2021年12月26日日曜日

寒い朝

北風が冷たい朝でした。
おかげで見晴らしがよかったです。

こんな時に歩きながら思わず口ずさんでしまうのが(^^ゞ
寒い朝 ✩ 吉永小百合」(YouTube)

全国高校駅伝では、寒風の中、雪が降る中を力走しているp(^^)q

全国高校駅伝」(NHK)
今朝の「天声人語 サンタのクリスマス休暇」(2021年12月26日)

(前略)

▼40年前にクンナスさんが出した『サンタクロースと小人(こびと)たち』は30近い言語に翻訳され、日本でもクリスマス絵本の定番だ。

(中略)

▼今年出版された『サンタクロースの冬やすみ』では、休暇の詳細が明らかにされた。

(中略)

▼フィンランドでもオミクロン株で感染拡大が続く。
71歳のクンナスさんは、今月半ばに3回目のワクチン接種を終えたという。
「日本の子どもたちに伝えて。大丈夫、コロナにも終わりは来ると。家で静かに本を読む冬休みもいいよ」
▼クンナス作品を邦訳してきた稲垣美晴さんも、サンタに詳しい。
空っぽの袋で来たサンタへ、逆の子どもが絵本や人形を渡す――。
そんな話を、稲垣さんはフィンランドで読んだことがあるそうだ。
与える喜びも豊かな贈り物なのだと「サンタの国」は教えてくれる。

猫の言葉社」(稲垣美晴さんが設立)
 浮世絵EDO-LIFE「年末は大忙し!歌麿“煤掃き”」(見逃し配信:12月28日まで
12月13日に煤払い、12月14日は……

江戸の師走風景を杉浦日向子さんの『一日江戸人』より転記します( ..)φ
 第二章 初級編
  師走
(しわす)風景

 部屋のカレンダーも残り一枚。
いよいよ今年も押し詰まってきたなと感ぜられる一か月……いつもは物静かなお坊様さえ裾(すそ)をからげて東奔西走するという師走、十二月です。
(『一日江戸人』杉浦日向子 新潮文庫 平成17年)
 江戸城の主(あるじ)、将軍家も例外ではありませんでした。
毎年十二月には「鶴(つる)の献上」といって、将軍家から天皇家へ鶴の贈り物をすることになっています。
しかもこの鶴は、将軍自身が捕らえたものでなくてはなりません。
はじめのうちは、将軍も律義に弓矢をかかえて野山を駆け回りましたが、後には、それ用の鶴を餌付(えづ)けしておいて、それをチョイと仕留めて献上したそうです。
 さて、庶民の歳末の様子は……!?
 まず八日の「事納」。
この日は、農作業の終了の日であると同時に、正月歳時の始まりでもありました。
江戸の町家では、笊(ざる)を竹竿(たけざお)にくくりつけて屋敷へ立て「招福・魔除(まよ)け」のマジナイとしました。
 これが済むと十三日の「煤(すす)払い」。
この日、江戸中の家が一斉に大掃除をします。
それは、この日が江戸城の煤払いの日にあたるからですが、実際は広大な江戸城が一日で掃除できるわかもなく、一日から十二日までに掃除しておいて、十三日に完了の祝儀(しゅうぎ)のみを行いました。
 大きな店では大掃除が終わったのを合図に、祝儀と称して、主人をはじめ、番頭、手代など次々に胴上げをされます。
 主人や番頭の時は、さすがに丁重に扱いますが、だんだん下(した)っ端(ぱ)になると、高く放り上げておっことしたり、下女の裾をまくったり、髷(まげ)を引っぱったり、どさくさにまぎれて、日ごろのウップンを晴らそうと、もみくちゃになったそうです。
それでも祝儀のめでたさに免じて、ケンカになるようなことはありませんでした。
胴上げがひととおり終わると皆で風呂(ふろ)へ行き、髪を結い直し、いつもより早い就寝となります。
ふだんですと、夜中の点呼などがあり、夜遊びは固く禁じられていましたが、この日ばかりは大目にみられたそうです。
皆、掃除や胴上げなどで張り切りすぎて、節々が痛むのもケロリと忘れて、夜の街へくり出して行きました。
 つづく十五日は餅(もつ)つき申し込みの締切日です。
この日までに予約しておかなければ、お正月用の餅は買えませんでした。
 江戸でも初めは関西のように丸餅でしたが、ひとつひとつ丸める手間を嫌い、せっかちな江戸ッ子は一挙にのして、包丁で四角く切るようになりました。
 つづいて江戸の各地で行われる歳(とし)の市では正月用品を買い込みます。
深川(ふかがわ)、浅草(あさくさ)、芝(しば)などで開かれましたが、なかでも浅草の賑(にぎわ)いは第一でした。
 それやこれやで大晦日(おおみそか)
一夜明ければ何もかもがめでたいお正月。
 借金の催促さえ延びました。
(この本は、日向子さんの挿絵が魅力的です。そこに付けられた注?を一部抜き書きします)

