2019年9月24日火曜日

曇り空で

今朝は、曇り空でしたが涼しかったです。
警視庁警備部災害対策課のTwitter(9月24日)に

涼しさを感じた先日の朝、空を見上げるとうろこ雲が漂っていました。
秋が近付いてきたなあ、と感じると同時に「うろこ雲ができた日からは天気が下り坂。」という先人の言葉が脳裏に浮かびました。
低気圧が近付くとできやすいと言われるうろこ雲。
先人の言葉を教訓に様々な事態に備えていただければ。


山に登っていた時に雲の動きに注意を払っていました。
鱗雲が出た翌日は雨風」(天気のことわざ | 天気俚諺・観天望気)
アオサギが見下ろしているのは…
どうなるのかなと思って見ていたら
アオサギが向うに行ってしまいました。
アメリカザリガニが勝利?しましたp(^^)q
アオサギとの格闘?で力を出し切ったのかな?
近づいてもこの姿勢のまま…
チョコンと突くと…
ハサミを振り上げたのですが、片方のハサミと触覚がない。
アオサギにやられたのかな?
元々はアメリカからウシガエルの餌として持ち込まれたので
アオサギは食べることができたはずだけど…
ザリガニのからだのふしぎ」(つくばサイエンスニュース)
グレタ・トゥーンベリさんの言葉は、重いな!力強いです!
怒りと涙の訴え 16歳 グレタさんを知っていますか?

グレタさん演説全文 「裏切るなら絶対に許さない」涙の訴え

一方、日本の首相や大臣の言葉はなんて空々しく空しく響くのかな…
「気候変動への対策は“セクシー”に」 小泉環境相
首相や大臣の発言が世界に発信されていると思うと恥ずかしいなぁ…
そんな思いをしていて岩波新書編集部のTwitterでなんか笑ってしまった。
編集部の意図と私が面白いと思ったことと違うかもしれませんが(^_-)
(読売新聞の購読者でないので見ていませんが)

本日の読売新聞朝刊(2面)に『独ソ戦』の広告が掲載されています。
「独ソ戦」という文字でこんなに大きなのは初めて見ました。
製作者に聞いたら160ポイントの大活字だそうです。
しかし、あの人の顔も、この人の顔も、かの人の顔も見えて、なんだかすごくアウェー感あります。。。

昨日の記事で『古事記』より「オホトシの系譜」の転記しましたが、
その前にあるのが大国主の国作りの物語です。
古事記物語』より「5 海から来た小人」を転記しますφ(..)

