2024年10月3日木曜日

雨が降ると

朝から本降りだったけど、明日は、父の診察日なので少しでも歩くことにしました。
予報通り、次第に雨あしが強くなり風も強くなったので早々に引き上げました。
雨が降るとカタツムリに出会えます。
9月の平均気温は1946年に統計を開始して以来、最高だったようですし
雨量は、大雨の被害があった東日本の日本海側は別として、年平均よりかなり少なかったようです。

2024年9月の地域平均気候表」(気象庁)
今朝は、雨のおかげで涼しかったのですが、昨日は、蒸し暑かったですね…
昨日のメジロたちです。
水浴びを楽しんでいました(^_-)
(雨で早々に引き上げたので昨日の画像も載せます)
朝ドラ「虎に翼」の穂高重親(ほだか しげちか)教授は進歩的な考えを持ちながらも
時に、保守的な考えを寅子に向って言う場面がありました。
穂高重親のモデルともいわれていた穂積重遠(ほづみしげとう)の娘・岩佐美代子さんの本には、

 第八章 高群逸枝(たかむれいつえさんのこと
 『日本女性社会史』に感銘


 私がすごく面白かったのはね。
まず、結婚にいろいろな形があるということね。
決して女が男の家にお嫁に行くのが昔からのスタンダードな形じゃない。
そして母系氏族制が先にあって、おくれて家父長家族制が成熟して来るということ。
それに関連して、姓氏の問題ね。
氏と名字の問題ね。
なんで藤原氏ばっかり、あんなに沢山あるのか。
「†源平藤橘(げんぺいとうきつ)」といいながらね。
ずっと昔は「蘇我」とか「物部(もののべ)」とか、もっと沢山あったわけでしょ。
それが、結婚によって、祖変ということが起こって、より大きな氏の方に祖先を変えちゃうという現象が起こる。
それで一番勢力の強い藤原氏が一番多くなる。
そう言われれば、よくわかるのね。
(『岩佐美代子の眼 古典はこんなにおもしろい』[聞き書き]岩田なつ 笠間書院 2010年)
 それから、家を幾つも持ってて、結婚すると親の夫婦と子供の夫婦は、絶対に同居しない。
初めは男の家から、女の家へ通う。
女の家の方へ住みつく。
それから後で、自分の家に連れて来るとか。
そいういうシステム、とっても面白かった。
それが武家社会だと、どういうふうに変わってゆくか。
室町あたりで、「婿取り婚」から「嫁入り婚」になる。
初めてそういう事を知って、面白かった。
妻は自分の財産をちゃんと持っているとか、夫婦でも氏が違ったら、お墓は別とか。
招婿婚の研究』の基礎になるもの、みんなここに入っている。
簡略な形ではありますけれど。
『招婿婚の研究』よりも、私は『日本女性社会史』で先に勉強した。
 家の父はね、明治の男性ですからね。
建前としては、女性の権利、婦人参政権が大切だし、女性の法律家がもっと出なくちゃいけないと考えも言いもし、実行もしましたけれどね。
家庭内ではそうは行きませんで、娘は従順、お嫁に行ったら貞淑であらねばいけないし。
一種、やっぱり社会の指導的立場といいますか、良き家庭の見本みたいなつもりでいたわけですよ。
だから娘に変になってもらっては困る。
そういう教育の仕方です。
 姉と私とは、陰でよく話しましたよ。
「父や祖父がいくら偉くたって構わないけれど、せめて『穂積』という名前じゃなくて、『山田』とか『田中』とか、そういうのだったらよかったのにねえ」って、つくづく二人で言いましたけどねえ。
「穂積」じゃ、目立って目立って仕様が無い。
だから尚更、父も警戒するわけですね。
私達は当時知らなかったけど、社会的に名の知れた人のお嬢さんが、ちょっと目立った事をすると、すぐスキャンダルをでっち上げて、†赤新聞にのせる、と脅迫する、そんな事もあったんですから。
 姉なんか気の毒だったんでね。
姉はちゃんと大学行って勉強したら、私よりずっとよく出来た人だしね。
気持は強いし、いろいろ出来たと思うんですよ。
それが学校卒業して結婚したのが、時代としてね、戦争最末期のちょっと前のまだ古い習慣が残っていた、一番悪い時だったんですね。
私はむしろ、戦争で滅茶苦茶になっちゃって。
そしたらば、ある意味、父より私の方が強いわけですよ。
だって、ご飯作るんだって、父には出来ない。
母には出来ない。
私がするわけですから。
防空壕へ大事なもの持って逃げる時でもね。
父は暗い所を、上手く歩けなかったりするものですから。
私は、えばりはしなかったけれどね、実際問題として、ちょっと実力を見せたところはあったんでしょうね。
私のこと、「甘ったれで、大きくなってからは大人しくって、やさしいお嬢さん」と父は思っていたわけです。
そうしたら、そうでもないというところを、見せたことは見せたんですね。
その代わり、敗戦の前にもう結婚しちゃってましたから、戦後、大学へ行く訳にもいかなくて、残念といえば残念でしたけれど、仕様が無い。
 そういうわけで、父にも矛盾するところはありました。
考えれば、父の思う通りに、教育されちゃったというところは、確かにありますけれどね。
でも私は、時代的に、それだけではなく、うまく擦り抜けた。
その点、姉より幸せだったし、ずるかったと言えば、ずるかった。
とにかく、高群さんのこと、素敵だと思って、自分もできればそんな仕事したいと考えていました。

