蒸し暑いのだけど時々吹く風がヒンヤリしていました。
飯盛山方面を写して「今にも降りそうだなぁ」と投稿したら
パラッパラッと降ってきた…
前にも「今にも降りそうだ」と書き込んだら雨が降り出したので禁句だ
幸い一瞬だけだった「四 現代の家族」つづき
親子法の分野でも、親権を後見・監護の制度として徹底させるだけの英断は、新法にもなかったが、旧法が、子は家に在る父または母の親権に服するという無制限の原則を立てた上で、独立の生活を立てる成年の子だけは、親権から解放されるという例外を認めたのに対し、新法が、未成年の子だけが父母の親権に服すとしたのは、個人尊重の精神に従って一歩を進めたものといえよう。
夫婦が父母として共同親権者となるという新法の規定も、母を疎んじた旧法から見れば大きな前進である。
(『補訂版 法学』中川善之助著 泉久雄補訂 日本評論社 1985年) ただ婚姻外に生れた子と父との関係を、父の認知あるまでは、無いものとし、父が認知するか、進んで認知しないときは裁判上で認知させるかした後に、初めて父子関係を法律上で認めるという考え方は、旧法と少しも変らない、家父長的意識の産物である。
問題は、父の意思ではなくて、父子たるの事実である。
従って婚姻外の父子関係は、かかる父確定の裁判によって決定さるべきものという基調から出発すべきものであり、もし父が、裁判などするまでもなく、これは自分の子だという意思を表示したら(即ち認知)、裁判を略してもいいという考え方こそが、家父長制から真に解放されて、子の人格を護ろうとする近代民主主義の精神に沿うものだと思う。 それにしても、父の死後三年間は、子の側から認知の訴を起せるようになったのは、子の人権尊重の上からいっても喜ばしことである。
もっともこれは、旧法の末期(昭和17年)に改正されて旧法中に取入れられた規定であるが、新法も無論そのまま採用した。 相続法は大いに改められ、旧法の家督単独相続は廃され、妻にも相続権が認められ、子は男女長幼を問わず、共同均分の相続権を与えられることになった。
しかし非常に残念なことには、急に民主主義的平等思想を吹込まれた国民は、権利を平等にという点は直ちに呑込んだけれども、責任もまた平等であらねばならぬという面については、意識ははなはだ低調である。
その結果、遺産配分には血まなこになって平等均分を主張した弟妹たちが、親の扶養とか供養のことになると、長兄だけに責をなすりつけようとする話は、しばしば耳にするところである。
権利のあるところに義務があり、利益をうければ責任もまた生ずるのが民主主義の規範であることを、もっと国民が悟らなければ、新法の精神も生きて来ないと思われる。 なお農業や、中小商工業の経営が、遺産均分のため立ち行かなくなることが諸方で恐れられている。
しかしそれだからといって、それらの人たちにだけ、家産維持のための単独相続法を認めるわけにはいかない。
将来に残された大問題ではあるが、共同相続の原則はあくまでも崩せないから、所有と経営をある程度分離し、所有は共同に相続し、経営は細分化を避けて一本化を計るようにする他はないであろう。
そのためには、家族の法人化という線も考えられるし、初めから経営を協業化しておくという方法も考えられる。
またそのためには、長期・低利・無担保の公的の融資方法が生れなくてはならないであろう。 いずれにしろ、家族は、一面においては、激しい社会活動の中のオアシスであるが、同時に家族自体が社会活動の中の職場であることも多い。
これらの調整に家族法の眼目はあるわけであるが、家族の中の人の心は、胸の中の半分だけが眼まぐるしく変転して新らしくなりながら、他の半面にはなお百年前と少しも変らないままでいる部分もある。
家族感情のそうした両棲的性格が新らしい時代の家族法を一層複雑な難しいものにしているのである。
(『補訂版 法学』中川善之助著 泉久雄補訂 日本評論社 1985年)
〝衆院選 候補者アンケート 「ジェンダー」〟(NHK 10月16日)今朝の父の一枚です(^^)/
モズが会いに来てくれたと喜んでいました。
「モズのはやにえの不思議」つづき
モズのはやにえの役割とは?
