2021年12月24日金曜日

クリスマス・イブ

煙がまっすぐあがるほど風がほとんど吹いていませんでした。
午後から曇り空になり、夕方には雨が降り出しました。

数年に一度クラスの寒気 あすから日本海側中心に大雪のおそれ」(NHK)

気象庁「今回の寒気は“しつこい”」注意点と対策は?〟(NHK)
クリスマス

 キリストの誕生を祝う日で、クリスマス・イブはその前夜祭。
12月25日をキリストの降誕祭として祝うのは300年ころからの教会の典礼上のとりきめだが、この日の選定には異教時代からの冬至祭の影響がある。
冬至はローマ帝国では太陽神の誕生する日であり、北欧でも太陽の蘇生を祈願する火祭りの期間だった。
(『三省堂 年中行事事典(旧版)』田中宣一、宮田登 編 三省堂 1999年)
このように、冬至に神が生まれ、世界が更新されるという考えが救世主の誕生と結びついたのである。
クリスマスの一般の習俗にも古い時代の祭りの名残がみられ、クリスマス・ツリーは古代ゲルマン人が冬期の生命力のしるしとして常緑樹を神聖視していたことに由来する。
サンタ・クロースは守護聖人に祀られた聖人(セント)ニコラウスが、その祝日(12月6日)前夜に各家を訪れ、悪い子供をたしなめ、良い子供に贈り物を与えるというヨーロッパ中央部の民間信仰にもとづく。
これが移民によってアメリカに伝えられ現在のかたちが生まれた。
  (斎藤)
(『三省堂 年中行事事典(旧版)』田中宣一、宮田登 編 三省堂 1999年)
向田邦子さんのエッセイを読むきっかけになったのは、ある料理番組で紹介されていたからです。
そのときに紹介されたエッセイを転記します( ..)φ
   水羊羹

 私は、テレビの脚本を書いて身すぎ世すぎをしている売れのこりの女の子(?)でありますが、脚本家というタイトルよりも、味醂干(みりんぼ)し評論家、または水羊羹(みずようかん)評論家というほうがふさわしいのではないかと思っております。
今日は水羊羹についてウンチクの一端を述べることに致しましょう。
(『向田邦子ベスト・エッセイ』向田和子編 ちくま文庫 2020年)
 まず水羊羹の命は切口と角であります。
 宮本武蔵か眠狂四郎が、スパッと水を切ったらこうもなろうかというような鋭い切口と、それこを手の切れそうなとがった角がなくては、水羊羹といえないのです。
 水羊羹は、桜の葉っぱの座ぶとんを敷いていますが、うす緑とうす墨色の取合わせや、ほのかにうつる桜の匂いなどの効用のほかに、水羊羹を移すときのことも考えられているのです。
つまり、下の桜のおザブを引っぱって移動させれば、水羊羹が崩れなくてもすむという、昔ながらの「おもんぱかり」があるのです。
 水羊羹は江戸っ子のお金と同じです。
宵越しをさせてはいけません。
傷みはしませんが、「しわ」が寄るのです。
表面に水気が滲(し)み出てしまって、水っぽくりなります。
水っぽい水羊羹はクリープを入れないコーヒーよりも始末に悪いのです。
 固い水羊羹。
 これも下品でいけません。色も黒すぎては困ります。
 小学生の頃、お習字の時間に、「お花墨」という墨を使っていました。
どういうわけか墨を濃くするのが子供の間に流行(はや)って、杉の葉っぱを一緒にすると、ドロドロになって墨が濃くなるというので、先生の目を盗んでやっていましたが、今考えてみますと、何も判っていなかったんだなと思います。
墨色の美しさは、水羊羹のうす墨の色にあるのです。
はかなくて、もののあわれがあります。
 水羊羹は、ふたつ食べるものではありません。
口あたりがいいものですから、つい手がのびかけますが、歯を食いしばって、一度にひとつで我慢しなくてはいけないのです。
水羊羹を四つ食った、なんて威張るのは馬鹿です。
その代り、その「ひとつ」を大事にしましょう。
 心を静めて、香りの高い新茶を丁寧に入れます。
私は水羊羹の季節になると白磁のそばちょくに、京根来(ねごろ)の茶托(ちゃたく)を出します。
水羊羹は、素朴な薩摩硝子(ガラス)の皿か小山岑一(しんいち)さん作の少しピンクを帯びた肌色に縁だけ甘い水色の和蘭陀(オランダ)手の取皿を使っています。
 水羊羹と羊羹の区別のつかない男の子には、水羊羹を食べさせてはいけません。
そいう野郎には、パチンコ屋の景品棚にならんでいる、外箱だけは大きいけど、ボール紙で着ぶくれて、中身は細くて小さいいやにテカテカ光った、安ものの羊羹をあてがって置けばいいのです。
 ここまで神経を使ったのですから、ライティングにも気を配ろうじゃありませんか。
蛍光灯の下で食べたのでは水羊羹が可哀(かわい)そうです。
 すだれ越しの自然光か、せめて昔風の、少し黄色っぽい電灯の下で味わいたいものです。
ついでに言えば、クーラーよりも、窓をあけて、自然の空気、自然の風の中で。
 水羊羹は気易くて人なつこいお菓子です。
どこのお菓子屋さんにでも並んでいます。
そのくせ、本当においしいのは、なかなかめぐり逢わないものです。
 私は、今のところ、「菊屋」のが気に入っています。
青山の紀ノ国屋から六本木の方へ歩いて三分ほど。
右手の柳の木のある前の、小づくりな家です。
 粋な着物をゆったりと着こなした女主人が、特徴のあるハスキーな声で、行き届いた応対をしてくれます。
この人の二人の息子さんが奥でお菓子を作っているのです。
とてもセンスのあるいい腕で、生菓子も干菓子もみごとです。
お茶会のある日など、ひる過ぎにゆくと売り切れということもあります。
 入って右手の緋毛氈(ひもうせん)をあしらった待合の椅子に腰かけて、「唐衣(からごろも)」や「結柳(むすびやなぎ)」と、それこそうす墨の美しい手で書かれた小さな紙の入った、干菓子を眺めているだけで、日本というのはいい国だと思います。
この字も、すてきな女主人の筆なのです。
 水羊羹が一年中あればいいという人もいますが、私はそうは思いません。
水羊羹は冷し中華やアイスクリームとは違います。
新茶の出る頃から店にならび、うちわを仕舞う頃にはひっそりと姿を消す、その短い命がいいのです。
(『向田邦子ベスト・エッセイ』向田和子編 ちくま文庫 2020年)

