2017年1月19日木曜日

円山公園・安養寺~荒神橋

八坂神社にやってきました。
疫神社祭」があったようです。
「疫神社夏越祭」の時は,茅の輪をくぐれたけど…
働く少年の像

この像は,
働く少年少女たちに仕事への誇りと責任を,
大人たちには彼らへの愛情と理解を
と呼びかけています。
人生の大切な時期を自分自身の力で,
切りひらことしている彼らを励まし,
彼らの健やかな成長を願い,
私たちは育成に努めてきました。
多くの皆様の理解と協力をいただき,
昭和36年に結成された当会に
これからも
皆様のご支援をお願いいたします。
 社団法人
 働く少年をたたえる会
 会長 千 玄室
ラジオ塔の由来
 このラジオ塔は昭和7年NHK京都放送局 
開局の際ラジオの普及のためつくられました。
当時は毎朝 塔の前でラジオ体操を楽しむ姿が見られ 
又特に人気の高かった野球中継の際は 
塔をとりまいたファンが一投一打にかん声を上げていました。
戦争中に資材を供出しましたが 昭和57年京都放送局開局50周年を機会に 
音声合成など 最新の技術によって古都にふさわしい姿で修復されました。
  昭和57年5月20日  
   京都市
 NHK京都放送局
私たちの見ている円山公園の風景は,変化してきているのです。
京都の凸凹を歩く 高低差に隠された古都の秘密』(梅林秀行 青幻社 2016年)を参考に紹介したいと思います。
花洛一覧図」(10808年・文化5年)より
祇園社(八坂神社)と八坂の塔,真葛ヶ原(円山公園)の様子を見ると
今の風景とまるで違いますよね。
『滑稽都名所』(1854~1860年頃)の「真葛原」(ARC所蔵・浮世絵データベース)には,
野壺に片足を落とした男(右端)と
女性二人組とお付きの老侍が描かれています。
野壺があるのは周りが田んぼや畑だったからですね。
今の円山公園には野壺はありません(^▽^)
現在のような風景になったのは
庭師・小川治兵衛と建築家・武田五一の二人がタッグを組み,
円山公園一帯を再構築したのです。
真葛ヶ原から円山公園への推移については『京都の凸凹を歩く』に詳しく書かれています。
著者の梅林秀行さんはブラタモリの案内人として何度か登場しています(o^^o)
  左阿弥の由来
一,正阿弥,春阿弥,庭阿弥,連阿弥,也阿弥,左阿弥を六阿弥と云いました。
 現在残って居るのが此の左阿弥一つになりました。
二,織田有楽斉の二男頼長が出家して雲生寺道八となり
此処に住み父有楽斉と共に茶の道を楽しみました。
 道八の墓碑は今邸内に残って居ります。
三,江戸時代元禄の頃このあたり最も栄えました。
嘉永2年(1849)料亭となり現在まで広く皆様方にご利用いただいていおります。

(以下略)
 円山 左阿彌
 大辯才天女
辨財天は妙音天とも云い
福徳智慧をお授け下さり
延壽及び財宝をお与え下さる
天女です。
また技芸,芸能の守護神です。


  唵薩羅薩伐底莎阿(おん さ ら す ば てい そわ か)
   (辨財天真言)
真言を三度唱えお願い事をしてください。
安養寺(あんようじ)
 慈円山(じえんざん (円山))大乗院(だいじょういん)と号する時宗寺院。
本尊阿弥陀三尊立像は法然の念持仏(ねんじぶつ)と伝える。
もとは天台宗。寺伝によれば,伝教大師最澄が延暦年間(782~806)に創建。
その後元三(がんさん)大師良源(りょうげん)が止住したという。
寺勢は一時衰退したが,慈円が中興し,吉水坊(よしみずぼう)と称して青蓮院(しょうれんいん)に属した。
比叡山をおりた法然が,この地に吉水草庵を結び,若き日の親鸞が訪れて弟子入りした場所である。
1385(至徳(しとく)2)年,国阿(こくあ)が時宗に改宗。
風光明媚な地であるがゆえ,近世には境内に六阿弥坊(ろくあみぼう(円山六坊)が酒食を提供し,旅館業を営んだ。
明治後半には廃業が続いて,現在は長寿庵(ちょうじゅあん)の後身「左阿弥(さあみ)」のみが残る。
(『京都洛東・洛南散歩24コース』京都史跡見学会編 山川出版社 2004年)

振り返ると…(^。^)
本堂で阿弥陀様を拝ませていただきました。


 歓喜天(かんぎてん)堂
 華頂山(かちょうざん)山頂にある青蓮院(しょうれんいん)
飛び地境内「将軍塚大日堂庭園」に続く道である。
桓武天皇が王城の平安を祈って高さ8尺(約2.4m)の土像に
鉄の甲冑
(かっちゅう)を着せて埋めたという将軍塚があり,
朝廷に危機がせまったとき,塚が鳴動すると伝えられている。