5 海から来た小人
 オオクニヌシの神は、出雲の国で、国をつくる仕事に精を出したのですが、はじめに美保(みほ)のみさきにいたころに、こういうことがありました。
(『古事記物語』福永武彦 
  岩波少年文庫2063 1957年 1985年改版)
 ある日、オオクニヌシノ神が、みさきにいて、海のほうを見ていますと、波がしらが白くみだれている沖あいはるかから、小さな舟が近よって来ました。
その小さいことといったら、舟というのはガガイモのさやが二つにわれたのが舟なのです。
のっているのが、これまた、ミソサザイの皮をはいだのを着物にきた、小人のような神なのです。
それでも上手に舟をあやつりながら、オオクニヌシノ神のいる浜べに近づいて来ました。
 ふしぎな、見もしらぬ神でしたから、上陸するなり、名まえをたずねてみましたが、にこにこしているきりで、なんとも答えません。
オオクニヌシノ神もこまって、お伴(とも)の人たちにきいてみますが、だれひとり知っている者はありません。
そこに進み出たのが、大きなヒキガエルでした。
 「これはきっと、かがしのクエビコさんが知っておりましょう」と、答えました。
 そこでさっそく、クエビコを呼んで、きいてみました。すると、
 「これは、カミムスビノ神の御子(みこ)で、お名前をスクナビコナノカミ(少名毘古那神)と申されるかたです」と、すらすら答えました。
 オオクニヌシノ神は、きっと迷子になったんだなと思い、高天原(たかまのはら)にのぼって、おかあさんのカミムスビノ神のところへ連れて行きました。
するとおかあさんの神が言うには、
 「たしかにこの子は、わたしの子どもです。たくさんいる子どもたちのうちで、小さすぎて、指のあいだからこぼれ落ちた子どもです。といっても、かしこい子だから、おまえオオクニヌシノ神は、このスクナビコナノ神と兄弟になって、いっしょにその国をつくりかためなさい。」
 こう命じられましたから、ふたりの神は、それから力をあわせて、国つくりの仕事をしました。
しかしまだ仕事がおわらないうちに、スクナビコナノ神は、海の向こうにある常世国(とこよのくに)へ、渡って行ってしまいました。
 ところで、この神の名まえをおしえてくれたクエビコというのは、今の世に山田のかがしと言われている者です。
足があっても歩くことはできませんが、世の中のことはなんでも知っている、えらい神さまです。
 オオクニヌシノ神は、せっかくいっしょに仕事をしていたスクナビコナノ神に行ってしまわれたので、がっかりしました。
 「わたしひとりで、どうしてこの国をつくれるだろう? だれか加勢(かせい)をしてくれる神はいないものかな?」と言って、こぼしました。
 するとまた、遠い海の沖から、海いちめんを光りかがやかせながら、近づいていくる神がありました。
その神は上陸すると、
 「もしもわたしをよくお祭りするならば、いっしょに仕事をしてあげてもいい。でなければ、国の中がうまく治(おさ)まることは、むつかしいだろう」と、言いました。
 そこでオオクニヌシノ神が、
 「どういうふうにお祭りをしたら、いいのでしょうか?」と、たずねますと、
 「大和(やまと)の国を、青いかきねのように取りかこんでいる山々の、その東の山のてっぺんに、わたしを祭りなさい」と、命じました。
 この神は、御諸(みもろ)の山の上にいる神です。
そのおかげで、オオクニヌシノ神は、次々と国を切りひろげて、そのいきおいは遠い国々まで及(およ)ぶようになりました。
(『古事記物語』福永武彦 
  岩波少年文庫2063 1957年 1985年改版)
引用した本には、注記がないので『《新潮日本古典集成》古事記』より幾つか転記したいと思いますφ(..)
なお、表記が少し異なっています。
久延毗古(くえびこ) 案山子(かがし)の名。「崩(く)え彦(びこ)」の意。「崩え彦」は身体の崩れた人で、歩行不能者を表すのであろう。この種の人は、知恵の化身と信じられていた。

近づいていくる神) 海表の彼方(かなた)から客人(まれびと)を幸福の神として古代人は崇(あが)めた。

大和の国を、青いかきねのように…) 大和国の青々と垣のようにめぐっている東の山とは、奈良県桜井市三輪町の三輪山をさす。
(『《新潮日本古典集成》古事記』西宮一民 新潮社 昭和54年)
「御諸(みもろ)」は神霊の降臨する森の意で、ここは三輪山をさす。
大神(おおみわ)神社の神体山。大神神社の鎮座縁起譚である。
「出雲国造神賀詞(いづものくにのみやつこのかむよごと)」には、大穴持(おおあなもち)命が「自分の和魂(にきみたま)を鏡につけて、倭の大物主櫛𤭖玉(おおものぬしくしみかたま)命と名を称(たた)えて、三輪山を鎮めよ」といったとある。

*大国主神は、少名毗古那神の協力を得、葦原の中つ国の国作りに努力し、その後御諸(みもろ)の神を祭ることによって、神の助力を仰ぐようになることを記す。
大国の主(あるじ)が大和国の三輪の神の祭祀を約束させられていることを表している。
(『《新潮日本古典集成》古事記』西宮一民 新潮社 昭和54年)