2021年12月22日水曜日

冬至

降りそうで降らない曇り空でした。
今日は「冬至

師走おなじみの景色 冬至を前にさるがたき火にあたる」(東海NHK 12月21日)
天気予報では、曇りで雨の確率は0%だったけど
自転車で出かけたので、バッグに雨具を入れて行きました。
昨日、京都の大学に通っていた時の教訓で、晴れていてもカバンに折りたたみ傘を入れていると書きました。
大学は、京阪三条駅からバスに乗って30分以上かかる山の中(バス停からさらに20~30分歩いていた)。
冬など、三条駅から出町柳辺りまで小雪だったのに、大学に着く頃には大雪や霰が降っていたことも。
また、山を歩いていた時の体験からも
天気は、コロコロ変わるものだと思っています。
昔に比べて、現在は、雨雲の様子も知ることができるのですから
天気予報が外れると文句を言う前に、自分でも、少しは予想できると思うのですが(^_-)
今、死にたいほど苦しい思いをしている人に見てほしいなと思うが
SWITCHインタビュー 達人達「北川悦吏子×Ayase(YOASOBI)
再放送が25日(土)午前0:00~(24日深夜)に放送されますし
見逃し配信を12月25日(土) 午後10:49 まで見ることができます。

自分を見捨てたら終わっちゃう。

その火を消すなって感じ。自分がね自分で。

再放送を見られないのだけど
Eテレ理想本箱 君だけのブックガイド「もう死にたいと思った時に読む本
そこで紹介されていた三冊の本が

深沢七郎著『人間滅亡的人生案内』(河出文庫)

村田沙耶香著『しろいいろの街の、その骨の体温の』(朝日文庫)

若松英輔著『悲しみの秘義』(文春文庫)

同番組の「同性を好きになった時に読む本」で紹介されていた

アビー・ワンバックの『わたしはオオカミ 仲間と手をつなぎ、やりたいことをやり、なりたい自分になる』(海と月社)
2018年にバーナード女子大学の卒業式での講演が胸に響いてきました。
勇気をもらえると思います。
見逃し配信を明日12月23日(木) 午後11:20 まで見ることができます。
大雪から冬至のころ
 「冬至、冬なか、冬はじめ」

…前略…

  冬至までひと日ひと日の日暮かな   草間時彦(くさまときひこ)

 日本のある北半球での「冬至」は、昼がもっとも短く、夜がもっとも長くなります。
冬至の日の太陽は低く、ものの影が長くなります。
そんな冬至を前にして、昼夜の変化を「ひと日、ひと日」と思っているという句です。
とはいえ、特別に意識して「昨日はこうだ、今日はこうだ」と深刻に考えているというのではなく、時の流れを自然に感じつつ、「やがて冬至だな」と実感している句です。
(『NHK俳句 暦と暮す 語り継ぎたい季語と知恵』宇多喜代子 NHK出版 2020年)
 私の祖母や母がよく「冬至、冬なか、冬はじめ」と口にしていました。
立冬と立春までの日数のちょうど真ん中あたりに冬至がきて、そのころからが「冬のはじまり」で寒くなりますぞ、という合図でした。
風邪をひかぬようにと、本気で柚子湯(ゆずゆ)をたて、自宅栽培のあまりおいしくない南瓜(かぼちゃ)を炊き、子ども時代の私と弟においしく食べさせようと、コロモの分厚い精進揚げにして食べさせてくれました。
ついでに揚げてくれたさつまいも、子どもながらに、イモやカボチャはおいしいものだと思ったことでした。
 また、冬至には「ん」のつくものを五つ食べるとよいというのが古くからの言い伝えで、大根(だいこん)、人参(にんじん)、蓮根(れんこん)、蒟蒻(こんにゃく)、そして南瓜(なんきん<カボチャ>)、これらを食べました。
どれにも「ん」が入っています。
要は寒い時期には冬野菜で体を温め、風邪予防という古人の知恵でしょう。
その多くは根菜であり、加熱して食べます。
これは現代の人にも通じます。
いまも「冬至南瓜」を食べる風習が残っておりますが、冬にこれを食べるというのはとてもいいことです。
IT時代のお子さんたちにも言い残したいことの一つです。
   柚子湯して柚子とあそべる独りかな  及川 貞(おいかわ てい)