☆江戸の初期は12月20日が定例だったが、この日が三代家光の忌日に当たるため、以降は13日となった。

装束榎狐火(東京北区の旧地名。榎の古木があった。)
毎年、大晦日に関東八か国の狐が王子の装束榎の下に集まる。
総数千匹余とか。
このときの狐火で明年の吉凶を占ったといいます。

掛け取り
大晦日に提灯を下げて夜更けまで歩いているのはたいてい取り立ての人。
ふだん、ツケ払いで買い物をしていた江戸人にとって、12月が総決算の月。
仮病を使ったり、一晩中のトイレの中にひそんだりの攻防戦も、朝までの辛抱!!

(『一日江戸人』杉浦日向子 新潮文庫 平成17年)

来年も良い年に!広重“王子装束ゑの木大晦日の狐火”」(大阪での放送予定12月28日~31日
今朝の父の一枚です(^^)v
モズ♀を写していました。

日本海側 平地も積雪増 短時間で大雪も 不要不急の外出控えて」(NHK)
天気予報を見ていると大阪もこれから雪が降るみたい
明日の朝、雪が残っていたら雪道での運転は、慣れていないので散歩を諦めないと…
火曜日に歯科、水曜日に血液検査の予定なので三日間も散歩できないかも…

  雪

(前略)

 川端康成の『雪国』が有名になってからはそうでもなくなったが、日本が世界有数の雪国であることは、外国人はもちろん、日本人も、あまり深く認識していなかったのではないかと思う。
日本の最深積雪の記録は、気象観測所では富山県真川の750センチ(昭和20年2月26日)、鉄道の駅では長野県の森宮野原駅の785センチ(昭和20年2月14日)、市街地の気象官署の観測では新潟県上越市(高田測候所)の377センチ(昭和20年2月26日)、山岳測候所では滋賀県伊吹山の1182センチ(昭和2年2月14日)である。
北陸地方の都市のように、人家の比較的密集しているところで、これほど深い雪の降るところは、温帯では他に例が少ない。
 日本の雪国の特徴は、太陽が燦々(さんさん)と輝く冬晴れの地帯と、境を接して共存していることである。
雪国と冬晴れの「天気境界」を横切るのに、汽車で1時間とかからない。
その1時間で、人びとの暮らし方は一変するのである。
太平洋側に生まれ、そこで生活する人は、雪国日本に生まれながら、ついに雪国の暮らしを知ることなく生涯を終える。
表日本と裏日本という言葉が、昔、使われていたが、雪は、日本人にとっては、いつも「裏の問題」として取り扱われがちであった。
 雪に対する美意識というようなものも、表と裏とでは、ずいぶん違う。
「初雪や水仙の葉のたはむまで」「いざ行む雪見にころぶ所まで」は、江戸の芭蕉。
「木の葉はらはらと峰のあらし音ばかりして淋しく、人目も草も枯れはてて、霜降月のはじめより白いものがちらちらすれば、悪いものが降る、寒いものが降ると口々にののしりて、『はつ雪をいまいましいといふべ哉』……」は雪国の一茶。
 しかし、スキー人口の増大したいま、民宿経営の人びとは、その「いまいましいもの」の降るのを願っている。 (倉嶋 厚)
(『四季の博物誌』荒垣秀雄編 朝日文庫 1988年)

スキー30年 盛衰の歴史」(NHK 12月24日)