2019年10月8日火曜日

今にも降り出しそうで

昨日に比べてどんよりとした空模様
台風からの湿った空気がもう来ているのかな?
蒸し暑かったです。
父と妹と三人で買い物に出かけると本降りになりました。
午後から資料集めに図書室に行くと、
昨日とは逆に半袖では寒さを感じるほど…
台風19号 猛烈な勢力に 週末からの3連休 列島に接近か」(NHK)

強力化する台風 列島上陸リスク増大」(NHK)
地球温暖化の影響は日本に甚大な被害をもたらしているのに
グレタ・トゥンベリさんへの中傷は、日本でもひどい!
日本から「品性ない」発言も…16歳の環境活動家めぐる中傷の声〟(AERAdot.)

16歳の活動家の“正論”への中傷に上野千鶴子が「文句を言うなら国連へ」〟(AERAdot.)
グラフィック版 民話と伝説 第8巻 京都・奈良』より
京のお地蔵さん 駒敏郎」の続きを転記しますφ(..)
延命と子授け
 お地蔵さんの祠に吊されている提灯(ちょうちん)には、たいてい「延命地蔵大菩薩」と書かれている。
『地蔵本願経』に挙げられているお地蔵さんの功徳(くどく)の一つに「現存益寿」というのがあって、これがつまり「延命」にあたるわけだ。
(『グラフィック版 民話と伝説 第8巻 京都・奈良』
  学習研究社 1976年)
 その<延命地蔵>で有名だったのが、壬生寺のかつての本尊、定朝(じょうちょう)作といわれる半跏(はんか)の姿をした端麗なお地蔵さんだった。
 南北朝の頃、宮方の香勾高遠(こうわたかとお)という武士が、敵に追われて堂内へ逃げこむと、寺僧らしい法師が現れて、「その恰好では危い」といって、高遠の血のついた太刀と自分の数珠(じゅず)とを取り替えて去った。
 高遠が一心に経を唱えていると、堂内へはいって来た追手の侍たちは、高遠に目もくれずに出ていった。
そして、血のついた太刀を持っている法師を見つけて、搦(から)め取って引き上げていった。
 ところで、武士たちは法師を縛り上げて牢へほうりこんでおいたのだが、一夜明けると牢内から法師の姿は消えて、異香がただよっている。
これはただごとではないというので、壬生寺へ行ってみると、厨子(ずし)の内のお地蔵さんが、衣の上に縄をまとって坐っていた。
 そんな伝説から、<縄目地蔵>とも<身代り地蔵>ともいわれて有名だったのだが、昭和37年、惜しいことに火災にあって焼けてしまった。
現存の本尊は唐招提寺から移された藤原仏のお地蔵さんで、法量2メートル余の極彩色の立像になっている。
 お地蔵さんの功徳でいちじるしもうひとつは、「子授け」である。
この方でよく知られているのは、四條西大路角の高山寺(こうさんじ)の本尊だ。
このお地蔵さんは、足利尊氏(あしかがたかうじ)が信仰して滋賀県の堅田(かただ)から移したものといわれている。
堅田の頃から「子授け」の霊験があらたかだったらしい話が伝わっていて、のちに足利義政(よしまさ)の夫人日野富子(ひのとみこ)が祈って、一子義尚(よしひさ)をもうけた。
 京都を焼野原にした応仁の大乱は、この義尚が生まれたことが遠因になっているのだから、高山寺のお地蔵さんは日本の歴史を動かしたことになる。
たいへんな「子授け」をしてしまったものだが、授かった子どもがもとで争いを起こすのは人の罪、お地蔵さまは与(あずか)り知らぬところだろう。
 本堂の前には大きな石のお地蔵さんが立っていて、その足もとに百体をこえる小さな石仏が並んでいる。
このあたりの地名が西院(さい)と呼ばれているところから、江戸時代にはここが〝賽(さい)の河原〟だといわれていた。
哀愁をおびた「地蔵和讃」の世界とはおよそかけはなれて、車の音がひっきりなしに聞える境内である。
 『賽河原地蔵和讃』は、空也(くうや)上人の作に擬せられている。
親に先立った子どもたちは、冥途の途中にある賽の河原で小石を積み上げて石塔を作り、そこで地蔵菩薩の救いを受ける。
子どもたちだけに限らず、お地蔵さんは冥界をさ迷う亡者たちの味方だと考えられていた。
寺町三条の矢田寺(やたでら)には、重要文化財に指定されている「矢田地蔵縁起絵巻」があって、地獄で鬼どもの責苦にあう亡者たちを救っているお地蔵さんの姿が描かれている。
 矢田寺は平安京ができた時、大和の矢田寺の別院として建てられた寺で、本尊のお地蔵さんは、焦熱地獄の火焔に立つ姿をしているのが珍しく、<生身(いきみ)地蔵>とか<地獄地蔵>とか呼ばれてきた。
 縁起によると、矢田寺の僧満慶(まんけい)が小野篁(おののたかむら)に案内されて地獄へ行き、火焔の中で亡者を救っているお地蔵さんを姿を見た。
帰ってからその姿を刻ませたのが、大和の矢田寺の本尊で、この寺の本尊はそれを模したものだという。
 継父を殺そうとして誤って実母を殺してしまった康成という若者があって、地獄へおちたがお地蔵さんに救われて蘇生することができた。
縁起の下巻には、その伝説が描かれている。
(『グラフィック版 民話と伝説 第8巻 京都・奈良』
  学習研究社 1976年)

矢田寺を2014年11月25日に訪ねています。
(記事の中で奈良の矢田寺を訪ねた時の記事にリンクをしていますが
その時のblogはプロバイダーのサービス終了でなくなっています)
文中で日野富子の悪女説(応仁の乱の原因となったなど)が書かれていますが、
現在では、日野富子悪女説に対して否定する説が出ています。
私はなぜ悪女になったのか 最新研究 日野富子」(NHK 歴史秘話ヒストリア)
日野富子に関するだけでなくこれまでの俗説に対して批判した
陰謀の日本中世史』(呉座勇一 角川新書)は読みやすいのでオススメです。