 いくつになっても黄色の柚子といっしょに入る柚子湯には疲れを癒し、遊びごころを誘い出す魅力が満ち満ちています。
柚子の香が湯をまろやかにしてくれます。
 冬至が過ぎたころから、本格的な寒さが日本列島を覆います。
やがて「寒の入り」です。風邪にご用心、ご用心。

   日短いつもふさがっている両手  喜代子

(『NHK俳句 暦と暮す 語り継ぎたい季語と知恵』宇多喜代子 NHK出版 2020年)
  冬至(とうじ)

 暦注の二十四節気の一つで、太陽がもっとも南に傾くため、北半球では正午の太陽の高さが一番低く、日照時間も最短になる。
太陽暦では12月22日、23日ころ。
冬至の日の決定には正確な暦の知識が必要になるが、経験的には太陽の日差しからおおよその見当をつけることができ、「冬至十日前から藁(わら)の節(ふし)だけ日が長くなる」「米の粒だけ日がのびる」「畳の目だけ日がのびる」などといわれる。
(『三省堂 年中行事事典(旧版)』田中宣一、宮田登 編 三省堂 1999年
 現在の冬至の民俗として、中風除けあるいは風邪除けに南瓜(かぼちゃ)を食べることは広く行なわれている。
南瓜をこの日までとくに保存しておくという例も多く、島根県隠岐では神仏に供えて食べるというように、もとは冬期にには珍しくなった野菜を神供(じんく)に用いたものであろう。
小豆粥や餅を食べるという例もあり、奈良県吉野地方ではこの粥を食べると蛇が逃げるという。
これは大師講や1月15日の粥と同様のハレの日の食物で、神供となったものに霊力がみとめられたのである。
そのほか、関東地方とその周辺では蒟蒻(こんにゃく)を食べて体の砂おろしにするといい、中国地方の日本海沿岸部では豆腐を食べると風邪をひかないという。
 この日に柚子湯に入ると病気をしないとうのは関東地方の一般的な風習で、埼玉県などでは柚子を縁の下に投げ入れておくという。
柚子のような香りの高い植物に邪気を祓う効力をみとめたものと考えられる。
また、水と火を特別視する伝承も各地に存在する。
火については、かつて埼玉県では冬至の朝に菊の枝を燃やし、煙を室内に充満させて厄病除けにし、夜は茄子(なす)の木で沸かした湯でお茶を入れて神棚にあげるという風習があった。
菊の枝を燃やす例は秋田県にもみられ、茄子の木を燃やすのは新潟・栃木・群馬・茨城・岐阜県などに点在し、多くはこの火で南瓜を煮て食べる。
水についての伝承では、冬至に汲んだ水を保存する例が各地にみられる。
徳島県三好地方では、冬至の水は一年間腐らないといい、神棚の小びんに入れて祀り、翌年の冬至に家族でいただいという。
栃木県では、小豆飯を炊いた釜の洗い水を家の周りに撒くと蛇除けになり、このときの水を徳利に入れて乾(いぬい<北西>)の方角の軒下に埋めておくと火事除けになるという。
これらの伝承が柚子湯の風習を生む背景になったものであろう。
冬至の天候によって一年の気候や作物のでき柄を占う例もみられ、島根県ではこの日に粥占(かゆうら)を行う所もあった。
 現在の冬至の行事は各家庭で行われるものがほとんどであるが、山陰地方には冬至とうやといって、子供や若者が集まって会食した。
また、各地の神社では、陰陽道の影響でその年の星を祀る星祭りが行われている。
なお、旧暦では、当時は十一月二十三日ころで、大師講の日に近かった。
本来、大師講は村を来訪する大子という神の子を祀ることであったとされている。
かつては太陽が回復しはじめる冬至の時期に世界も更新されるという観念があり、このとき、新しく生まれかわった神の子を迎えて祀ることも行われていたと考えられる。
一般に、冬至の神の実態は明らかではないが、長野県北安曇地方には、冬至の神は犬が嫌いで戌(いぬ)の日が来ると帰ってしまうという伝承があり、冬至に訪れる神が想定されてことをうかがわせる。
 冬至に対する同様な信仰はキリスト教以前のヨーロッパにも存在し、太陽や神の復活・再生を祝う祭りが12月25日のクリスマスの行事にひきつがれたと考えられている。
 (斎藤)
(『三省堂 年中行事事典(旧版)』田中宣一、宮田登 編 三省堂 1999年)