2024年8月28日水曜日

雲の動きが速いなぁ

昨日と違うなぁと思ったのは雲の動きが速かったです。
台風10号から遠く離れた地域でも雨の被害が起きています。
公園から帰るときにガソリンスダンドで給油しました。
31日に眼底検査の予定ですが、その頃に台風が接近するようなので
今日、目薬だけを処方してもらい、検査は、31日が台風で危険なら改めて予約することにしました。

北陸や東北も29日にかけ大雨のおそれ 土砂災害などに警戒を」(NHK)
 「【台風10号】なぜ急速に発達?歴代最強クラスも?【専門家QA】」(NHK 8月27日)
発生時は「中心気圧は26日午後3時には980ヘクトパスカルでしたが、27日午後3時には950ヘクトパスカルに達し
28日17時の推定935hPaにもなっています。
これまでにない発達だそうですが、要因は、
台風の進路上の海域で、海面水温と少し深いところの水温がともに高い状態にあったということが挙げられる
第6章 台風のしくみ
 6-2 台風はどのようにして発生するのか
 ●海面水温と発生域の関係


 ここで、熱帯低気圧の発生と海面水温の関係を見てみましょう。
海面水温は、主に日射による加熱によって決まりますが、海流にともなう温度の異なる海水の輸送や、海面より下からの冷たい海水の湧き上がりの影響なども受けます。
図6-6(省略)は、7月の海面水温の平均分布を表しています。
26℃あるいは27℃を超える海域が赤道をはさむ低緯度地方に広がっています。
この温度の海域を図6-5(「熱帯低気圧の発生する地域と各地での呼称」省略)と比較してみると、熱帯低気圧の発生域とよく対応していることがわかります。
(『図解・気象学入門 改訂版』古川武彦、大木勇人 講談社 2023年)
 同じ赤道近くでも、南米大陸の東岸や西岸およびアフリカ大陸の西岸などでは熱低低気圧が発生しないことを先に見ましたが、その海域は高い温度になっていないことが図の比較によりわかります。
海面水温と熱帯低気圧の発生には切り離せない関係があるのです。
 ちなみに、赤道地方にもかかわらず海面水温が低い海域がある理由は、ペルー海流、ベンゲラ海流といった寒流が流れこんでいることです。
寒流というのは、高緯度から低緯度に向かって温度の低い海水が流れる海流のことです。
 海面水温の高い場所では、昼夜を問わず下層付近の空気は暖かく、しかも水蒸気を多く含んでいることが、台風の発生・発達に好都合となっています。
下層が暖かく湿った大気は、第2章で解説したように、潜在的に「不安定」です。
たとえまだ上昇気流が生じていなくとも、下層の空気がなんらかのきっかけで上空にもち上げられれば、すぐに水蒸気が凝結を始め、そのとき放出される潜熱のために周囲の大気よりも軽くなり、自ら上昇する気流となります。
海面水温の高い海域の赤道気団では、大気はそのような不安定さをもっているのです。
 下層の空気がもち上げられるきっかけは、地表付近が日射で特に強く加熱されたときがありますが、それだけではありません。
低緯度の地域における独特の風によってできるものもあります。
次に、低緯度の風について見ておきましょう。
(『図解・気象学入門 改訂版』古川武彦、大木勇人 講談社 2023年)

台風はどこからくるのか」(小学5年)
半世紀以上前の評論です。

 大国と小国 
     『自由』1970年5月号

 1951年の冬から翌年の春にかけて英国に滞在した間に、ある日、私は労働党婦人部を訪ねていたとき、来あわせたイスラエルの婦人の使節団と偶然顔を合わせた。
彼女たちも何かほかに予定があるらしく、労働党婦人部の人々といずれ外でゆっくりあうということにしてあいさつだけでひきあげていった。
とはいってもそのあいさつぶりは和気あいあい、まるでふるさとか、親の家へ帰った娘のようにうちとけてたのしそうで、お客さま気分は薬にしたくもみえなかった。
 あるいはかつて英国に住んでいた人たちかもしれないと私はおもった。
(『山川菊栄評論集』鈴木裕子編 岩波文庫 1990年)
 そのころ、誰であったか、ラスキ夫人か、ベヴァン夫人ミス・リーだったかと思うが、とにかく労働党左派の婦人と話したとき、イスラエルの建国を認めたのは英国外交の大失敗だった。
二千年来いがみつづけて解決のつかなかった現地のユダヤ人とアラブの争いの一方に係争中の土地を独自の領土として与え、国家権力を確立し、国際的な地位を確認するようになったのだから、他の一方はおさまるはずがない、困ったことだ。
今後イスラエルとアラブの争いはますます深刻に、永久に解きがたいものになるだろう、実に人類の災いだ、というのだった。
 イスラエルといい、アラブといい貧しくおくれた国々が、悩める大国から高価な武器を買って、大事な経済の発展や文化の進歩を犠牲にし、子供や女まで爆弾に身をさらし、血をおしまずに戦っている。
まことに愚かとも哀れともいいようがない。
しかし他の分割国家とてもみな大国の手のひらでおなじようにおどらされていることに変わりはない。
ヤルタ会談のとき、スターリンとチャーチルの間でユーゴを英ソで分割統治する話がきまったことを、後年同席したルーズヴェルトが公表したが、二人とも否認しなかったから事実にちがいないとユーゴではいっていた。
なおスターリンは、ユーゴに対し英国に亡命中の国王を迎えて立憲君主制を再興せよ、とすすめたが、ユーゴは独力ですでに戦時中ヒトラーとムッソリーニの侵略軍と戦い、社会主義の政府を確立していたので、スターリンの提案を拒否し、国王は戦時中素手で戦っている国民を見すてて外国に逃亡した裏切者だから、帰国したら裁判にかけるといったので、スターリンは黙ってしまったという。
もしユーゴが独立し、革命を遂行したのでなかったなら、今ごろ血で血を洗う分裂国家の悲劇を味わっていたことだろう。
チャーチルが死んだとき、世紀の天才政治家、偉大な英雄ともちあげたマスコミのお追従に対して、労働党左派では、戦前は労働運動の敵、戦中戦後は最も邪悪な反動、独裁家としてのろった。
いずれにせよ、大国もその代表的英雄が天才を発揮するところ、災いをまねくのは小国と、その国民である。
日本も少々景気がいいからとて大国気分に酔うことはつつしみたいし、大国の手のひらでおどることも戒めたい。
国も人間も自主独立に限る。
(『山川菊栄評論集』鈴木裕子編 岩波文庫 1990年)

台風に備えるのでしばらく更新をお休みします。