2019年10月6日日曜日

日向と日陰で…

今朝は曇り空でしたが時折日差しがカーッと照って来た。
一気に秋から夏に逆戻りしたみたいでした(^-^;
台風19号 日本の南の海上で発生」(NHK)
週末あたりに来そうなので注意しないと…

昨日の新潮社宣伝部のPR広告(削除されています)の第一印象は、
ここまでしないと本が売れないんだとビックリした。
本屋で大量にH氏の著書が平積みになっているけど
大量に返本されているのかなと思った。
(私は、H氏の本を読んで時間を無駄にしたくないので読まない)

でもよくよく考えると宣伝部の担当者はH氏の人間性をよく知っているので
このような広告を作成するとH氏は喜ぶことを計算に入れていたと思う。
またH氏の本を読む読者もH氏を常にヨイショしているようだから
今回の件は、奇異な事とは思っていないのと違うかな?
それにしても20人に1万円で20万円の予算なんだな…
100万円位の札束を見せたら迫力があっただろうし
中止にしないでH氏をどうヨイショすると当選するのか
また、どんな応募作品が没になったのかネットで掲載したら
H氏の人格を世間に知らせるいい機会になったと思うけどな…
ついでに表現の不自由展に展示してもいいのではないかとさえ思う。
一方、柳美里さんの賞はいいですよ(^_-)-☆
受賞したら、仙台で、わたしと呑めます。
センスが違うな(^^)v

今昔物語集』よりわらしべ長者の元になった話の現代語訳を転記しますφ(..)
民話では蜂でしたが、今回は、虻(あぶ)が少し登場します。
手に入れる富も「1万円」というみみっちい額ではないですよ!
今昔物語集 巻第十六
 参長谷男依観音助得富語第二十八(はつせにまゐるをとこくわんおむのたすけによりてとみをうることだいにじふはち)


