今朝も日差しが厳しくて暑い(^-^;
巻第八(秋の雑歌) 1590
十月(かむなづき)しぐれにあへるもみち葉(ば)の吹かば散なむ風のまにまに
右の一首は、大伴宿祢池主(おおとものすくねいけぬし)。
十月のしぐれに逢った黄葉は、風が吹いたら散ってしまうだろう。
風の吹くままに。
▽平安時代の歌学では、「しぐれ」といえば「十月であった。
万葉集では、十月以外に、「九月のしぐれ」と言う場合もある。
「しぐれにあふ」という言い方も珍しい。
「風のまにまに」も、万葉集に唯一の例である。
作者大伴池主は漢詩文に通じ、のち天平18年に越中守として赴任した家持を下僚(かりょう)の掾(じょう)として迎え、詩や漢文書簡などを贈答した。
(『万葉集(二)』佐竹昭広他校注 岩波文庫 2013年)
万城目学さんのTwitterに
さあ、神無月だ――鹿せんべいも今日から200円。
増税だよ、先生。
万城目さんの読者はすぐに『鹿男あをによし』を思い出したようです(*´▽`*)
この本を携えて奈良を歩きたいな…
東京新聞労働組合のTwitterに
結局のところ、ポイント還元は本当に貧しい人には手が届かない。
考案者は、本当に貧しい人たちの暮らしが想像できないのではないか
看護師・宮子あずささんのコラム 東京新聞 9月30日朝刊
(宮下あずささんのコラム画像)
(宮下あずささんのコラムより)
さらに言えば、消費税は福祉目的税だったのでは?
だったら、介護保険の切り捨てはなぜ起こるのか。
怒りがふつふつと湧いてくる。
私は、スマホではないし、クレジットカードは、
個人情報がいつ流失するかわからないので使ったことがない。
また、プリペイドカードはICOCAとイオンカードの二つだけ。
(タデアイ タデ科)
土曜日のNHK「おはよう日本」で
「ドナルド・キーン 未公開書簡が語る“平和へのメッセージ”」
が取り上げられていて、その記事がアップされています。
“立場や考え方が違っても、話せば何か解決策に到達することができるはずだ。”
『古事記物語』より「6 高天原お使いたち」の続きを転記しますφ(..)
高天原から来たお使いたちは、またオオクニヌシノ神に向かって、
「まだこのほかにも、相談をしてみたい子どもがいるのか?」と、ききましたので、
「もうひとり、タケミナカタノカミ(建御名方神)という子どもがおります。それだけです」と、答えました。
(『古事記物語』福永武彦
岩波少年文庫2063 1957年 1985年改版)
ちょうどその時、浜づたいに、今言われたばかりのタケミナカタノ神が、千人力でやっと動くほどの大岩を、かるがると片手でさしあげながら、あらわれました。
「なに者だ、わが国に忍(しの)びこんで、こそこそしゃべっているやつは? わが国を取ろうというのなら、力くらべで勝負をきめてからにしろ。おれが先に、おまえの手をにぎりつぶしてやろう」と、大声で呼ばわると、剣の切先の上にあぐらをかいていた、タケミカズチノ神の手をぐいとつかみました。
ところがなんとしたことでしょう、タケミカズチノ神の手は、たちまち氷の柱にかわってしまいました。
と思うまもなく、こんどは切れ味のするどい剣の刃にかわってしまいました。
せっかくいばったタケミナカタノ神も、これではかないません。
すっかりこわくなって、しりごみしますと、タケミカズチノ神が、
「さあ、こんどはおれの番だぞ」とさけんで、相手の手をす早くつかみました。
そして、まるで若いアシの茎でも手に取ったように、一息にその手をにぎりつぶして、ぽいと投げすてました。
力持ちのタケミナカタノ神も、すっかりこわくなって一目散(いちもくさん)に逃げ出しましたから、タケミカズチノ神はそのあとを追いかけ、とうとう信濃(しなの)の国の、諏訪湖(すわこ)まで追いつめました。
ここでとうとうつかまえて、今にも殺そうとしましたから、タケミナカタノ神もおそれ入って、
