山を歩きまわり」、「日本の並の研究者以上に、自由自在に古文書を解読」する。
現在、フランス国立高等研究院の宗教学部教授で、かれの研究室入り口には、道場さながら「日本宗教・民俗研究所」の看板が、墨痕淋漓(ぼっこんりんり)、ぶら下がっているらしい。
 昨秋、日本語版が出されたネリー・ナウマン氏の大著「山の神」等、ヨーロッパにおける日本文化研究は、いまひときわ光彩をはなって見える。
かれらの魅力は、長年培われたきたアカデミズムの手法にあるように思われる。
根気よく時間をかけ、資料を丹念に広く収集し、結論を急がず平明に並べる。
無尽蔵の遺跡のなかで、とほうにくれることなく、ごくあたりまえの日常のように、発掘作業を続けるかれらの現場からは、鼻歌さえ聞こえてきそうだ。
 研究書を読むということは、そんな現場を、労なくして、かれらの肩ごしにのぞき見ることだ。
かれらが一生をかけているものに、しばしまじわる数時間は、たとえようがない快感だ。
 さて「疱瘡神」とは、どのような神であったのだろうか。
一度かかってしまえば二度とかからないこの病は、人の吉凶をわける通過儀礼としてうけとめられていた。
いつかは渡らねばならぬ川なら、すこしでも浅く、どやかに、短い瀬にめぐりあいたい。
子供が疱瘡にかかると、その枕もとに「疱瘡棚」をつくり、数々の供え物をし、身を謹んで祈る。
そこにまつられるのが疱瘡神である。
疱瘡神は、疫病をもたらす神であるにかかわらず、あろうことか、その元凶へ、軽く早い病の平癒を願うのだ。
 「人々がこの神に寄せる信仰の内容には、あまりにも多くの矛盾があるように思われてならない。もしも疱瘡神が疱瘡をもたらす神であるならば、この神は悪神であって、即刻、追い祓われるべきものであろう。また、もしこの神が疱瘡患者の守護神ならば、この神が疱瘡をもたらすはずはないのである。一体、疱瘡神は悪神なのか、善神なのか」、「それは、多くの〝流行神〟がそうであるように、疱瘡神も信仰され、崇拝されることによって、悪神から福神へと変化していくものであるから」で「疫病守護神としての疱瘡神は、しばしば『……明神』とか『……大明神』という呼ばれ方をしていた」。
著者は、江戸期に描かれた数々の「疱瘡絵本」をとりあげ、「こどもを大せつにまもりますこと、ちつともゆだんハしませぬ」と見得をきる疱瘡神や、「さまざまのあくまげどうかぜのかミ」を菖蒲(しょうぶ)刀で退治する疱瘡神の勇姿を紹介する。
 子の生死にかかわる試練を、敵にまわさず、味方につけて、なんとか乗り越えようとする親の祈りが、「疱瘡棚」にあらわれている。
疱瘡神を歓待し、かれが死をもたらす神ならば、生命をも授けることができるとして、その霊力にすがった。
 かつての日本人の病気観には「闘病」のことばはない。
病とは、たとえば、きむずかしい来訪者であった。
当初、困惑ののち、なんとか先方の用件をくみとり、大きなトラブルへ発展させぬよう、心をくだいて接待し、機嫌よくお帰り願うのが一番である。
 民間医療が未開発で、まじないや祈りに頼るほかなかったのは、われわれから見れば、いかにもあわれであるが、「禍い転じて福」、生死、吉凶、明暗、善悪という表裏一体の世界観を受容していたかれらの日々は、つましいが、われわれほどにあわれではない。
病が、憎むべき理不尽な敵にしかうつらないわれわれは、大病を得た時、バンザイを背に、出征するかのような悲壮感につつまれるのだから。
  (H.O.ローテルムンド著 岩波書店)(1995.5「毎日新聞」)
四 若隠居の心意気
 「きょうの不健康」より
 不健康は健康のもと


「人間は病(やまい)の容(い)れものである」なんてことをいいます。
てやんでい、おれっちなんざ、おんぎゃあとこの世に生れ落ちてからこのかた、風邪ひとつひいたためしもねえ、とおっしゃるあにさんも、いらっしゃいましょう。
けれど、そのひとだって、腹の虫の居所が悪くて、かみさんやともだちと取っ組み合いのケンカもするでしょうし、二日酔いで朝っぱらから頭かかえてウンウンうなってる日もあるはずです。
それも病の内、ケンカと酒の病です。
 照る日曇る日、だれにもあって、自分のなかに棲(す)み、日々をくらしている、不健康や不機嫌、不元気を、なだめ、すかし、やりすごすのが、けっきょく健康の極意なのではないでしょうか。
 江戸のころには「闘病」ということばはありませんでした。
かわりに「平癒(へいゆ)」といいました。
病とは、外からやって来るものばかりでなく、もともと体に同居していた、ちいさな身内だったのかもしれません。
それが突然、来訪者として、「頼もう」と声を荒げた瞬間が「発病」です。
なにか、メッセージがあるから、姿を現したのです。
招かれざる客であっても、まず用件を丁寧に聞いて、かれがなにものなのか、自分のどこがいけなかったのかを知り、なるべく、すみやかに、おひとりねがいたい。
これが「平癒」の意味するところなんですね。
好きなことばです。
 生きているひとは、みんな不健康です。
大量の市販薬の広告、大人気の健康情報誌、「きょうの健康」で、日ごろの不安や悩みのアドバイスを受けるひと。
中高年の食事会で盛り上がる話題は、明るい「病気自慢」。
何それの数値がいくつで、俺のほうが高い、あたしプリン体だめなのよ名前はおいしそうなのに、骨粗鬆症(こつそしょうしょう)でちょっと転んだだけで車椅子(くるまいす)……あはは。
まるで「趣味の不健康」。
 わたしは中堅不健康で、通院入退院を十年続けています。
待ち時間二時間。診察五分なんてざらです。
どの医院も例外なく患者であふれかえり、日本中病人だらけみたいじゃないですか。
 それでも通院できれば元気な病人です。
往復路と長椅子で待ち時間に耐えられるのですから、通えるうちが花、といえます。
 ともあれ、不健康を味方につけてしまいましょう。
不健康は、心身の疲れの訴えです。
体力や健康を過信し、不健康のささやきに耳を貸さず、仕事に無理をしたあげく、突然の訪問者にうろたえる失態は、防げるのではないでしょうか。
健康をまもるは不健康。  
  (2003.4「きょうの健康」)
(『杉浦日向子ベスト・エッセイ』ちくま文庫 2021年)

新型コロナに対しても江戸の知恵に学びたいと思います。