 今は昔、京に父母も妻子もなく、知人もない青侍がおった。
ある時、長谷(はつせ)に参り観音の御前に向かって、「わたくしは貧乏で何一つ貯(たくわ)えもございません。もし現世でこのまま終わってしまうものならば、この観音様の御前で餓死してしまおうと思います。もしまた何とか少しでもお恵みがいただけますならば、そのことを夢でお示しくださいまし。そうしていただかない限りわたくしは絶対にここを出て行かないつもりです」と言って、そこにひれ伏したままでいた。
(『今昔物語集 二 日本古典文学全集22』
  馬淵和夫他校注・訳 小学館 昭和47年)
 寺の僧たちがこれを見て、「このようなさまで伏しているお前はいったい何者だ。食事する所があるとも思えない。もしこのまま死んでしまったら、寺に汚れが生ずるだろう。それにしても、お前の師僧はだれなのだ」ときくと、男は、「わたしは貧しい者です。どなたも師僧と頼むべき方はおりません。ただ観音様におすがり申しておるだけです。食事する所もありません」と答えた。
寺の僧たちはこれを聞いてみな集まって相談し、「この男はひたすら観音様におすがりするだけで他に身を寄せる所もない。これでは寺にとってえらいことになろう。しかたがないから皆で力を合わせてこの男の面倒をみてやろう」と決めて、代わる代わる物を食わせてやると、男はそれを食べながら仏の御前を去らず、昼夜を分かたず祈念していたが、いつしか二十一日に及んだ。
 その明けがたの夢に、御帳(みちょう)の中から僧が現われこの男に、「お前は前世の自分の犯した罪の報いを知らず、やたらに観音を責め申すのは不当なことであるぞ。だが、お前がかわいそうなので少し授け物をしてやろう。そこでお前が寺を出て行く時、たとえどんなものでも手に触れたものがあったら、それを捨てず、それがお前の賜わったものだと思うがよい」とこうお告げになると見て目がさめた。
 その後、いたわってくれた僧の部屋に立ち寄り食べ物を請い、それを食べたあと寺を出て行ったが、大門の所でけつまずいてうつ伏せに倒れた。
起き上がった時、思わず手に何か握っていた。
見れば一本の藁(わら)である。
これがあの賜わり物なのだろうかとは思ったが、夢のお告げを頼みとしてこれを捨てずに持ち帰ることにした。
いつしか夜が明けた。
 すると、虻(あぶ)がやってきて顔の回りを飛び回る。
うるさいので木の枝を折って追い払ったがいつまでも同じように取りついてくるので、その虻の足を捕え、腰の所をこの藁しべでひっくくって持っていると、虻は腰をくくられたままやたらに飛び回る。
 その時、しかるべき身分のある女が車に乗って京からお参りにやってきておった。
その車に簾(すだれ)を頭からかぶった幼児がいた。
美しい子である。
その子が、「あの男が手に持っているのはなに。あれをわたしにもらってきておくれ」と言う。
そこで馬に乗ったお付きの侍が男の所に行き、「そこな男、お前が持っている物を若君がほしいとおっしゃっておいでだ。さし上げなさい」と言う。
男は、「これはじつは観音様から賜わったものですが、せっかくのお召しゆえさし上げましょう」と言って渡すと、「それはまことに殊勝なことだ」と言い、「お前、喉がかわくであろう。これを食べよ」と言って大きなみかんを三つ、かおりのよい懐紙(かいし)に包んで車の中から男に与えた。
それをいただいて、「藁しべ一本が大きなみかん三つになったなあ」と思い木の枝に結びつけて肩に掛け歩いて行くうち、身分のいやしからぬ人がお忍びで侍など連れ、歩いて長谷寺に参詣するのに出会った。
 その人は歩き疲れて息も絶え絶えにすわり込んでしまい、「喉がかわいてかわいて。水を飲ませてくれ、もう死にそうだ」と言っている。
お供の者共はあわてふためき、「この近くに水はないか」と言って大騒ぎして捜してみたが水がない。
「いったいどうしたらいいだろう」と言い合っているところにこの男がそっと歩み寄った。
「この近くにきれいな水のある所を知らないか」ときかれて、男は、「近くには水はございません。だが、いったいどうなさったのですか」と言うと、お供の者たちは、「長谷にお参りなさるお方が、すっかり歩き疲れなされ、喉がおかわきになったので水を捜しているのだ」と言った。
そこで男は、「じつはわたくし、みかんを三つ持っています。これをさし上げましょう」と言う。
その時主人は疲れ果てて気が遠くなっていたが、お供の一人がそばに寄って目をさまさせ、「この男がみかんをさし上げるということでございます」と言って、みかんを三つさし出す。
主人は、「わしは喉がかわいていつか気を失っていたのだな」と言ってそのみかんを食べ、「もしこのみかんがなかったなら、わしは旅の空で死んでしまっていただろう。本当にうれしいことだ。その男はどこにいるか」ときく。
「ここに控えております」と言うと主人が供の者に、「あの男に何をしてやったら喜ぶだろうか。どうだ食べ物などを持ってきたか。食べさせてやれ」と言う。
このことを男に伝えて、竹行李(たけごうり)・皮行李(かわごうり)に入れてきた食物など持ってくる。
すぐにその場に幕を引き畳を敷いたりして昼食を主人にさし上げる用意をし、この男にも食べさせたので男は食べた。
主人は男にきれいな布を三反取り出して与え、「このみかんをもらったうれしさは礼の言いようもないが、こんな旅先ではどうにもしようがない。ただこれはわしの志の一端を表わすだけなのだ。京ではこうこういう所におる。きっとやってこいよ」と言って自分の住まいを告げた。

 男は布三反を取って脇にはさみ、「藁しべ一本が布三反になったのはひとえに観音様のお恵みだなあ」と心中喜んで歩いていくうちに日も暮れてきたので、道のほとりの小さな人家に宿をとった。
夜が明けたので早く起きてまた歩いていくうち、辰(たつ)の時(午前八時)ごろ、りっぱな馬に乗った人がその馬をかわいがり、進みもやらずゆっくり乗り回しながら来るのに出会った。
「じつにりっぱな馬だ」と見ているうちこの馬がにわかに倒れて見る見るうちに死んでいく。
馬の主は茫然とした顔つきで馬から降り立ちすぐに鞍をはずした。
「どうしたらよかろうか」と言ってもかいもなく、馬は死んでしまったので、手を打って泣かんばかりに悔やんだが別に連れていた駄馬に鞍を置き換え、それに乗って行ってしまった。

