2024年10月5日土曜日

晴れたけど…

今朝の天気予報は「曇り時々晴れ」で
歩いているときに雲の切れ間から日差しが届きました。
これまでと違って厳しい暑さは感じませんでしたが、
帰る頃には日差しが刺さるようになってきました。
まだまだ暑い日が続きそうですし、急な天気の変化にも注意しなくては。
3日の浜松の突風、竜巻の可能性が高いそうですね…

浜松の突風「竜巻の可能性が高い」静岡地方気象台〟(NHK 10月5日)
 第4章 雲の心を読む
 雲が生む竜巻と突風


 突風害をもたらす代表格が竜巻(たつまき)です(動画4・13)。
気象庁は竜巻を「積雲または積乱雲から垂れ下がる柱状または漏斗状の雲を伴う激しい鉛直渦」と定義しています。
竜巻の強さは藤田哲也が1971年に考案した藤田スケールをもとにした指標が世界中で使われており、日本国内では日本版改良藤田スケールとして竜巻の強さを被害規模や風速などからJEF0~JEF5の6段階に分類しています。
国内での最も強い竜巻はJEF3(2017年11月現在)で、このような強い竜巻はスーパーセルに伴って発生します(図4・74、第4章3節・227ページ)。
(『雲を愛する技術』荒木健太郎 光文社新書 2017年)
 竜巻の渦は時計回りと反時計回りのどちらの方向にも回転することがあり、日本の竜巻は85%が反時計回り、15%が時計回りの回転をしているといわれています。
ただし、スーパーセルに伴う竜巻は反時計回りに回転するメソサイクロンに伴って発生するため、スーパーセルの多いアメリカではほぼ全ての竜巻が反時計回りです。
 日本で多く観測される竜巻はスーパーセルでない積乱雲に伴って発生することが多く、非スーパーセル竜巻と呼ばれます。
海や湖などの水面上で列をなして現れる水上竜巻がこの典型です(図・75、257ページ)。
この竜巻は鉛直シアの小さい環境で発生することが多く、局地前線上の水平シア不安定によって生まれたマイソサイクロンという小さな渦が積雲や積乱雲の上昇流でひきのばされて発達します(図4・76、257ページ)。
このとき、局地前線上で収束する風が時計回りであれば渦は時計回りになるのです。
 ダウンバーストも突風害の要因です(図4・77)。
ダウンバーストは「積雲や積乱雲から生じる冷たく重い下降流」のことで、地面に達すると激しく周囲に吹き出します。
その水平スケールは数km以下、寿命は10分程度です。
また、風の吹き出しの水平スケールが4km以下のものはマイクロバースト、4km以上のものはマクロバーストとも呼ばれます。
ダウンバーストは積乱雲が発達すると必ず発生します。
 …後略…
(『雲を愛する技術』荒木健太郎 光文社新書 2017年)

竜巻などの激しい突風とは」(気象庁)

藤田(F)スケールとは」(気象庁)
 朝ドラ「虎に翼」についてなるほどと思ったのが

【第173回】「虎に翼」が稀有な「攻めの朝ドラ」になった理由〟(「世の中ラボ」斎藤美奈子 ちくまweb)

 ドラマは初回、ナレーション担当の尾野真千子による日本国憲法第一四条の朗読から始まる。〈すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない〉。
 画面は河原に座り、憲法の条文が記された新聞を読む主人公の佐田(旧姓猪爪)寅子。おおーここから始まるのか、である。


……『虎に翼』が“朝ドラの歴史的転換点”と言えるワケ」(木俣冬 文春オンライン)

…… 実際にあった社会的な出来事は、ブルーパージ(左遷)の件のように深堀りしていないものもある。それでも、具体的に知っている視聴者は勝手に行間を埋めて問題意識を果てしなく深堀りしていくことが可能であるし、知らない人は知らないなりに知識を得ることができる。非常にうまく考えられた脚本であった。……