(『京都洛東・洛南散歩24コース』)
龍馬・慎太郎像は,第二次大戦中供出させられ,昭和37年に再建された。
(「第2章 名勝円山公園の成り立ちと現況」10/46 円山公園管理計画)
寺井玄渓は90才で没し長楽寺に葬る
この人は,赤穂の御殿医で大石良雄が,
京都に来ると自分も上洛して圓山の長楽寺の麓に住んで
良雄の仇討に参加しようと思いましたが,
○○(老体?)と医者でもあるというので止められ京都にとゞまった。
義挙のあと顔なじみの多くの人達が切腹せられたことを知り,
人生は夢であると有為転変極まりなきを感じ近くの岩に夢の字をほりつけたという。
(田中緑紅叢書忠臣蔵名所による)
  京都市
仲源寺をお参りしました。
母のリクエストでお土産に鰊棒煮(2本入り)を買いました(o^^o)
祇園四条から電車に乗って出町柳へ
今回も「出町ふたば」の前を通り過ごして「満寿形屋」に向かったのですが
開店時間の30分前だったので諦めた…(..;)
今回は中華そばを食べたかったのだけど…
なんと12月26日で閉店されていた(T^T)
実は,今回の目的の一つにここの「レモンケーキ」を食べたかった…
京都へ行く前にチェックしている鴨さんのブログ記事の中に
「大好きな京の洋菓子ナンバー1はレモンケーキ(^_^)b」
梶井基次郎の「檸檬」にちなんだレモンケーキ
とあったので是非,食べたかった(ノД`)
梶井基次郎の『檸檬』に登場する「八百卯」も無くなったし…
この1月31日で鴨さんの「京都日和~都の風に誘われて~」は終了します。
鴨さんは2年前に亡くなっておられるので,記事を読むことができなくなります。
Kazeは,今,鴨さんのオススメの店や名所などをメモしています。
ブログがなくなっても鴨さんが教えて下さったことを紹介したいと思っています。
ションボリしながら歩いているといい匂いがしてきました。
香りに誘われて入ったお店で
「 本日のメイン料理 タイの香草パン粉フライ」
をいただきました(o^^o)
撮し忘れましたが,スープの前に「ベビーリーフのサラダ」があって
そのうえで,野菜が添えられているので嬉しかったです(^-^)
 欧風厨房Mangerbien (まんじぇびゃん)」
親子が遊んでいました。
荒神橋(こうじんばし)
 幕末で架橋されず,1867(慶応(けいおう)3)年に有事の際に
鳳輦
(ほうれん)が川東に避難するため,西本願寺が寄進。
そのため御幸(みゆき)橋あるいは勤王(きんのう)橋といわれた。
現在の橋は,1914(大正3)年に架設されたもの。
全長110m,車幅6.5mのコンクリート橋で,1981(昭和56)年に歩道を広げた。
1953(昭和28)年に警官隊と学生デモ隊が,この橋上で乱闘となり,
十数人が河原に転落し重軽傷をおった,荒神橋事件の現場でもある。

橋の下に広がる荒神河原(がわら)は,古くは「近衛(このえ)河原」,
または「法成寺
(ほうじょうじ)河原」とよばれ,中世にはしばしば戦場となった。
近世には印地(いんじ)打ち,石合戦が行われ,ときには殺傷事件もおこったという。
 荒神口は京都七口(ななくち)の1つであり,
吉田をとおって志賀
(しが)(近江(おうみ))に至る交通の要衝であった。
現在の荒神口の名称以前は,吉田口・志賀道口・今道口などとよばれていた。
本格的な架橋以前は,仮橋程度であったので,
牛車
(ぎっしゃ)などの重い乗物の渡橋は禁じられていた。
それらは河原におりて川を渡った。
そのための車道が今も橋の西詰に残っている。

近年,橋の上流30mほどのところに川渡りを楽しむようにと,
流れを横切る「亀の飛び石」が設けられた。

(『京都洛中散歩21コース』京都史跡見学会 山川出版社 2004年)

「車道(くるまみち)」は分からなかった(^^ゞ
 しばらく散歩を楽しみましたp(^-^)q
橋を渡って神宮丸太町駅に向かうと
「大文字」が雪で浮き上がっていました。
送り火とまた違った趣がありました。

2 件のコメント:

  1. こんばんは~

    >「大文字」が雪で浮き上がっていました。
    雪降る京の街歩き、寒いけれど風情があっていいですね。
    もう少し近ければ。。。。(^-^;

    >「出町ふたば」の前を通り過ごして「満寿形屋」
    中華そば、残念でしたね。(^-^;
    我が家は、お土産に鯖寿司を買ったことがあります。
    今度、中華そばを食べてみたいです。

    お母様、胃カメラや腸の内視鏡検査をご承諾されて一安心です。
    本番も妹さんがおられると心強いですね。
    上手くいきますように。。。

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    1. カイさんおはようございます(*^O^*)/

      >雪降る京の街歩き、寒いけれど風情があっていいですね。
      実は,雪が残っているとは思っていなかったのです(^_-)
      京の街には,雪景色が似合います(^-^)

      満寿形屋の鯖寿司セットをいただき美味しかったです(^。^)
      今度は,昔風の中華そばを食べたかったのですが
      開店時間の30分前だったので諦めました
      元気だったら外で待てたのですが…

      >お母様、胃カメラや腸の内視鏡検査をご承諾されて一安心です。
      ありがとうございます。
      検査結果がよいように願うだけです。
      悪くても母には辛い治療はさせたくないと父や妹と話をしています。

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