2019年9月16日月曜日

敬老の日

今朝も青空が広がっていました。
実は、今日は「敬老の日」の振り替え休日だと思っていました
と言うのも9月15日だという意識が残っている(^^ゞ
で、旧版の本より転記しますφ(..)
敬老の日
 国民の祝日の一つで、9月15日。
「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う」日として、昭和41(1966)年に「国民の祝日に関する法律」によって定められた。
この日を含むその後の一週間を老人福祉週間とし、人々が老人福祉について深い理解をもつよう、各地でさまざな行事が催されている。
9月15日は、聖徳太子が四天王寺に悲田院(貧窮孤児らの救済施設)を建立した日にちなむとされるが、その史実は確かでない。
昭和26(1951)年より「としよりの日」として祝われていたのが、昭和38年の老人福祉法の制定を機に、翌39年より「老人の日」として祝われていた。
(『三省堂 年中行事事典(旧版)』
  田中宣一、宮田登 編 三省堂 1999年)

僕も高齢者の仲間なので、「としよりの日」と祝われてもなぁと思う…
母は、敬老の日を嫌っていた(^_-)-☆
悲田院(ひでんいん)
 慈悲の田、の意味。
困窮者から蟻などの生物にいたるまで、布施(ふせ)供養、救護することで、仏教福祉の中心的施設の一つ。
中国では、系譜的には南北朝(420-589)のころから存在し、唐代(618-907)では半官半民の悲田養病坊があった。
日本では聖徳太子の四天王寺の四院(しかいん)の一つが、そのはじまりと伝えられている。
以後、光明皇后が皇后宮職に、忍性(にんしょう)が極楽寺にと各時代ともに設けられ、近代にもこの名称を付した施設がある。
日本社会福祉施設史としては、最も長く続いたものである。
(『岩波仏教辞典(旧版)』中村元他編 岩波書店 1989年)

 「四箇院制度」(「聖徳太子について」四天王寺)
すごい勢いで繁っているクズですが、その葉蔭から甘い香りがしてきます。
春に咲く藤の花の香りのように甘い匂いだなと思います。
葛は「秋の七草」ですが、町中では厄介者扱いされています。
でも、昔から薬用として利用されてきました。(薬用植物見本園 奈良県
森鴎外「最後の一句」の続きですφ(..)
最終回になります。
 城代も両奉行もいちを「変な小娘だ」と感じて、その感じには物でも憑(つ)いているのではないかと云う迷信さえ加わったので、孝女に対する同情は薄かったが、当時の行政司法の、元始的な機関が自然に活動して、いちの願意は期せずして貫徹した。
 (『山椒大夫・高瀬舟』森 鴎外 
  新潮文庫 昭和43年 平成18年改版)
桂屋太郎兵衛の刑の執行は、「江戸へ伺中日延(うかがひちゅうひのべ)」と云うことになった。
これは取調のあった翌日、十一月二十五日に町年寄に達せられた。

次いで元文四年三月二日に、「京都に於(お)いて大嘗会(だいじやうゑ)御執行相成候(さうらう)てより日限も不相立儀(あひたたざるぎ)に付、太郎兵衛事、死罪御赦免被仰出(ごしやめんおほせいだされ)、大阪北、南組、天満の三口御構(おかまひ)の上追放」と云うことになった。
桂屋の家族は、再び西奉行所に呼び出されて、父に別を告げることが出来た。
大嘗会と云うのは、貞享(じょうきょう)四年に東山天皇の盛儀があってから、桂屋太郎兵衛の事を書いた高札の立った元文三年十一月二十三日の直前、同じ月の十九日に、五十一年目に、桜町天皇が挙行し給うまで、中絶していたのである。
大嘗会 天皇が即位後、初めて行う新嘗(にいなめ)祭。
その年の新穀を天皇みずから天照大神(あまてらすおおみかみ)をはじめ天地のよろずの神々にささげ、みずからも食する大礼で、神事の最大のもの。
大嘗祭。

御構 追放刑に処したものに、一定の場所の居住を禁じること。
ここでは、北・南・天満のいわゆる大坂三郷に住むことを禁じたのである。

貞享四年 1687年。

東山天皇 (1675-1709)。貞享四(1687)年に即位。
在任中に長く中絶していた大嘗会(だいじょうえ)が再興された。
113代天皇。

桜町天皇 (1720-50)。享保20(1735)年即位。 115代天皇。
(『山椒大夫・高瀬舟』森 鴎外 
  新潮文庫 昭和43年 平成18年改版)
この短編を転記しようと思ったのは
皇位継承に伴う恩赦 “復権”などで検討 法務省」(NHK)
という記事を読んだからです。
大嘗祭(だいじょうさい)
 大嘗祭は、大嘗会(だいじょうえ)・践祚(せんそ)大嘗祭とも呼ばれ、天皇の即位儀礼の中でも特に古くから重要視されてきた儀礼である。
(『神道用語の基礎知識』鎌田東二編著 角川選書 平成11年)
天皇がその年の初穂を神饌(しんせん)として天神地祇(てんじんちぎ)に供え、天皇自身もそれを口にする儀礼を新嘗(にいなめ)祭というが、大嘗祭は天皇が即位して初めて行う大規模な新嘗祭のことをいう。
大嘗祭は天皇の即位が7月以前の場合はその年に、8月以降の場合には翌年に執り行う。
その一連の流れは、神前に供えるための米を収穫する田、悠紀(ゆき)田・主基(すき)田を卜占(ぼくせん)によって決定することから始まり、両田からの抜穂、天皇の斎戒(さいかい)、大嘗宮の設営、大嘗宮の儀の前日の鎮魂祭、そして十一月下卯(しもう)の日の大嘗宮の儀、翌日の辰日(たつのひ)の節会(せちえ)、さらに巳日(みのひ)の節会、豊明節会(とよのあかりのせちえ)と続いていく。
この中で中核をなす儀礼はいうまでもなく大嘗宮の儀であるが、この神事は大嘗宮内に設けられた悠紀殿・主基殿の二つの殿舎の中で天皇が天神地祇と神饌・新穀を共食するというものである。
この際に悠紀・主基の両殿には布団・枕を配した寝床が設けられており、平成の大嘗祭の折にこの寝床の意義をめぐってさまざまな議論が交わされた。
大嘗祭は時代によって儀礼内容や規模の変化は見られるが、途中二度の中絶期を挟みながらも現在まで連綿と続いている天皇一代一度限りの重要な祭りである。
(『神道用語の基礎知識』鎌田東二編著 角川選書 平成11年)
葛の花のにほひの風を過ぎて知る  梵
(『基本季語五〇〇選』山本健吉 講談社学術文庫 1989年)

先日、「病院ラジオ」の再放送があることをお知らせした時に
本放送(8月7日午後10時~)は、消灯時間になっていたので入院患者さんは見られないなと呟きましたが
再放送は検査などがない祝日の午前中なので見ることできるだろうなと思っていました。
すると池江璃花子さんがご覧になったようです。

NHKの病院ラジオ を見てると病気と戦ってる人たちが沢山いて、みんな強い意志を持って治療に取り組んでいて、とても勇気を貰いました。
辛いことも沢山あるけど、皆さん少しずつ良くなっていくことを願います わたしもがんばろ

(絵文字は、カットしています(^^ゞ…)