2019年9月9日月曜日

九月九日

今朝も残暑が厳しくて酷暑ですが
暦の上では昨日が「白露(はくろ)」で、
今日は五節句の一つで「重陽(ちょうよう)の節句

九月節句
 旧暦九月の九日および十九日・二十九日の行事。
九月九日は陽数(奇数)の極である九が重なるため、重陽とも呼ばれる。
(『三省堂 年中行事事典(旧版)』
  田中宣一、宮田登 編 三省堂 1999年)
 『荊楚(けいそ)歳時記』によると、中国では九月九日に香気の強い茱萸(しゅゆ)(山椒<さんしょ>のこと)を身につけて高所に登り、菊酒を飲む物を食べると長寿になると信じられていた。
この日、菊を用いる風習は早くより日本の宮中行事にも取り入れられ、平安時代になると九月九日が重陽節として節日(せちにち)に数えられ、貴族たちの間ではこの日に茱萸を頭にさして邪気を避けたり、宴を催して菊酒を飲むほか、綿を菊花にかぶせてその露でぬれた菊綿というもので肌を撫でて長寿を願うことなどが行われた。
江戸時代になると五節句の一つとして幕府の式日に加えられたこともあって、地方の武家の間にも少しずつ浸透し、その影響は一般の人々にもおよんだ。
しかし、都市部の人々や、農山村部でも一部の人々には重陽の節供として菊酒を飲んだり菊花をめでる風が生じたが、多くの人々の間では菊にまつわることは一般化せず、九月九日を節日とする感覚だけが受容されたようである。
その結果、暦の普及とともに九日のほか同じ九のつく十九日・二十九日に、前々からこのころに行なわれていた収穫感謝のさまざまな祭事が習合し、民間の九月節供を彩ることになったかと思われる。
 東北地方では九日・十九日・二十九日をクニチゼック・ミクニチなどと総称して餅を搗(つ)くが、このうちの一日(オトグンチと呼ばれる二十九日が多い)を刈上げ祝いの日として盛大に祝う。
この日は、岩手県では「橋の下の乞食さえも餅を搗く」といっていたように必ず餅を用意すべきと考え、新米で搗いた餅を臼などにのせて田の神に供えたり、家族皆で腹いっぱい食べたり、秋田県のように節供礼として嫁に持たせて里帰りさせたりしていた。
刈上げ祝いの日に田の神が山に戻るという伝承も広く分布している。
宮城・福島県などには九日に新藁で屋敷神の屋根をふき替え、赤飯を藁苞(わらづと)に入れて供える例が多い。
関東地方でもこれらの日に刈上げの祝いをしている所は多い。

稲わらで熟成する手作り納豆その1. 藁苞作り」(Natural Quest)
これとは別に、愛知県三河地方南部では九日をオカズラゼックと呼んで、子供たちが人形を作って各家を持ち歩いたり、静岡県伊豆地方では家族の人数分の人形を作って海に流したりしていた。
餅を搗くほか、茄子(なす)を食べるべきだとする伝承も広く、また関西地方には栗節供などといって栗を食べる例も少なくない。
一方、九州地方北部では、オクンチと通称する神社の秋祭りを賑やかに執行し、地域の観光行事ともなっている。
長崎市の諏訪神社の祭りや佐賀県唐津市のオクンチはとくによく知られている。
鹿児島県各地のホゼと呼ばれる収穫祭の要素をもつ秋の行事も、同じく九月の九日・十九日・二十九日に行われることが多い。
旧暦九月は、東北地方では稲の実際の収穫月であるとともに、霜月祭りの物忌み開始期でもあったかと推測されており、全国的に稲の祭りにとっては大切な時期であった。
  (田中)
(『三省堂 年中行事事典(旧版)』
  田中宣一、宮田登 編 三省堂 1999年)
森鴎外「最後の一句」の続きですφ(..)
 桂屋にかぶさって来た厄難(やくなん)と云うのはこうである。
主人太郎兵衛は船乗とは云っても、自分が船に乗るのではない。
北国通(ほっこくがよ)いの船を持っていて、それに新七と云う男を乗せて、運送の業を営んでいる。
大阪ではこの太郎兵衛のような男を居船頭(いせんどう)と云っていた。
居船頭の太郎兵衛が沖船頭(おきせんどう)の新七を使っているのである。
(『山椒大夫・高瀬舟』森 鴎外 
  新潮文庫 昭和43年 平成18年改版)
 元文元年の秋、新七の船は、出羽国(でわのくに)秋田から米を積んで出帆した。
その船が不幸にも航海中に風波の難に逢って、半難船の姿になって、積荷の半分以上を流出した。
新七は残った米を売って金にして、大阪へ持って帰った。
 さて新七が太郎兵衛に言うには、難船をしたことは港々で知っている。
残った積荷を売ったこの金は、もう米主(こめぬし)に返すには及ぶまい。
これは跡(あと)の船をしたてる費用に当てようじゃないかと云った。
 太郎兵衛はそれまで正直に営業していたのだが、営業上に大きな損失を見た直後に、現金を目の前に並べられたので、ふと良心の鏡が曇って、その金を受け取ってしまった。
 すると、秋田の米主の方では、難船の知らせを得た後に、残り荷のあったことやら、それを買った人のあったことやらを、人伝(ひとづて)に聞いて、わざわざ人を調べに出した。
そして新七の手から太郎兵衛に渡った金高(かねだか)までを探り出してしまった。
 米主は大阪へ出て訴えた。
新七は逃走した。
そこで太郎兵衛が入牢してとうとう死罪に行われることになったのである。
北国通い 東北・北陸地方から日本海を経て下関から瀬戸内海を通って大坂にいたる航路。

居船頭 江戸時代、船には乗り込まない船の所有者のこと。廻船所有者。

沖船頭 江戸時代、実際に船長として、船に乗り込む船の責任者のこと。

出羽国 東山道八カ国の一つで、今の山形県、秋田県の大部分。
(『山椒大夫・高瀬舟』森 鴎外 
  新潮文庫 昭和43年 平成18年改版)
今朝の父の一枚です(^^)v
台風関連のニュースを見ていた父が、
「なんで、会社は休みにならないのだろう」と嘆いていました。
日本人はこうまでして働かなければならないのだな…
台風影響 交通機関 徐々に運転再開も混乱続く