風が吹いていないのにそんなに暑くも寒くもない!
でも、被災地ではこれからが心配…
晩餐会どころではないと思うのですが…
「台風21号 24日 小笠原諸島接近の見込み 記録的暴風のおそれ」(NHK)
昨日の各局の放送をチラッと見てすぐに止めたのは
なんか皇室と国民の距離を縮めるよりも
天皇と国民の距離を離そうとするかのような感じを受けたからです。
その点で「天皇ご一家が愛する“那須”」(NHK)がよかったと思います。
再放送は、現在未定のようです(「再放送リクエスト」ボタンはあります)。
(コゲラ)
「安定的皇位継承確保へ 有識者会議設けず専門家から個別聴取」(NHK)
女性天皇に根強い反対がありますね。
「天皇制反対」の人もいますが、
黙っていても女性宮家に反対する勢力があるので
将来、天皇制は消滅すると思います。
女性宮家反対論の人々は、天皇制反対論ではないようですが
天皇制を消滅させようと目論んでいるのだと思います。
武烈天皇のあと後嗣がなく、
探し回って継体天皇をやっと探し出したのですが
現代ではそんなことができるのかな?
また、男系の天皇が続けられたのは側室があったからで
一夫多妻制を天皇に求めるのでしょうか?
(メジロ)
『<こころ>の定点観測』より
なだいなださんの
「社会が病むということ――個人の異常と社会の異常」
の続きを転記しますφ(..)
記者はつぶやいた。
「あのころは、たしかにくるっていたとしかいいようがないな。病気としたらどんな病気ですか」
(『<こころ>の定点観測』なだいなだ編著 岩波新書 2001年)
(ジョウビタキ♂)
「そうですね。あのころの社会でやられていたことは、個人の躁病の考え方や行動パターンに似ていますね」
「躁病ですか」
ぼくはある患者のことを思い出した。
「ぼくはある証券マンを治療した時がありますが、バブルの時代は実に生き生きとしていましたよ。かれは、ずっと会社の二番手の働き頭でしたが、明らかに躁病でした」
「それで」
「でも、躁病のときにはぼくのところに治療を受けに来ませんでした。来たのは鬱病になったときです。かれはバブルがはじける前に鬱病になって入院しました」
「世の中の方はまだバブルを続けた」
「ええ。かれはもういちど躁病になりたかったのです。社会のハイな状態に、ついていけないから、自分が病気だと思ったんです。話を変えますが、能力開発セミナーのことを覚えていますか」
(シジュウカラ)
「そういえば、あのころは能力開発セミナーなどが流行りましたな」
「その集まりから、ぼくたちのところに、よく患者が送られてきました。あのセミナーは、一言でいえば、自分をなんとか躁病にしようとする努力だったといえますね。会社も社員を軽い躁病にするためにセミナーに送り込んだ」
「もう忘れかけていますが、そういう時代がありましたね。駅の前で大声で叫ばせたり、みなの前で、大声で自己批判させたり、たしかにくるっていましたね。いまから考えると、怪しげな人たちが、社会でもてた。経営立て直しの神様のような扱い方を受けたひとさえいた」
「テレビなども、そういう人を、時の人として取り上げたこともありました。明らかにマスコミがサポートしていた」
「そういえば、かつての、その能力開発セミナーの主催者が、ついこのあいだ、ミイラになった人間を、まだ死んでいないと主張する怪しげなグループの長になっていた」
「あの集団もくるっていますね。あのくるいは個人でのパラノイアにあたるといえるでしょう」
「躁病からパラノイアに? 社会全体が、パラノイア的になってきたといえるのでしょうか」
(ノスリ?)
「そういってもいいかもしれません。社会のくるいというのは、社会の主流の考えが偏ることで現れます。バブルのような躁病的な時代は、躁病の人が適応しやすい社会。社会がパラノイアだと、パラノイアの個人が適応しやすい。今は、パラノイア的な宗教セクトが力を持ちやすい時代だといえます」
*
(『<こころ>の定点観測』なだいなだ編著 岩波新書 2001年)
「2つの妄想…パラノイアと統合失調症(上)」(yomiDr.)
父の今朝の一枚です(^^)v
父も雲が面白いといって数カットか写していました。
〇 〇 〇 〇
午後から心臓リハビリでした。
30分間の歩行距離は、2.13㎞、消費カロリーは129kcalでしたp(^^)q
トレッドミルで歩きながら話していたのは(歩きながら話せる負荷で)
逆転人生「中国のカリスマ日本語教師 涙の青春スピーチ」
日本の嫌韓や嫌中は、マスコミの報道に煽られている面があると思います。
その意味で、この番組は一つの良心だと思いました。
2018年3月29日に放送された
「草彅剛の“ニュースな街に住んでみた!”韓国・ソウル」もよかったです。
シリーズ化してくれないのかな?