今朝、5時前に戸を開けると肌寒く感じました。
午後から予約していた本を受け取りに出かけると
一気に気温が28度になっていた(^-^;
「台風19号 週末からの3連休に列島に接近するおそれ」(NHK)
なんか嫌な進路をとるな…
しばらくお会いできなかった親子に出会いました。
お話を聞くと、今まであまりの暑さに外に出ることができなかったけど、
今朝は、涼しかったので出かける気持ちになったそうです。
距離を歩けなくても外の景色を見るだけでも気分が違いますよねと話していました。
また、お会いしましょうと声をかけあってお別れしました。
昨夜の「情熱大陸 内藤いづみ」
死を迎えるのに内藤先生のような方に出会えると幸せだろうな…
母もお風呂に入れてあげたかった。
「卒業証書」っていいなぁ。
2019年10月13日 22:59 まで無料で見ることができます。
#1071「在宅ホスピス医・内藤いづみ」
小さなオスの命がけの交尾
秋、ジョロウグモなどの網には、大きなクモの周辺に何匹かの小さなクモが同居している。
小さなクモはオスで、若い頃はちゃんと網を作って生活していたのだが、大人になるとメスを求めて放浪の旅へと出発する。
メスの網をみつけるとそこに居座って、交尾するチャンスを待つのだ。
ところでクモの交尾は、オスがスポイトのようになった触肢の先端に自分の精子を入れ、それをメスの腹部の腹面にある生殖口に挿入して、精子を注入する。
(『虫のおもしろ私生活』ピッキオ編著 主婦と生活社 1998年)
虫を捕らえて食べるクモの世界では、オスがメスの腹の下に潜り込むことは危険きわまりない。
そのためクモには、メスの攻撃衝動を抑えるための様々な求愛行動が知られている。
音や振動、視覚的な信号はもちろん。
糸でくるんだ食べ物をメスに与える求愛給餌や、メスを儀礼的に糸で縛る(?!)種類させある。
ちなみにジョロウグモは、メスが脱皮直後でまだ体がやわらかい時期や、無心に食事をしている間に交尾を済ませる。
(『虫のおもしろ私生活』ピッキオ編著 主婦と生活社 1998年)
2014年3月11日に壬生寺を訪ねたときに「千体仏塔」を見上げたのですが
由来などは分かりませんでした。
『民話と伝説 第8巻 京都・奈良』(絶版)を図書室で読むと
千体仏について書かれていたので転記しますφ(..)
京のお地蔵さん 駒敏郎
町角のお地蔵さん
旅行者には、京都はずいぶん石地蔵の多い町に見えるらしい。
住んでいると、生活の中にも風景の中にもしっくりと溶(と)けこんでしまっているので気にならないのだが、たしかにお地蔵さんを祀(まつ)る祠(ほこら)がいたるところにある。
実際、歩いていていったん意識に上ると、いくらでも目につく。
町角や民家の軒かげ、ふと覗(のぞ)いた露路の奥などにも、小さいけれどもちゃんと屋根がついて格子のはまった祠がある。
しかも、誰かが毎日世話をしているらしく、花筒の花はしおれていないし、供えられた水も清らかである。
(『グラフィック版 民話と伝説 第8巻 京都・奈良』
学習研究社 1976年)
祠は町内にひとつは必ずあるといってよいほど、ひとつの祠には一体から三体くらいのお地蔵さんが納まっているのだから、全市ではおびただしい数になるわけだ。
京都の町なかの道路は、車がすれちがうのも難しいほどに狭く、家々はぎっしりと壁を接して立ち並んでいる。
空地などは薬にしたくても見られないそんな町なかでも、お地蔵さんの祠は建っている。
隣り合った家々が地境を少しずつ割(さ)き合ったり、塀を少しくぼませたり、建物の中へ組みこんだり、知恵をしぼって祠を残しているのである。
単に数が多いだけではなくて、その多いお地蔵さんを実に大切にしているのが、京都という町なのだ。
明治の末から大正にかけて、京都は市街の整備のために主な道路の拡張工事をやり、豊臣秀吉が築いたお土居(どい)の一部をこわした。
その時、土の下からたくさんの石地蔵が出てきたそうだ。
いくら何でも町内では祀りきれないので、まとめて寺々は納めることにした。
壬生寺(みぶでら)の境内にある千体仏塔は、そのようにして昭和4年にでき上がったものである。
誰がいつの頃に刻んだのか判らない石のお地蔵さん、おそらくその小さな仏のかたちは、亡くなった人たちへの供養の心をこめて作られたのだろう。
おびただしい石のお地蔵さんは、おびただしい人の死を物語っている。
永いあいだ唯一の都市だった京都では、大勢の人が生まれ、暮し、そして死んでいった。
飢饉(ききん)・疫病・鴨川の氾濫などで、数万人が死んだこともあった。
そうした悲惨な事件のあと、生き残った人たちは、還(かえ)らぬ肉親たちの冥福(めいふく)を祈って石のお地蔵さんを刻んだのだろう。
うららかな陽の下に並ぶ千体仏塔のお地蔵さんたちは、務(つと)めをはたした安らぎをただよわせながら、もう目鼻もおぼろげに元の石に還ろうとしている。
土の下から現れたこれらのお地蔵さんには、語り伝えられるものは何もないが、煩(わずら)わしい人の世に残って、限りない庶民の願いや祈りを聞きつづけているお地蔵さんたちがいる。
さまざまな伝説に彩られているのは、そのお地蔵さんたちである。
(『グラフィック版 民話と伝説 第8巻 京都・奈良』
学習研究社 1976年)
今朝の父の一枚です(^^)v
コサギを写していました。
「進次郎 ニューヨークへ ~担当記者同行記~」(NHK)
というレポートのタイトルを見てヨイショかなと思ったけど
とっても素直な記事で面白かったなぁ
2回目も素直な感性で書いた記事を載せることがでたらいいのだけど…