でも寒さはこれからのようです。
「近畿 31日から元日にかけ大雪のおそれ 交通影響などに注意」(関西NHK)「なぜこの2人が…ノーベル平和賞が問いかけるもの」(NHK 10月12日)
新型コロナの感染拡大からいっそう言論への弾圧がひどくなっています。
中国、ロシア、フィリピン、アフガニスタン、ミャンマーなどなど…
日本は1億円という税金が赤木さんの無念をうやむやにするために使われ、
「国が一転、元財務局職員遺族の賠償請求認める…森友文書改ざん巡る訴訟」(読売新聞 12月15日)
結論が初めらかあって、検察が本気で捜査をしたとは思えない。
「桜を見る会など 再捜査で安倍元首相ら改めて不起訴に 東京地検」(NHK 12月28日) 灯
人の身の上に起ることは
我が身にも起りうること
よその国に吹き荒れる嵐は
この国にも吹き荒れるかもしれないもの
けれど想像力はちっぽけなので
なかなか遠くまで羽ばたいてはゆけない
みんなとは違う考えを持っている
ただそれだけのことで拘束され
誰にも知られず誰にも見えないところで
問答無用に倒されてゆくのはどんな思いだろう
もしも私が そんな目にあったとき
おそろしい暗黒と絶望のなかで
どこか遠くにかすかにまたたく灯が見えたら
それが少しづつ近づいてくるように見えたら
どんなにうれしくみつめるだろう
たとえそれが小さな小さな灯であっても
よしんば
目をつむってしまったあとであっても
(1993年12月「アムネスティ人権報告」)
(『茨木のり子詩集』谷川俊太郎選 岩波文庫 2014年)今日は、晦日、明日は大晦日。
でも、明治5年(1872)11月に改暦されるまでは12月30日が大晦日でした。
「江戸から明治の改暦」(国立国会図書館)
大晦日さだめなき世の定哉 西鶴
人生は無常だというけれども、町人にとって、大晦日は、ぜひとも越えねばならぬ、無常な世における関門である、という句意。
『好色一代男』を刊行して間もない天和二(1682)年の作。
『画賛十二ケ月』には次の詞書(ことばがき)がある。
「よし田の其人つれづれ草に書出(かきいだせ)し世間は其時も今も」。
この句は『徒然草』十九段の「つごもりの夜(よ)、いたう暗(くら)きに、松どもともして、夜半(よなか)過ぐるまで人の門(かど)たたき、走りありきて、何事にかあらん、ことことしくののしりて、足を空(そら)に惑(まど)ふが、暁(あかつき)がたより、さすがに音もなくなりぬるこそ、年の名残(なごり)も心ぼそけれ」をふまえており、いうまでもなく『世間胸算用』の発想源である。(穂久邇文庫蔵)
(『井原西鶴集 三 日本古典文学全集40』谷脇理史他校注・訳 小学館 昭和47年)
世間胸算用 巻一
四 鼠(ねずみ)の文(ふみ)使い
毎年*煤払(すすはら)いは十二月十三日にきまっているので、菩提寺(ぼだいじ)から祝い物だからといって笹竹(ささたけ)を月の数だけ十二本もらい、煤払いをしたあとの竹は、板葺(いたぶき)屋根の押さえに使い、その枝は箒(ほうき)を作らせ、塵(ちり)も埃(ほこり)もむだにしない、ずいぶん倹約(しまつ)な人がいた。
(『現代語訳・西鶴 世間胸算用』暉峻康隆 小学館ライブラリー27 1992年) 去年の暮れは十三日がいそがしかったので、その家(うち)では大晦日(おおみそか)は煤はきをして、年に一度の据風呂(すえふろ)を焚(た)くことになった。
この亭主(ていしゅ)は五月の節句の粽(ちまき)の殻(から)や、お盆に使った蓮(はす)の葉まで、だんだんにためておいた焚付(たきつけ)を焼(く)べ、こんなものでも湯は沸くのだと、こまかな事に気を配って、人一倍むだのないようにつとめて利口顔をする男であった。
同じ屋敷の裏に隠居所を建てて、母親が住んでいたが、この男を産んで育てた母のことなので、お話にならないくらいけちであった。 この母親が風呂の下を焚きつけていたが、片方しかなくなった塗下駄(ぬりげた)を焼べようとして、つくづく昔の事を思い出し、
「ほんとにこの下駄は、わたしが十八の年にこの家へ嫁入りした時、長持に入れてきて、それから雨の日も雪の日もはいて、歯がちびただけで五十三年ももった。
