2019年10月2日水曜日

台風の影響かな?

モズが帰って来てくれました。
でも、90mmでは遠いな…
今朝も蒸し暑かったのは台風の影響かな?
大阪では台風18号の影響はあまり感じないけど
場所によれば竜巻などが起きる可能性もあります。
台風18号 九州北部や四国で大雨のおそれ 土砂災害など警戒」(NHK)
スズメガの仲間の幼虫だと思いますが…
キンモクセイの葉をムシャムシャ食べていました。

というわけではないのですが(^_-)
昨日のサラメシで赤木春恵さん愛したお店は「盛京亭(せいきんてい)
一度、食べに入ったお店です(2017年12月28日の記事)。
お昼はサービスランチだけですが、美味しかったですよ(^^)v
伊是名夏子さんのTwitter

今日(10月1日)から沖縄のモノレール、ゆいレールが延長になりました!
なんと新しい駅ではすべて、ホームと車両の間に段差がなく、車いすでもすぐに乗れます!
さいこー!段差がないのは、子どもにも、足元おぼつかない人にでも、誰にとってもいいよね。
これが広まってほしいです。
ありがとうゆいレール!

香港の周庭(アグネス・チョウ)さんのTwitterは、読んでいて胸が痛むけど
今、闘わないと自由が奪われる若者たちの緊迫感が伝わってきます。
知らぬ間に戦前の道を突き進んでいる日本と重なってきますし
昔読んだ「世界」に連載された『韓国からの通信』を思い出します。
小泉八雲の短篇に京都を舞台にした物語「果心居士のはなし」(奇談)があります。
読んでいて織田信長と明智光秀の評価が出ていて面白いなと思いました。
僕は明智光秀が好きなので(^_-)
2回に分けて転記したいと思いますφ(..)
果心居士(かしんこじ)のはなし
 天正(てんしょう)年間、京都の北のほうの街に、みんなから果心居士と呼ばれている、一人の老人が住んでいた。
ながい白い顎鬚(あごへげ)をはやし、いつも神官のような身なりをしていたが、じつは仏画を見せ、仏の教を説いて、生計をたてていた。
いつも天気のよい日には、祇園のやしろの境内に行って、いろいろな地獄の罰を描いた大きな掛物を、そこの木につるすのが常だった。
この掛物は、じつみごとに描いてあったので、画中のものはことごとく、生きているように見えた。
そして老人は、それを見に集まってきた人たちにむかって説経し、因果応報の理を説くのであった。
――つねにたずさえている如意(にょい)で、さまざまな責苦をいちいち細かにさし示して、すべての人が仏の教に従うように勧めた。
おおぜいの人たちが集まってきてこの絵を眺め、老人の説教を聞いた。
それで、ときには、喜捨を受けるために老人のまえに広げてある茣蓙(ござ)が、投げだされた銭の山に覆われて、見えなくなるようなこともあった。
(『怪談・奇談(書籍版)』ラフカディオ・ハーン著、
  田代三千稔訳 角川文庫 昭和31年)
 織田信長はその当時、京都とその付近の国々を治めていた。
彼の家臣の一人の、荒川という者が、祇園のやしろに参詣の途中、たまたまこの絵が広げられているのを見て、あとでそのことを御殿で話した。
信長は、荒川の話に興味をおぼえ、人をやって、果心居士に、その掛物をたずさえてただちに御殿に参上するよう、命じさせた。
 掛物を見ると、信長は、その絵がいきいきとして真に迫っているのに、驚嘆の色を隠すことができなかった。
鬼や苦しめられている亡者が、目のまえでほんとうに動いているようであり、その叫び声が、絵のなかから聞こえてくるような気がした。
それに、そこに描いてある血も、じっさいに流れているようであった。
それで彼は、その絵が濡れているのではないかと、指をさし出して、さわってみないではいられなかった。
しかし、指は汚れなかった。
――紙はすっかり乾いていたからである。
ますますおどろいて、信長は、だれがこんなすばらしい絵をかいたか、と尋ねた。
果心居士は、これは有名な小栗宗丹(おぐりそうたん)が、百日のあいだ、毎日斎戒(さいかい)の式をおこない、非常な苦行をつんで、霊感をさずかろうと清水寺の観音さまに一心に祈願をこめたのち、描いたものだ、と答えた。
 信長が、いかにも、この掛物を手に入れたそうにしている様子を見てとって、荒川は、果心居士にむかって、この絵を贈り物として、信長公に「献上」してはどうかと言った。
