2024年8月11日日曜日

山の日

立秋を過ぎて風が少し涼しく感じます。
それでもまだまだ暑い暑い(;´Д`)
今年は、大阪などはあまり雨が降らないのに
各地で大雨の災害が多い。
台風の被害が心配です。

台風5号 あす東北に上陸の見込み 線状降水帯発生のおそれも」(NHK)
 今日は「山の日」(「国民の祝日」について
山に親しむ機会を得て、山の恩恵に感謝する。
病気をする前は、この時期、信州方面の山に登るのを楽しみにしていました。

 山開きとウェストン祭

 山開きには、大きくわけると2種類あります。
一つは昔から続いている信仰登山のもの、もう一つはスポーツとしての近代登山のものです。
(『信濃風土記』NHK長野放送局編著 和広 1979年)
 信仰としての登山の原点は、山頂が神の鎮座まします所であるという発想に基づいていると考えられます。
農耕が始められてから、水源地が山であるところから、雨乞いをしに登山し、収穫が終われば、感謝を献げに登山するという行動が起こってきました。
さらに仏教が渡って来ると、神仏が習合して、仏が神の姿に化身して山頂に鎮座ましますという発想が生まれ、山中に苦行して心身を鍛練するにつれ、神通力を得て神仏に近づけるとの信仰が生まれてきました。
いわゆる修験道というのがこれに当たります。
 山岳信仰に基づく山開きとしては、鳥居峠の峠祭り、四阿山(あづまやさん)の山開き、米子不動尊の登山、千曲川の源流の金峰山、六月下旬の信越国境の苗場山、西駒ケ岳、七月初めの木曽の御岳山の山開きなどがあります。
 一方、近代登山の山開きとしては、まず代表的なものとして、6月の第一日曜日に上高地で行なわれるウェストン祭があげられます。
イギリスの宣教師ウォルター・ウエストンは、明治21年から大正4年までの間に3回来日し、あしかけ15年にわたって日本に滞在しました。
そして明治24年にはじめて日本アルプスに登って以来その魅力に取りつかれ、ロンドンで「日本アルプスの登山と探検」という本を出版し、日本アルプスを世界に紹介しました。
また日本山岳会の創立に尽くすなど、ウェストンは日本近代登山の父と言われています。
ウェストン祭は、このウェストンの功績を記念して、日本山岳会が、毎年上高地の梓川右岸にあるウェストンの胸像の前で開いているもので、全国各地から登山家が集まり、ウェストン像に花束を捧げたり、山の歌を合唱したりします。
 このウェストン祭をはじめとして、針ノ木雪渓の慎太郎祭り、八ヶ岳開山祭、七月初めには白馬岳の貞逸祭など各地の山開きが行なわれ、またツツジの咲く時期に合わせて佐久高原、霧ヶ峰、八千穂高原、湯ノ丸高原などで次々とツツジ祭りが開かれます。
そして、県内の山は本格的な山のシーズンを迎えます。
    (佐藤貢 日本山岳会会員)
(『信濃風土記』NHK長野放送局編著 和広 1979年)

第78回ウェストン祭」(自然公園財団 2024.6.3)
ヴィクトール・フランクルも登山を趣味としていました。

 趣味

 …前略…

 ロッククライミングは、八十歳になるまで私の情熱の対象だった。
ユダヤ人識別用の星をつけていたために一年間山に行けなかったときは、山登りの夢を見るほどだった。
その後、親友のフーベルト・グシュアに説得され、思い切って星をつけずにホーエ・ヴァントへ行ったとき、岩を登りながら(われわれはカンゼルグラートのコースを選んだ)文字通り、岩に口づけせずにはいられなかった。
(『フランクル回想録 20世紀を生きて』V・E・フランクル 山田邦男訳 春秋社 2011年)
 ロッククライミングは、たとえ年をとって力が衰えても、それまでに培った登山経験と巧妙なテクニックによって年をカバーできるただひとつのスポーツであると言えるだろう。
いずれにせよ、私が岩壁をよじ登っていた時間は、私が次の書物を書いたり次の講演の準備に携わっていない唯一の時間であった。
それは決して誇張ではなく、ホアン・バティスタ・トレロ(*1)がかつてオーストリア大学新聞に書いたように、私が拝受した27の名誉博士号よりも、アルプスの二つの登山路が初登頂者にちなんで「フランクル登山路(シュタイゲ)」と名付けられたことの方が、私にとって大きな意味があるのではないかと感じるほどなのである。
 さきに述べたように、最も私の心を躍らせるものは、ルーレットと脳手術と初登頂である。
それに加えて最も幸福感を覚えるのは、町では出版が完了したり原稿を発送したとき、山ではちょうど美しい岩壁を登り、その夜を親しい友人とともに気楽な山小屋でくつろいで過ごすことである。
それと同時に、私がラックス山頂の平坦地(*2)のような人けのない所へ行くのは(他の人が荒野に行くように)、静かに散策しながら自分の考えをまとめるためである。
重要な決意や決定的な決断は、おそらくほとんどそんな山頂の静かな散策の時に下したものである。
 しかし、私が登ったのはアルプスだけではない。
ホーエ・タトラ山(チェコ=ポーランド国境)は、難度4くらいもあるような非常に難しい尾根で、その時は妻のエリーも一緒だった。
また南アフリカでは、シュテレンボッシュ大学の記念式典で祝賀講演をおこなった際、ケープタウンのテーブル・マウンテンにも登った。
その時の案内役は、南アフリカ・ロッククライミング・クラブの会長であった。
さらに、エリーと私は、偶然、アメリカのヨセミテ渓谷で、当時オープンしたばかりのロッククライミング・スクールの最初の受講者となった。
 私の友人たちは、私のロッククライミングにかける情熱が、私の1938年の最初の著作で提起した「高層心理学」への関心と関連していると確信している。
私が67歳にもなって、飛行機の操縦レッスンを受けたことがその証拠だ、というわけである。
そして、わずか数ヵ月後、私は初めての単独飛行をおこなうことになった。
…後略…

(*1) ウィーン在住の精神科医、カトリック神父。
(*2) 北カルクアルプスにある台形状の山塊。ここの稜線がシュタイヤーマルク州とニーダーエースタライヒ州の境界線になっている。
(『フランクル回想録 20世紀を生きて』V・E・フランクル 山田邦男訳 春秋社 2011年)
  第4回 人生という「砂時計」

 …前略…

 フランクルがとても気に入っていた、短い詩を紹介します。
南チロルへ登山に出かけたときに、ある村で見つけた壁掛けに記されていた詩だそうです。

  輝(かがや)く日々――
  それが過ぎ去ったことを泣くのはやめよう
  その代わり、かつてそれがあったことを思い出して微笑(ほほえ)もう
 (Frankl,Bergerlebnis und Sinnerfahrung,Tyrolia Verlag,2008)

(『ヴィクトール・フランクル それでも人生には意味がある』勝田茅生 NHK出版 2024年)

来週8月18日(日)午前5時から
ヴィクトール・フランクル それでも人生には意味がある (5)「何か」に支えられて
が、放送されます。