そして松山ケンイチさんの投稿は凄いですね!
読んでいるとドラマが脳内再生されます(^_-)
三淵忠彦の著書に

 穂積重遠『私たちの民法』

 民法は身分の法であり、財産の法であり、日常生活の法であり、社会生活の法である。
われわれの生命、身体、自由、名誉、財産に対する権利は、民法によって初めて確保せられる。
民法は誰しも一通り心得て置かねばならぬ常識である。
世間万人の民法に慣れ、民法に熟することが、やがてわれわれの社会生活の平安を維持する所以(ゆえん)である。
民法は決して法律家にのみ託して置いて事足りる法律ではない。
(『世間と人間 [復刻版]』三淵忠彦 鉄筆 2023年)
 新憲法の実施せられるに当たり、憲法の原則に反し、世界の通義に背く民法の規定は、当然改正の必要を生じた。
この必要に応じて制定実施せられたのが、新しい民法である。
新しい民法によって日常生活、社会生活上の多くの旧習は一新せられ、幾多の旧弊は一洗せられた。
われわれの日常生活、社会生活は自らその面目を改めねばならなくなった。
民法を知ることが更に重要に、更に必要になったのである。
 併(しか)し民法の組織は複雑であり、民法の機構は微妙である。
民法には遠い背景と、深い根底とが無際限につながる。
むずかしい技巧と、専門的の約束とが縦横にからみつく。
法律家ならぬ人々に、これを理解せしめるのは容易ではない。
 私は穂積博士の『私たちの民法』を手にして、まず怪しみ疑った。
百頁ばかりの小冊子で、民法のような大法典の組織と、機構とを、どうして解説出来るだろうか。
(ほとん)ど不可能事ではないか。
穂積博士は無謀なことを企てられたものだと。
ところが一読して更に驚いた。
民法の組織と機構とが、巧みに、明快に説いてあるばかりでなく、民法の精神が、実に見事に、活き活きと伝えられている。
私らには無謀と見えた事も、穂積博士には、無謀での何でもなかったのである。
 難解な法律の専門書が、むずかしい漢文調から、平明な口語体に変わったのは、穂積博士の『民法総論』が、最初であったと思う。
あらゆる法律書が口語体となり、法典さえも口語体になったのは、穂積博士の首唱し、尽力せられた御陰(おかげ)だと、私は思う。
 難解な法律をやさしく説き、むずかしい理論を、解(わか)り易く説き、それで高い学問の眼界と、深い識見の視野とを、平易明快な文章に、表現し得る技倆(ぎりょう)を有する人は、今の代に博士を措(お)いて他にあるまい。
博士が自ら筆を執って『私たちの民法』のような、平易にして簡明な解説を書かれたことに対して、私は限りなき感謝の意を表する。
民法知識の普及が今日の急務であるこの際に、本書のような良解説を迎え得たことを慶幸とするからである。
 法律は道徳の最小限であると謂(い)われている。
法律が、道徳から分離した今日、法律と道徳とは、別異な規範であることは勿論である。
併し道徳を無視して法律を説くことは出来ぬ。
博士は、民法を説くに、常に道徳人情に関連して、その解明の筆を進められる。
私の敬服するところである。
 博士は新しい民法の三大原則として、社会福祉の原則、信義誠実の原則、個人尊厳の原則を挙げられる。
そして「元来、個人が社会を作り、社会が個人を作る。個人尊厳を徹底すれば社会福祉であり、社会福祉を還元すれば個人尊厳であります。そして信義誠実の原則は道徳と法律との握手を象徴します。すなわち昭和民法は正に個人本位と社会本位と、そして道徳と、法律の、帰一合致を目指すものであります。」と謂(い)われる。
卓見であると思う。
 更に穂積博士は、民法の根本精神を理解して、「制度を生活」にすることを説かれる。
民法はわれわれの生活そのものに融けこんで、生活そのものになりきらねばならぬ。
民法と生活が一体にならねばならぬ。
 願わくば本書によって、民法知識が普及し、民法の根本精神が理解せられ、日常生活の面目が改まり、社会生活の平安が維持され、そして穂積博士の謂われるように、「民法の定めた制度が、世間の人々の生活になる」に至らんことを。
       (昭和23年12月)
(『世間と人間 [復刻版]』三淵忠彦 鉄筆 2023年)
私たちの民法』(国立国会図書館)

飯間浩明さんの投稿(9月26日)

……穂積重遠(小林薫さん演ずる穂高教授のモデル)が書いた『民法読本』を調べてみました。
すると、なんと戦前の本でありながら「だらう」が「だろう」、「考へねば」が「考えねば」、「云ふ」が「云う」と表音式なのです。
穂積の考えによるものだったのでしょう。
勉強になりました。
今朝の父の一枚です(^^)/
今にも飛び立ちそうです!

 モズの残酷な習性「はやにえ」とは?

 モズのなわばりの中を散歩していると、おもしろいモノに出合うことができます。
カエルやバッタ、ケラ、ヘビ、スズメバチ、ミミズ、シジュウカラなどさまざまな生きものが、なわばりの中の木々の枝先などに串刺しになっているのです(80頁写真2 省略)。
これはヤンチャな子どもたちのイタズラではなく、モズたちの仕業です。
 モズは、オスもメスも捕えた獲物を枝先や鉄条網、農作用の杭の先などの、とがった場所に突き刺す習性をもっています。
この残酷な習性を「モズのはやにえ」といいます。
モズがはやにえをつくる理由は、実はここ数年前までまったくわかっていませんでした。
なにをかくそう、私がその謎を解明したのです!
この記事では、はやにえの謎が明らかになるまでの軌跡や調査秘話、そして現在進行中の最新研究の動向を、皆さんに紹介したいと思います。
(『日本野鳥の会のとっておきの野鳥の授業』日本野鳥の会編、上田 恵介監修 山と渓谷社 2021年)