自分一代はこの一足ですまそうと思っていたのに、惜しいことに片方を野良(のら)犬めにくわえていかれ、はんぱになったで仕方なく、今日燃やしてしまうことになった」
と、四、五度も愚痴(ぐち)をこぼしてから、釜(かま)の中へ投げこんだ。
もう一つ、何かくよくよした様子で、涙をはらはらとこぼし、
「月日のたつのは夢のようじゃ。明日(あした)で一年目になるが、惜しいことをしました」
といって、しばらく悲しんでいた。 ちょうどその時、近所の医者が風呂にはいっておられたが、
「明日は正月だというめでたい年の暮れだから、悲しむのはよしなされ。ところで元日にどなたが御死去なされた」
と尋ねられた。
すると婆(ばあ)さんは、
「私がいくら愚痴っぽいからといって、人の死んだのをこんなに嘆くはずはござらぬ。
わたしがくやんでおりますのは、今年の元日に堺(さかい)の妹が年始に来まして、お年玉の銀(かね)を一包みくれました。
とても嬉(うれ)しく思って*恵方棚(えほうだな)に上げておきましたのを、その夜盗まれました。
それにしても家(うち)の勝手を知らない者が盗(と)るはずはござらぬ。
その後神々に願をかけましたが、その甲斐(かい)もありません。
そこで山伏に祈禱(きとう)を頼みますと、この銀(かね)が七日の中に出ますれば、*護摩壇(ごまだん)の上の*御幣(ごへい)が動き、お燈明(とうみょう)がしだいに消えます。
それが大願成就のしるしだと申しました。
案の如く祈禱の最中に御幣が動きだし、お燈明が幽(かす)かになって消えました。
これこそ神仏の霊験のあらわれ、この世はまだ捨てたものではない、ありがたいことだと思いまして、御礼をはずんで*百二十文(もん)さし上げ、七日待ちましたが銀(かね)は出てきません。
ある人にこの事を話しましたところ、それは*盗人に追い銭というものだ。
今時は仕掛(しかけ)山伏というものがいて、護摩壇にいろいろ仕掛けておいて、白紙(しらかみ)を切り抜いた人形(ひとかた)に*土佐の念仏踊りをおどらせたりする。
このからくりはこの前*松田という手品師がして見せたことだが、今の人は賢(かしこ)すぎて、かえって何でもない事でだまされるのだ。
その御幣の動きだすのは、それを立てておいた壇の上の壺(つぼ)の中に生きた鰌(どじょう)を入れておき、山伏が数珠(じゅず)をさらさらと揉(も)んで、『東方に三世(さんぜ)を降(くだ)し、西方に大威徳』と呪文(じゅもん)をとなえ、独鈷(どっこ)と錫杖(しゃくじょう)で壇を荒々しく打つと、鰌がそれに驚いて上を下へと騒いで御幣の串(くし)にあたるので、それがしばらく動いて、仕掛けを知らぬ人の目にはおそろしく見えるのだ。と、四、五度も愚痴(ぐち)をこぼしてから、釜(かま)の中へ投げこんだ。
もう一つ、何かくよくよした様子で、涙をはらはらとこぼし、
「月日のたつのは夢のようじゃ。明日(あした)で一年目になるが、惜しいことをしました」
といって、しばらく悲しんでいた。 ちょうどその時、近所の医者が風呂にはいっておられたが、
「明日は正月だというめでたい年の暮れだから、悲しむのはよしなされ。ところで元日にどなたが御死去なされた」
と尋ねられた。
すると婆(ばあ)さんは、
「私がいくら愚痴っぽいからといって、人の死んだのをこんなに嘆くはずはござらぬ。
わたしがくやんでおりますのは、今年の元日に堺(さかい)の妹が年始に来まして、お年玉の銀(かね)を一包みくれました。
とても嬉(うれ)しく思って*恵方棚(えほうだな)に上げておきましたのを、その夜盗まれました。
それにしても家(うち)の勝手を知らない者が盗(と)るはずはござらぬ。
その後神々に願をかけましたが、その甲斐(かい)もありません。
そこで山伏に祈禱(きとう)を頼みますと、この銀(かね)が七日の中に出ますれば、*護摩壇(ごまだん)の上の*御幣(ごへい)が動き、お燈明(とうみょう)がしだいに消えます。
それが大願成就のしるしだと申しました。
案の如く祈禱の最中に御幣が動きだし、お燈明が幽(かす)かになって消えました。
