2019年10月10日木曜日

今日までかな?

青空でしたが、これから台風19号が接近してくる。
台風19号 土曜から東日本に接近へ あすまでに備えを」(NHK)

今朝のEテレ0655の番組冒頭で「十月十日 朝」
「朝」を分解すると「十・日・十・月」となると教えてくれた!
今まで気がつかなかったなぁ
ちょっと見方を変えると今までと違ったものが見えてくる(^^)v
ノーベル化学賞に「リチウムイオン電池」開発の吉野彰さん〟(NHK)
身の回りにある様々な機器を見ると「リチウムイオン電池」がなければ動かないものがいっぱい
先日、四天王寺にお参りに行ったときに電池切れになったけど
それもリチウムイオン電池
私たちの生活は、吉野さんの研究・開発の恩恵をいっぱい受けている。
企業内で研究は大変な制約があると思う
田中耕一さん「世界の最先端走っている うれしく思う」〟(NHK)
利益を上げなければならないというプレッシャーはすごかったと思う。
吉野彰さんが会見「売れない時期は苦しみ」〟(NHK)
会見の中で吉野彰さんも今の日本の研究力の低下を危惧されています。
そして吉野さんは、
リチウムイオン電池はまだまだわかっていないことが多い。原点に戻って知る必要がありそこから今までとは違う発想がでてくる可能性もあるので、わくわくしている
と仰っていました。
ビックリしたのは電機メーカーのソニーやパナソニックなどではなく「旭化成」なんだ!
コサメビタキかな?
昨日「レディ・マエストロ」を見たのだけど
日本の映画で「蜜蜂と遠雷」も評判がいいみたいです。
恩田睦さんの原作を読んでいて見たい気もするのですが
原作の登場人物のイメージが脳内で出来あがっているので見ないと思う…(^^ゞ
というのも映画の公式サイトを見ると「浜崎奏(かなで)」役を誰がするのかわからない…
映画の中であまり重要な位置にいないのだろうか?
でも、重要な登場人物だと思うのだけどなぁ
原作が映画化されると、監督の解釈が入ってくる当然のことだと思う。
それが許されないのなら見ない方がいい(^_-)

原作の中から好きな文章を転記しますφ(..)
 さあ、行くぞ。
 マサルはハアッと低く息を吐き出し、続いてすうっと深く吸いこんだ。
 人間の呼吸は「吸って、吐く」のではなく、「吐いて、吸う」のが基本なのだそうだ。
 赤ちゃんはこの世に生まれてくる時、大声で泣き叫ぶ。
出てくる時にまず「吐く」のだ。
 そして、人生の最期には、すっと「息を引き取る」。
最期には「吸う」のだ。
(『蜜蜂と遠雷(下)』恩田陸 幻冬舎文庫 平成31年)
ここを読んだときに母の最期を思い出しました。
十日は母の月命日
10月7日(月)の記事在宅ホスピス医の内藤いづみさんを紹介しました。
思い出したのが日野原重明さんの『死をどう生きたか 私の心に残る人びと』です。
日野原さんの著書はこの本が初めて読んだ本で、強い印象があります。
特に冒頭の
死を受容した十六歳の少女―担当医としての最初のハプニング
転記していても胸が痛くなる話ですが、数回に分けて紹介したいと思います。
死を受容した十六歳の少女―担当医としての最初のハプニング
45年前のこと
 昭和12年の3月に私は、京都大学医学部を卒業して、4月に同大学真下内科に入局した。
最初に医局長から担当を命ぜられた患者は、先天性のフリードライヒの運動失調症を病む中年の婦人の学用患者であったが、もう一人は女工をしていた16歳の少女である。
(『死をどう生きたか 私の心に残る人びと
  日野原重明 中公新書 1983年)
 この運動失調症の患者、不治の患者であるが、診断学の教材になるというので、学用患者として、過去2、3年のあいだ入院しており、新入局の医師が、二ヵ月くらいずつ交代して担当させられていた。
 もう一人の女工の患者は、4月中旬に鼓腸と体重減少を訴えて、母親に連れられて、京都大学附属病院外来で受診し、結核性腹膜炎と診断されて、すぐに南病舎の8人部屋に入院させられた少女である。
 当時は、義務教育は小学校までであり、彼女は貧困な家庭に育ったので、小学校を出るとすぐ滋賀県の彦根の近くの紡績工場に働いてて、病気になったのである。
  彼女は眼の大きい美しい少女であったが、腹痛と嘔気(おうき)のために、食事があまりとれず、頬はそげ、眼のまわりにはくまが見られた。
 当時、新入局の医師一人の受け持つ患者の数は、わずか2、3人にかぎられていた。
しかし患者の尿や便、腹水や髄液などの検査は、すべて担当医が行っていたので、患者の数は少なくても、医師のしなければならない仕事はけっこうたくさんあり、たいていの若い医師は、夜8時過ぎまで病棟に残って仕事をしていた。
 新入局者は、交代に当直をするのであるが、日曜日の当直は、二ヵ月に1回くらいしかまわってこなかった。
しかし、入局当初は、日曜日も病棟に出かける同僚が多かった。
(『死をどう生きたか 私の心に残る人びと
  日野原重明 中公新書 1983年)
今朝の父の一枚です(^^)v
父は、遠かったこともあってハクセキレイだとばかり思っていたようです。
(コンデジの焦点距離が28mm~112mm相当)
キセキレイだと分かって喜んでいました(*´▽`*)