†源平藤橘 ― 奈良時代以来その一門が繁栄して名高かった四氏。源氏・平氏・藤原氏・橘氏の称。
†赤新聞 ― 赤味をおびた粗悪な紙を使った、スキャンダル中心の低級な新聞。
(『岩佐美代子の眼 古典はこんなにおもしろい』[聞き書き]岩田なつ 笠間書院 2010年)
穂積重遠の父・穂積陳重(ほずみ のぶしげ)

 36 女子の弁護士

 昔ローマでは、女子が弁護士業を営むのを公許したことがあって、ホルテンシア( Hortensia )、アマシア( Amasia )などという錚々(そうそう)たる者もあったとか。
しかるに、アフラニア( Afrania )という女子弁護人に、何か醜行がったため、忽ち女性弁護士禁止の説を惹き起し、遂にテオドシウス帝( Theodosius )をして、その法典中に禁令を加えしむるに至った。
この論法をもって推すならば、男子にも弁護士業を禁ずることにせねばなるまい。
(『法窓夜話』穂積陳重 岩波文庫 1980年)
NHKアカデミア「中満泉(後編)世界は必ず変えられる

活動の原点には恩師緒方貞子さんの教えがあります。
人間を中心にすえる
 命さえ守られれば人生はつながれる


母親として
子どもたちが生きる将来のためにも諦めてはいけない。

朝ドラ「虎に翼」でも声をあげることが社会を変える一歩になると様々な場面で描かれていました。

番組の後半では仕事と子育てに奔走した当時のことを話されていました。
夫も5カ月間育児休暇をとり、専業で子どもの面倒を見てくれたそうです。
日本では、少子化が問題になっていますが、
子育てをする環境や社会の理解が貧弱な状況を改善しなければならない。

再放送が10月8日(火)午後3時5分~

前編を見逃した方は「NHKアカデミア テキスト」で読むことができます。
今朝はほとんど写せなかったので、昨日の父の画像です。
コサメビタキだと思います。

ヒタキ類と小型ツグミ類
 ルリビタキ・ジョウビタキなどはヒタキの名がついているがツグミ科に属し、コルリやコマドリなどとともに小型ツグミ類といわれる。
小型ツグミ類は地上を歩いて虫を捕まえるための長くて強い脚が特徴で、くちばしは細い。
オオルリ・キビタキ・コサメビタキなどのヒタキ類は、空中で飛ぶ虫を捕まえるための平たいくちばしが特徴で、脚は短い。
ヒタキ類に発達した口ひげは、捕虫網の役割をすると考えられている。
(『鳥のおもしろ私生活(旧版)』 ピッキオ編著 主婦と生活社 1997年)