これこそ神仏の霊験のあらわれ、この世はまだ捨てたものではない、ありがたいことだと思いまして、御礼をはずんで*百二十文(もん)さし上げ、七日待ちましたが銀(かね)は出てきません。
ある人にこの事を話しましたところ、それは*盗人に追い銭というものだ。
今時は仕掛(しかけ)山伏というものがいて、護摩壇にいろいろ仕掛けておいて、白紙(しらかみ)を切り抜いた人形(ひとかた)に*土佐の念仏踊りをおどらせたりする。
このからくりはこの前*松田という手品師がして見せたことだが、今の人は賢(かしこ)すぎて、かえって何でもない事でだまされるのだ。
また燈明が消えるのは、その台に砂時計を仕掛けて、皿(さら)の油を抜き取るのだ、ということでした。
この話を聞いて、いよいよ損の上に損をしたことがわかりました。
私はこの年まで一文の銭も落とさないで暮らしてきたのに、今年の大晦日はこの銀(かね)が見当たりませんので、あてがはずれて気がかりな正月をすることになり、何もかもおもしろくありません」
といって、世間体(せけんてい)もかまわず大声をあげて泣かれたので、家内の者どもは閉口して、我々が疑われては迷惑だと、それぞれ心の中で神々に潔白を誓うのであった。
(つづく…)*煤払い 12月13日、正月の年徳神を迎えるために公武庶民ともに屋内の煤ほこりを払い清めた。
*恵方棚 その年の徳神を迎える棚を恵方(吉の方角)に向かって吊った。
*護摩壇 護摩(桑の生木)を炊いて修法する炉を置いた壇。
*御幣 神祭用具で、壺に立てる。
*百二十文 約三千二百円。賽銭は普通十二文。
*盗人に追い銭 諺。損の上に損を重ねること。
*土佐の念仏踊り 土佐にはじまる踊りで、鉦(かね)・太鼓で念仏を唱えながら踊る。
*松田 明暦・万治・寛文のころ江戸で興行したぜんまいからくり師の松田播磨掾。
(『現代語訳・西鶴 世間胸算用』暉峻康隆 小学館ライブラリー27 1992年)
今朝の父の一枚です(^^)vといって、世間体(せけんてい)もかまわず大声をあげて泣かれたので、家内の者どもは閉口して、我々が疑われては迷惑だと、それぞれ心の中で神々に潔白を誓うのであった。
(つづく…)*煤払い 12月13日、正月の年徳神を迎えるために公武庶民ともに屋内の煤ほこりを払い清めた。
*恵方棚 その年の徳神を迎える棚を恵方(吉の方角)に向かって吊った。
*護摩壇 護摩(桑の生木)を炊いて修法する炉を置いた壇。
*御幣 神祭用具で、壺に立てる。
*百二十文 約三千二百円。賽銭は普通十二文。
*盗人に追い銭 諺。損の上に損を重ねること。
*土佐の念仏踊り 土佐にはじまる踊りで、鉦(かね)・太鼓で念仏を唱えながら踊る。
*松田 明暦・万治・寛文のころ江戸で興行したぜんまいからくり師の松田播磨掾。
(『現代語訳・西鶴 世間胸算用』暉峻康隆 小学館ライブラリー27 1992年)
シジュウカラがちょうど飛び立つところで被写体ブレになっていますが
後の樹が睨んでいるように見えますね(*´▽`*)
シジュウカラ ネクタイをしたバードテーブルの常連
◎分類 スズメ目シジュウカラ科
◎大きさ 全長15㎝
◎季節 冬を中心に一年中
◎バードテーブル ヒマワリ、牛脂、ピーナッツ
庭先のバードテーブルに来る鳥たちの中で、最も数が多く、餌台を訪れる頻度も高いのがシジュウカラの仲間(カラ類)でしょう。
コガラ、ヤマガラ、ヒガラなど、このグループの鳥は種類も多く、可憐で人を恐れず、誰の目にも好感度の高い小鳥たちです。
中でもシジュウカラはその代表格で、全国どこもバードテーブルにシジュウカラがやってこない場所はないでしょう。
シジュウカラがバードテーブルで好んで食べるのは脂肪分に富んだカロリーの高い餌です。
ヒマワリのタネが最も一般的ですが、砕いたピーナツなどはヒマワリ以上に喜んで食べますし、脂そのものである牛や豚の脂身もよく食べます。
小さな体で厳しい冬を乗り切るために必要な熱量は相当なものだということになります。
(後略)
(『庭で楽しむ野鳥の本』大橋弘一 山と渓谷社 2007年)
「餌台やバードバス(水場)を設置している方へ ~鳥インフルエンザの感染拡大を防ぐためのお願い~」(日本野鳥の会)