「どうか命ばかりは助けてください。この信濃の国からは一歩も出ないことを誓います。おとうさんやおにいさんの言うとおりに、この豊葦原の国は、天の国も神の御子(みこ)にさしあげることにいたしますから」と言って、降参しました。
そこでタケミカズチノ神は、またオオクニヌシノ神のいるところまでもどり、
「おまえの子どもたちは、ふたりとも、神の御子のおおせに従うことを約束した。おまえ自身はどう思うのか?」と、ききました。
オオクニヌシノ神はそれに答えて、
「子どもふたりの申しましたとおり、わたしもこの国をさしあげますことに、異存はございません。ただ、わたしの住む場所のために、地の底まで柱がとどき、高天原まで屋根がとどくほどの、大きな、りっぱな神殿をつくって、わたしをお祭りしてください。そうすればわたしは、地の底の、まがりくねった道をたどって、黄泉(よみ)の国へ身をかくすことにしましょう。わたしには百八十人の子どもたちがおりますが、ヤエコトシロヌシノ神がおつかえしました先例にならって、だれひとりご命令にそむく者はおりますまい。」
こう言って、この世を去ってしまいました。
そこでオオクニヌシノ神のために、出雲の国の、多芸志(たぎし)の浜べに、りっぱな神殿をたて、クシヤタマノカミ(櫛八玉神)を、お供物(くもつ)をつくる料理人にして、ごちそうをそなえました。
クシヤタマノ神が、身をウの鳥にかえて海の底をくぐり、海の底のどろをくわえて来て、それで八十の平たい器(うつわ)をつくりました。
また海の底から海草を切り取って来て、それでうすやきねをつくりました。
そしてうすをきねで打って火を切り出し、祝詞(のりと)というお祈りのことばをのべました。
(ヤブマメ マメ科)
その祝詞は、
「ここにわたしの切り出す火は、高天原に向かっては、天の御殿の台所の煙出(けむりだ)しのまどに、すすがいっぱいたまるまで、煙が立ちのぼるように、また地にあっては、かまどの下の深い深いところにある土が、焼けこげて岩のようにかたまるまで、もやしつづけましょう。そして海の底のあみを引く漁師(りょうし)が、次から次と水あげした、口の大きな魚のスズキを、この火でもって料理したうえ、竹ではった台の上に山もりにもりあげて、おいしい魚のごちそうをさしあげましょう」というような意味でした。
こうしてお使いのタケミカズチノ神は、高天原にもどって、豊葦原の国がすっかりおだやかになったことを、神々に報告しました。
(『古事記物語』福永武彦
岩波少年文庫2063 1957年 1985年改版)
『《新潮日本古典集成》古事記』より注記を転記しますφ(..)
・建御名方(たけみなかた)の神 長野県諏訪市の諏訪神社上社の祭神。「御名方」は「南方(みなかた)」で、本来、製鉄炉を囲む四本の押立柱のうち、特に神聖視された南方の柱の意。諏訪地方土着に南方(みなみかた)族に奉斎された製鉄神の鎮座縁起譚(えんぎたん)でもある。
(『《新潮日本古典集成》古事記』西宮一民 新潮社 昭和54年)
*信濃国の諏訪から出雲に帰った建御雷神は、いよいよ最後に、大国主神にその本意を問いただす。
大国主神は帰順の意を表し国譲りを受託するが、条件を出す。
それは、隠退の住居を天つ神の御子の宮殿のように壮大に造ってほしいという要求であった。
天照大御神はその要求を許す。
その結果、多芸志(たぎし)の小浜(おばま)に大国主神の神殿を建てることができ、櫛八玉(くしやたま)神が神饌(しんせん)を供え、献饌(けんせん)の寿詞(じゅし)を唱えて、大国主神を祀った。
出雲大社の縁起譚であるが、これには出雲国造(いずものくにのみやつこ)がその祭祀を頑強に守ったことの事実が背景にあったと思われる。
(『《新潮日本古典集成》古事記』西宮一民 新潮社 昭和54年)
(ガマズミの果実)
『古事記物語』からの転記を終わります。
この後も面白い物語が続きますので、ぜひ本を手に取って読んでみてください。
古事記や万葉集を読んでいると、中国や朝鮮との交流が描かれていますし、渡来系の人々の活躍を知ることができます。
今のような不幸な時代よりも友好の時代の方が長いのです。