2021年12月25日土曜日

クリスマス

夜に雨がかなり降ったみたいで木々の枝などに雨粒の飾りがいっぱいついていました。
寒気団の影響で明日は、散歩に来ることができるかな? 
天気が悪いときは家でのんびりします。

数年に一度の強い寒気 日本海側中心に大雪のおそれ 平地でも」(NHK)

気象庁も警戒 大雪の原因“JPCZ”=日本海寒帯気団収束帯とは」(NHK 12月24日)
昨日の天声人語に

クリスマスの祝い方 2021年12月24日
(前略)

▼とはいえこの日と恋愛を結びつけるのは、日本独特の習慣にすぎない。
タラ・ムーア著『図説 クリスマス全史』で、そんなことを改めて確認した。
世界各地の祝い方が、いかに多様かについても知った
▼たとえばアフリカのガーナでは、キリストの誕生にちなんで、助産師をたたえている。
毎年、12月25日に生れた子どもの人数、そして出産にたずさわった助産師の名前が報道されるという。
想像するだけで温かい気分になる。
(後略)
3 マリヤ習俗
 ベツレヘムの宿
 飼葉桶


 伝説によれば、ベツレヘムの洞窟でかなり早い頃から飼葉桶が祀られていたといわれており、ローマでは5世紀にはサンタ・マリヤ・マジョーレ教会で飼葉桶を祀っていた。
ベツレヘムのものをかたどったもので同じ木材を用いていたと伝えられる。
9世紀以降になると飼葉桶や幼児の人形だけでなく、キリスト誕生にまつわるいろいろな人形、しかも等身大の人形が教会に飾られるようになる。
また誕生劇も演ぜられるようになっていく。
クリスマスの歌がさかんに生まれてくるのは、誕生劇で歌うために作られたからだともいわれるほどである。
いわゆるクリスマスの人形は飼葉桶のイエスを中心に、マリヤ、ヨセフのほかに羊飼いたち、東方の博士たちが加わり、ベツレヘムやエルサレムを歩く交易の商人、農民、手工業者、隊商、ヘロデ大王や宮廷の人々、軍隊等々その規模は際限もなく広がり、工芸に精魂をこめ、豪華なものが生れていった。
(『聖母マリヤ』植田重雄 岩波新書 1987年)
 アツシジの聖フランチェスコ(1181-1226)は死ぬ3年前、グレッキオの庵室で、幼児キリストの誕生の最高の祝い方はどうのようにすべきか考えつづけ、その結果、教皇から許しを得て、飼葉桶と麦藁(むぎわら)、牛と驢馬を用意し、子供の人形を寝かせた。
フランチェスコは睡(ねむ)りからさめた赤子をあやすように抱きかかえた。
キリスト誕生の讃歌を教団の兄弟や多くの人々とともに歌ったという。
 この世に人間となって生まれたイエスを最初に受けとった飼葉桶は、キリスト教会では早くから大切にされていたが、聖フランチェスコがわざわざ教会の外で祀ったことは、一つには、多くの附随している人形などから引き離して本来の飼葉桶の意味にさかのぼろうとしたこと、クリスマスの中心的な祭の象徴とすべきことをいったのであろう。
クリスマスツリーが登場するのは、宗教改革が過ぎてからである。
だから長い間飼葉桶はクリスマスの習俗になくてはならぬものとなり、教会の広場で飼葉桶の年の市が立つとともに、さまざまな彫りや飾りを施すきらびやかなものも制作されるようになる。
 人 形

 人間は素朴なものを求め、本来の姿に還ろうとする志向があると同時に、反面多様な変化、濃密なものや華麗を喜ぶ気持もある。
そこには工芸家、彫刻家、画家たちのイマジネーション、時代の趣向、信ずる人々の願いなどがこめられ重なり合って、飼葉桶を出発点とするが、いわゆるクリスマスのベツレヘムの誕生の人形がならべられる。
神の子の誕生(神が人となること)がどんな意味を持っているか、すぐれた神学者、聖職者を除いては、具体的に象徴的に人形や彫刻や祭壇画で示すことによって心情的に理解しやすくなるからで、教会もすすんでこれをすすめた。
それゆえ今日ではクリッペは飼葉桶だけを意味せず、クリスマスの誕生をあらわす人形を意味するようになった。

(「クリスマスの装飾」 ドイツ連邦共和国大使館総領事館)
  このクリスマス人形の多様な形態と種類については驚くばかりである。
一言にしていえば、さまざまな人々、さまざまな土地、さまざまな時代の「想いのあらわれ」というべきであろう。
素朴な基本型としては、飼葉桶にねむる幼児、手を合わせて祈るマリヤとこれを見守るヨセフ、驢馬と牛などである。
   マリヤは飼葉桶のもとにひざまずき
   しずかに天の彼方を見つめる
   マリヤの心は敬虔で浄らかで
   喜びにみちている
   おお、天に神の栄光あれ(グロリア・インエクセルシス・ディオ)!

 このような素朴な民謡がヴェルテンベルク州では家から家へと歌われて祝っている。
 マリヤ迎え
 
 このときのマリヤとヨセフの旅の労苦を偲び、キリストの降誕を祝うクリスマスにさき立って、待降祭(アドヴェント)の季節に「マリヤ迎え」(またはマリヤとヨセフの宿探し)の行事がおこなわれる。
 マリヤ、ヨセフの聖画像をたずさえた子供たちが、他の子供たちの先導で村の家を訪ね歩き、一夜の宿を求める。
 「ヨセフとマリヤはベツレヘムにやって来ました。遅すぎたせいか、泊めてくれる家も部屋もなく、野原で夜が更けました……」
 二組のコーラスが歌で問答する。
 「だれかが戸を叩いている」
 「おお気の毒な方々よ」
 「一体何を求めておられるのか」
 「わたしたちは宿を探しております」
 「お願いです、一夜泊めて下さい」
 「いやそれはなりません」
 「どうかお願いします」
 「駄目です、駄目です」
 「お泊め下さい」
 「なりません、あなた方ははいってはなりません」
 かねてマリヤたちを泊める予定の家の人がマリヤ像を受け取るとき、子供たちが歌う。
 
 おお聖処女マリヤ様、どうか馬小屋でなく
 わたしたちの小さな部屋におはいり下さい!
 蝋燭を点(とも)しましょう
 白いリンネルを机にかけましょう
 心をこめてお泊めいたします
 あなたは遠い旅をして疲れています
 ……
 わたしの家の戸口を通り過ぎないで下さい
 わたしが持っているものをあなたに差し上げるのをご覧ください
 どんなものにせよ
 愛より大きなものがあるでしょうか
 貴い天の客人(まろうど)
 どうぞわたしの家でよい休息をとって下さい!
 マリヤを泊める家では花や乳香・没薬で祭壇をかざり、近所の人々も集まって「ローゼンクランツの祈り」を唱え、和やかな一夜を送り、また次の家へと子供たちが運び、最後には教会に安置しクリスマスを迎える。
このような民間行事の一つの根として待降節の頃「アドヴェントの歌」と称してザルツブルクの劇場では羊飼いの劇などともに上演されている。
 貧しいマリヤとヨセフが旅をしながら神の子を降誕するというテーマは、新しい歳神(としがみ)が訪ねてきて宿を乞う「まれびと」に相通ずるものがある。
聖ニコラウスも聖母マリヤも庶民にとっては季節ごとに訪れる訪問神として受けとめている点も多い。
(『聖母マリヤ』植田重雄 岩波新書 1987年)