 供の者は一人(ひとり)その場に残し、「この馬をどこぞ人目につかぬ所へ持って行け」と言い置いたので、供の男は死んだ馬を見守りながら立っていた。
そこへこの男が歩み寄り、「このにわかに死んでしまった馬はどういう馬なのですか」と尋ねると、「この馬は主人が陸奥国(むつのくに)から宝物のようにして連れて上られたのですが、多くの人がこれをほしがって、『金に糸目はつけぬから売ってくれ』と言ったけれど惜しがって売らずに持っておいでになるうち、馬の値(あたい)に絹一疋(いっぴき)さえ取らずにこんなことになってしまったのだ。せめて皮だけでも剝(は)ごうかと思うが、たとえ剝いでも旅先ではどうすることもできないと思案にくれて、ぼんやり立って見ているのだ」と答えた。
この男は、「いやなんともすばらしい馬だなあと見ているうちこんなふうに死んでしまうとは、命あるものというのは不思議なものですね。皮を剝いでもすぐにはものになりがたいでしょう。わたしはこの近くに住んでおるので、皮を剥いでそのあとの仕様があるのです。わたしに与えてお帰りなさったらいかがでしょう」と言ってこの布〔一反〕を〔取らせ〕たところ、供の男は「思いがけぬ儲け物をした」と思い、「相手の気が変わりはしないか」と思ったものだから、布を取るや逃げるように走り去った。
 この死んだ馬を買った男は、「おれは観音様のおさとしにより、藁しべ一本を取ってみかん三つになった。そのみかんが布三反になった。もしかしたらこの馬は仮に死んだだけで、やがて生き返って自分の馬になり、布三反がこの馬になるかも知れない」と、こう思って買ったのであろう。
そこで男は手を洗い口をすすいで長谷の御方に向かって礼拝し、「もしこれがお恵みによるものであるならば、すぐにこの馬を生き返らせてくださいまし」と言って祈念するうち、馬を目を見開いて頭をもたげ起き上がろうとする。
男はそばに寄って手をかけ起こし立ち上がらせた。
この上なくうれしい。
「だれか来たらまずい」と思い、そっと人目につかぬ所に引き入れ、時のたつまで休ませ、やがて元のようになったので人家に引き入れ、あとの布一反で粗末な鞍を求め、これに乗って京の方に上って行ったが、宇治のあたりで日が暮れたので人家に宿り、もう一反で秣(まぐさ)と自分の食糧をととのえ、夜明けて京に上った。
九条あたりに来てある人の家を見ると、どこかへ旅立つような様子で騒ぎ合っている。
 男は、「この馬を京に連れてはいったら、もしかして見知った者に会い、『盗んだのではないか』と言われてもつまらない。だからここで売ってしまおう。旅立ちするところでは馬は必要なものと決まっている」と思い、馬から降りて近寄り、「馬を買いませんか」ときくと、ちょうど馬を求めている時で、この馬を見るとじつにりっぱな馬なので喜んで、「今絹や布などの持ち合わせがないが、この南にある田と米少しと替えてくれまいか」と言う。
男は、「本当は絹や布がほしいのですが、そちらが馬をどうしてもご入用というのでしたら。ともかくおっしゃる通りにいたしましょう」と言った。
そこでその家の主人がこの馬にためし乗りをしてみるとじつに理想的な馬だったの、九条田んぼの田一町と米少しに交換した。
男は譲渡手続きをよく済ませ、京のほんのちょっとした知人の家に行って泊まり、手に入れた米を食料にしていたが、ちょうど二月ごろのことなので、その田をこの近所の人に預けて小作させ、収穫の半分を自分が取り、それを資として生活をしていたが、それからはどんどん豊かになり、家などを建てて何不自由なく世を渡った。
それ以後というもの、すべて長谷観音のお助けであると思い、欠かさず参詣を続けた。
観音の霊験はこのようにたぐいなくあらたかなものであるということをお示しくださったものだ、とこう語り伝えているということだ。
(『今昔物語集 二 日本古典文学全集22』
  馬淵和夫他校注・訳 小学館 昭和47年)