しかし、果心居士は、臆するところもなく答えて言った。
「この絵は、てまえが所持いたしておる唯一の貴重な物でして、これを人さまのお目にかけて、すこしばかりの金を儲けているのでございます。
いま、これを公に献上するといたしますれば、てまえのたった一つの糊口の途も、失ってしまうわけでございます。
しかしながら、公がたってのお望みとあれば、これにたいして、黄金壱百両をいただくよう、お取計らいのほど、お願い申し上げます。
それだけのお金があれば、なにか儲けのある商売でも、はじめられましょう。
さもないと、この絵を手放すことは、おことわりいたさねばなりません」
 信長は、この返答が気に入らないようで、黙っていた。
やがて、荒川は公の耳に何かささやいたが、公はうなずいて、承諾の意をしめした。
それから、果心居士は、すこしばかりの金をもらって、御前を引きさがった。
 しかし、老人が御殿を立ち去ると、荒川はひそかに果心居士のあとをつけて行った。
――よからぬ手段で、絵を奪いとる機会があるだろう、と思ったのである。
やがて、その機会がきた。
果心居士は、たまたま、町のむこうの高地へまっすぐに通じている道をとったからである。
彼が、きゅうに道が曲がった丘のふもとの、ある淋しい場所にさしかかると、荒川につかった。
荒川は果心居士にむかって、こう言った。
「どうして、貴様は、その絵に黄金百両を請求するような、欲ばったやつなのだ? 黄金百両のかわりに、この三尺の秋水(しゅうすい)をくれてやろう」こう言って、荒川は刀を引き抜き、老人を殺して絵をうばった。
 あくる日、荒川は、その掛物を、果心居士が御殿を去るまえに包んでいたそのままで、織田信長に献上した。
すると信長は、ただちにそれを掛けるように命じた。
ところが、広げてみると、絵はまったく消えて、ただ白紙だけなのに、信長も荒川もびっくりしてしまった。
荒川は、どうしてもとの絵が消えうせたか、説明することができなかった。
そうして、故意であろうとなかろうと、主君をあざむく罪を犯したのであるから、処罰されることにきまった。
そこで、かなり長いあいだ、幽閉を仰せつけられた。
 荒川が幽閉の期を終えるか終えないうちに、果心居士が北野神社の境内で、あの有名な絵を、人々に見せているという知らせが、彼のもとにとどいた。
荒川は、ほとんど自分の耳を信ずることができなかったが、この知らせを聞くと、どうにかして掛物を手に入れ、それによって、さきほどの失策の埋め合わせができるかもしれないという望みが、漠然と湧いてきた。
そこで、彼は、すばやく幾人かの手下の者を集めて、神社にいそいで行った。
しかし、そこに着いたときには、果心居士はもうどこかへ行った、という話であった。
 数日たってから、果心居士が、清水寺であの絵を見せながら、おびただしい群集にむかって説教をしているということが、荒川につたえられた。
荒川は、大急ぎで清水寺に駆けつけたが、着いたときは、ちょうど、みんな散っているところだった。
――果心居士は、またもや姿を消していたのである。
 とうとう、ある日のこと、荒川は思いがけなく、ある酒屋で果心居士を見つけて、その場で捕らえた。
老人は、自分が捕まったのに気がつくと、ただ機嫌よく笑って、それからこう言った。
「いっしょに参りますが、すこしお酒をいただくまで、どうかお待ちください」この頼みに、荒川はなんの苦情も言わなかった。
そこで、果心居士は、大盃で十二はいも酒を飲んで、あたりの者をおどろかした。
十二はい目を飲みほすと、これで満足だと言った。
それで荒川は、手下の者に果心居士を繩でしばらせて、信長のお屋敷に連れて行かせた。
(『怪談・奇談(書籍版)』ラフカディオ・ハーン著、
  田代三千稔訳 角川文庫 昭和31年)
今朝の父の一枚です!
シジュウカラを写すことができて喜んでいました(*´▽`*)

〇 〇 〇 〇

午後から心臓リハビリ
30分間の歩行で2.16km、消費カロリーは130kcalでしたp(^^)q
トレッドミルの間、理学療法士のNさんと話がをするのですが
話していても息苦しくないレベルで歩けるように気をつけています。
万城目学さんのTwitterで呟いておられたことなどを話していました(*´▽`*)
そして消費税は確か福祉などの財源にすると聞いていたけど
何故、介護や医療が削減されるのかとボヤいてしまいました!