2019年9月12日木曜日

長月(ながつき)

今朝は、わりと空気がサラッとしていて風も吹いていたので
歩きやすかったです(*´▽`*)
昨夜のEテレ2355でトビーが
さいきん、知ったこと。
9月のことを、『長月』と呼ぶらしい。
9月は残暑がながつづき(長つ月)…

と呟いていました
そう言えば「かなりくるしい だじゃれDE一年間」♪にそんな歌詞があったな(^_-)-☆
お彼岸が過ぎるまでは、まだまだ残暑が続くと思います。
毎日、暑いとぼやいているのですが、クーラーで涼をとることができますし
水道も出る、エレベーターも動いている…
一方、千葉ではまだ停電の地域があります。
千葉県の停電 全面復旧は13日以降 東京電力「見通し甘かった」
東電は原発事故では、「想定外」と責任逃れをしていたけど…

こんな時に内閣が改造されている。
前任者が最後まで責任を持って復興をやりとげ
引き継げばいいと思うのだけどなぁ…
森鴎外の「最後の一句」の続きですφ(..)
 西町奉行の佐佐は、両奉行の中(うち)の新参で、大阪に来てから、まだ一年立っていない。
役向の事は総(すべ)て同役の稲垣に相談して、城代に伺って処置するのであった。
それであるから、桂屋太郎兵衛の公事(くじ)に就いて、前役の申継(もうしつぎ)を受けてから、それを重要事件として気に掛けていて、ようよう処刑の手続きが済んだのを重荷を卸したように思っていた。
(『山椒大夫・高瀬舟』森 鴎外 
  新潮文庫 昭和43年 平成18年改版)
 そこへ今朝になって、宿直の与力が出て、命乞の願に出たものがあると云ったので、佐佐は先ず切角運ばせた事に邪魔がはいったように感じた。
「参ったのはどんなものか」佐佐の声は不機嫌であった。
「太郎兵衛の娘両人と倅(せがれ)とがまいりまして、年上の娘が願書を差上げたいと申しますので、これに預かっております。御覧になりましょうか」
「それは目安箱(めやすばこ)をもお設(もうけ)になっておる御趣意から、次第によっては受け取っても宜(よろ)しいが、一応はそれぞれ手続のあることを申聞(もうしきか)せんではなるまい。とにかく預かっておるなら、内見(ないけん)しよう」
 与力は願書を佐佐の前に出した。
それを披(ひら)いて見て佐佐は不審らしい顔をした。
「いちと云うのがその年上の娘であろうが、何歳になる」
「取り調べはいたしませんが、十四五歳位に見受けまする」
「そうか」佐佐は暫く書附を見ていた。
不束(ふつつか)な仮名文字で書いてあるが、条理が善く整っていて、大人(おとな)でもこれだけの短文に、これだけの事柄を書くのは、容易であるまいと思われる程である。
大人が書かせたのではあるまいかと云う念が、ふと萌(きざ)した。
続いて、上を偽る横着物(おうちゃくもの)の所為ではないかと思議した。
それから一応の処置を考えた。
太郎兵衛は明日の夕方まで曝すことになっている。
刑を執行するまでには、まだ時がある。
それまでに願書を受理しようとも、すまいとも、同役に相談し、上役に伺うことも出来る。
又縦(よ)しやその間に情偽(じょうぎ)があるとしても、相当の手続きをさせるうちには、それを探ることも出来よう。
とにかく子供を帰そうと、佐佐は考えた。
 そこで与力にはこう云った。
この願書は内見したが、これは奉行に出されぬから、持って帰って町年寄(まちどしより)に出せと云えと云った。
 与力は、門番が帰そうとしたが、どうしても帰らなかったと云うことを、佐佐に言った。
佐佐は、そんなら菓子でも遣(や)って、賺(すか)して帰せ、それでも聴かぬなら引き立てて帰せと命じた。
 与力の座を起(た)った跡へ、城代太田備中守資晴(おおたびっちゅうのかみすけはる)が訪ねて来た。
正式の見廻りではなく、私の用事があって来たのである。
太田の用事が済むと、佐佐は只今かようかようの事があったと告げて、自分の考えを述べ、指図(さしず)を請(こ)うた。
 太田は別に思案もないので、佐佐に同意して、午過ぎに東町奉行稲垣をも出席させて、町年寄五人に桂屋太郎兵衛が子供を召し連れて出せることにした。
情偽があろうかと云う、佐佐の懸念(けねん)も尤(もっと)もだとう云うので、白洲(しらす)へは責道具(せめどうぐ)を並べさせることにした。
これは子供を嚇(おど)して実を吐かせようと云う手段である。
 丁度この相談が済んだ所へ、前の与力が出て、入口に控えて気色(けしき)を伺った。
「どうじゃ、子供は帰ったか」と、佐佐が声を掛けた。
「御意(ぎょい)でござりまする。お菓子を遣(つかわ)しまして帰そうと致しましたが、いちと申す娘がどうしても聴きませぬ。とうとう願書を懐(ふところ)へ押し込みまして、引き立てて帰しました。妹娘はしくしく泣きましたが、いちは泣かずに帰りました」
「余程情(じょう)の剛(こわ)い娘と見えますな」と、太田が佐佐を顧みて云った。
城代 江戸時代の職名。ここでは大坂城代を指し、将軍の代わりに警備、統括をつかさどる重職。

公事 訴訟および審理の裁判。

目安箱 「目安」とは訴状のことで、庶民の直訴を受けるために、江戸では評定所の門前、大坂では町奉行所門前に出しておいた箱。
八代将軍吉宗の時、江戸では享保6(1721)年、大坂では享保12年、初めて設けられたが、匿名(とくめい)による投書は厳禁され、訴願の範囲についても一定の規制があった。

内見 公式に見るのではなく、内々に見ること。

情偽 うそいつわり。
町年寄 大坂の町年寄は一町に一人ずつ、町奉行の支配の下、家屋敷を所有する町人から選出。
御触れの申渡しの伝達、戸籍調査、火の元取り締まり、訴訟事件の和解などの町内公事(くじ)処理にあたった。

太田備中守資晴 (1695-1740)。享保19(1734)年から元文5年まで大坂城代に在任。

白洲 江戸時代、奉行所内で罪人を取り調べ、裁判を行う場所。
白い砂を敷き詰めたことからこのように呼んだ。
(『山椒大夫・高瀬舟』森 鴎外 
  新潮文庫 昭和43年 平成18年改版)
今朝の父の一枚です(^^)v
カワセミに出会って喜んでいました。
父によると二羽いたそうです。
少し涼しくなってきたからか野鳥の姿を見かけるようになりました。
でも、望遠レンズを首から下げて散歩をする自信がないので
90mmマクロレンズで撮影しています(^^ゞ