モズのはやにえは日本では古くから知られており、平安時代の散木奇歌集(1100年ごろ)にも、はやにえの登場する歌が残されています。
一説には、奈良時代の万葉集(西暦630年ごろ)にも、はやにえの歌があると言われています。
モズのはやにえは、かなり昔から日本人に親しまれてきたようですね。
モズがはやにえをつくる理由は、これまでさまざまな解釈がなされてきました。
例えば、なわばりを主張するマーキング行動であるとか、なわばりのエサの豊富さを誇示するための行動、獲物を食べている途中で放置しただけでとくに意味のない行動などです。
その中でも、とくに人気があるのが「冬の保存食説」です。
この仮説では、モズはエサの少ない冬を乗り越えるためにはやにえを貯える、と解釈されています。
エサを貯える習性は専門的には「貯食」といい、越冬のための貯食はモズ以外のさまざまな鳥類で知られています。
例えば、ヤマガラやホシガラス、カケスなどは、木の実を樹皮の割れ目や土の中などに貯えて、冬にこれを食べ物として利用します。
はたして、モズのはやにえにも同様の役割があるのでしょうか。
…つづく…
(『日本野鳥の会のとっておきの野鳥の授業』日本野鳥の会編、上田 恵介監修 山と渓谷社 2021年)午後からの心臓リハビリ。
始まる前に病院内の喫茶室でお昼ご飯にしました。
読んでいたのが『イスラエルとパレスチナ』
「試し読み」で「日本語版への序文」「シオニストによる植民地化前夜のパレスチナ」が読めます。
「訳者あとがき」に著者のヤコヴ・ラブキンについて書かれているので転記します。
訳者あとがき
本書は Yakov Rabkin, Israël et la Palestine :Rejets de la colonisation sioniste au nom du judaïsme,( Editions i,2024)の日本語訳です。
原著は昨年10月7日のパレスチナ人武装勢力による越境攻撃とそれに対するイスラエル軍の報復軍事作戦のなかで、またたく間に膨大な命が失われていく無残な状況を前に、著者が緊急に執筆を開始し今年4月に刊行されました。
最初に著者の略歴を記します。
ヤコヴ・M・ラブキン(1945年、旧ソ連生まれ)。
レニングラード大学で化学を、またモスクワのソ連科学アカデミーで科学史を学んだ後、1973年にソ連を出国。
数カ月イスラエルで過ごした後、カナダ・モントリオールに居を定め、まずモントリオール大学の科学史および科学社会政治学研究所に在籍、後の同大学歴学科教授。
歴史家として、また公共的な知識人として、科学と政治、科学と宗教の間の、また科学史とテクノロジーの間の相互関係に関する著作活動を行い、何冊もの書籍、100を超える学術論文の著者であるとともに、多くの国の雑誌、新聞、ラジオ、テレビで、また電子メディアで、国際政治を分析してきた。
ユダヤ教、シオニズムおよびイスラエルに関する業績はとりわけよく知られ、多くの言語で出版されている。
1970年代末からモントリオール、パリおよびエルサレムのラビの指導の下でユダヤ教のさまざまな面の研究に従事、ユダヤ教の伝統に則った生活様式に入る。
5人の子供の父。
…つづく…
(『イスラエルとパレスチナ』ヤコヴ・ラブキン著 鵜飼哲訳 岩波ブックレット 2024年)心臓リハビリは、トレッドミルで30分歩きました。
汗をたっぷりかいたのですが、心拍数や酸素飽和濃度を10分おきに測ってくれるので安心して歩けます。
30分で歩いた距離が1.86km。
消費カロリーは114kcaでした。
リハビリの目的は、「現状を維持する」こと。
若い人は、改善や機能の向上をめざすと思いますが、
私のような高齢者は、現状を維持できれば御の字です。
機能は加齢とともに低下するのですから。
来週、再来週と私の通院や父や妹の通院でblogの更新を休むときがあります。
2日間ほど休んでも旅行や入院ではありません(^^ゞ