「向田邦子ベスト・エッセイ」特設ページ
この「水羊羹」を紹介していた番組はEテレ「グレーテルのかまど

何時放送したのかなとHPを見ると「【初回放送】2011年7月30日
なんと心筋梗塞を発病する前日でした(^^;)
ただ、当時はこの番組のことを知らなかったので再放送を見ています。
最近の番組では、世界のクリスマスのお菓子を紹介しています。
日本と違って素朴な、信仰心に溢れた本当のクリスマスを知ることができます。

なお、味醂干しについては、昨日紹介した『眠る盃』(講談社文庫)で読むことができます。
今朝の父の一枚です(^^)v

 水辺のスナイパー

 カワセミは、枝のような止っていられる場所から魚をめがけて飛び込むのが基本です。
枝だけでなく、石の上などでも構いせん。
狙いたい場所に適当な足場がなければ、空中でホバリングを行い、ヘリコプターのように静止した状態から水中に突っ込みます。
 水中に突入した後、魚をくわえて水面から飛び立つわけですが、ちょっと問題が。
カワセミは体に対して結構大きな獲物を食べています。
それに、たいがい横向きにくわえている魚をくわえ直し、頭から飲み込まないと引っかかってしまいます。
このときに獲物が大きくて暴れるようだと、怖い行動を見せます。
魚の尾のほうをくわえ、力一杯振り回して、魚の頭を足場に叩きつけるのです。
一撃では終わらず、2度、3度とやることもあります。
ときには叩きすぎて魚の頭が吹っ飛んでしまうこともあるのですが、あまり気にしていない様子。
(後略)
(『鳥類学者の目のツケドコロ』松原始 ベレ出版 2018年)
午後から心臓リハビリに行ってきました。
道中、信号で止まっていたら久しぶりにアドバルンを見ました。
子どもの頃はよく見かけたものです。

リハビリで理学療法士のNさんと話していたのは、自殺した方の報道が加熱していること。
視聴率が上がるから?といって自殺を考えている人がいるのにそれを煽るような報道は、慎むべきです。
それよりも苦しんでいる人に、生きる力を与えるメッセージを送るべきだと思うと話していました。
多くの人に読まれてほしい本として向田邦子さんと杉浦日向子さんのことを紹介していました。