2022年10月6日木曜日

故障ではなかった

今朝も2回シャッタを押しながらの撮影でした。
写るだけでもいいやと思いながらリハビリ散歩をしていました。
30分ほど歩いたときに、何気に設定を見ると
ドライブモードが「ミラーアップ撮影」になっていました。
電源を入れたままカメラをぶら下げているので
何かの拍子に設定が変わっていたようです。
1コマ撮影」に設定すると今までのように撮影できました(^^ゞ
近畿 寒気など影響で気温上がらず7日はさらに低くなる見込み」(関西NHK)
今朝の寒いこと…
のら猫たちが縮こまっているように見えました。

荒木健太郎さんのTwitterに

日本海には冬にできる筋状雲ができつつあります。
寒気が雲にもあらわれています。
朝からニュース速報
北朝鮮 弾道ミサイル2発を発射 いずれもEEZ外落下か」(NHK)

北朝鮮によるミサイル発射は巡航ミサイルも含めてことし24回目だそうですが
ミサイルの費用で国民の飢えを防げるはず!

北朝鮮ミサイル33発の費用=食料不足分賄える額 韓国研究院が試算」(朝日新聞 2022年6月10日)

電力不足を解消するために原子力発電所の再稼働などが行われようとしていますが

ロシア 原発を政府管理下 ウクライナ反発 IAEAが双方と協議へ」(NHK)

北朝鮮が、日本の原子力発電所を狙えば核ミサイルを発射する必要はない。
 池田香代子さんのTwitterに

今回は言いたい。
これは酷すぎる。
あの行為でどんな「関心」が辺野古に向けられたというのか。
新基地反対してる人々に元々冷たい人々の劣情を掻き立てただけではなかったか
→茂木健一郎氏、ひろゆき氏の“座り込み”ツイートを評価「結果として辺野古の問題に関心が向けられた」

言論ビジネス業界人としてお仲間をかばい、同時にソロバンを弾いた上での発言だったのでしょう。
これまでも不愉快なので視野から追いやっていたけれど、今回ばかりは腹に据えかねた。

安田菜津紀さんのTwitterに

ひろゆき氏に限らず、踏みにじってはばからない側はよく、”にやにや”している。
それは”にやにや”としていられる余裕、マジョリティとしての「特権」のある側だからだと思う。
そんな暴力的”にやにや”がはびこる空気感を、少しでも変えていきたい。
冒頭でお話しました


《現地取材報告》韓国~ルーツを巡る旅――祖母の足取りを追って~」Radio Dialogue 079(10/5)
昨日の記事で田辺聖子さんの『田辺聖子の古典まんだら(上)』より
女はやっぱりしたたか―今昔物語集」の2話目「女盗賊の話」を紹介しました。
今日は、古文を転記したいと思います( ..)φ
なお、「注」などは省略しますので本を参照してください。
尚、「□」は欠字を表しています。

巻第二十九
 人
(ひと)に知(し)られぬ女盗人(おんなぬすびと)の語(こと) 第三

 今昔(いまはむかし)、何(いず)れの程の事にか有けむ、侍(さぶらい)程也(ほどなり)ける者の、誰とは不知(しら)ず、年三十許(ばかり)にて、長(たけ)すはやかにて少し赤鬚(ひげ)なる、有けり。
(『今昔物語集 本朝部(下)』池上洵一編 岩波文庫 2001年)
 夕暮方に、□と□との辺(わたり)を過(すぎ)けるを、半蔀(はじとみ)の有けるより、鼠鳴(ねずみなき)をして手を指出(さしいで)て招(まねき)ければ、男寄て、「召(めす)にや候(さぶらう)らむ」と云ければ、女音(おんなごえ)にて、「聞(きこ)ゆべき事の有てなむ。其の戸は閉(とじ)たる様(よう)なれども、押せば開也。其れを押開(おしあけ)て御(おわ)せ」と云ければ、男、「思ひ不懸(かけ)ぬ事かな」と思ひながら、押開(あけ)て入(いり)にけり。
其の女出会(いであい)て、「其の戸差(さ)して御(おわ)せ」と云(いい)ければ、戸を差して寄(より)たるに、女、「上(あがり)て来(こ)」と云ければ、男上にけり。
(すだれ)の内に呼入れたれば、糸吉(いとよ)く□たる所に、清気(きよげ)なる女の、形(かた)ちは愛敬付(あいぎょうづき)たるが年二十余許(はたちあまりばかり)なる、只独(ひと)り居て、打咲(うちえみ)て□ければ、男近く寄にけり。
此許(かばかり)女の睦(むつ)びなむには、男と成(なり)なむ者の可過(すぐすべ)き様(よう)無ければ、遂に二人臥(ふし)にけり。
 其の家に、亦(また)人一人無ければ、「此(こ)は何(いか)なる所にか有らむ」と、怪く思へども、気近(けぢか)く成て後、男、女に志(こころざし)深く成にければ、暮(くる)るも不知(しら)で臥(ふし)たるに、日暮ぬれば、門(かど)を叩(たた)く者有り。
人無ければ、男行て門を開(あけ)たれば、侍(さぶらい)めきたる男二人、女房めきたる女一人、下衆女(げすおんな)を具して入来(いりき)たり、蔀下(しとみおろ)し、火など燃(とも)して、糸清気なる食物(くいもの)を、銀(しろかね)の器共(うつわものども)に為居(しす)へて、女にも男にも食(くわ)せたり。
男、此れを思ひける様(よう)、「我れ入て戸は差(さし)てき。其の後、女、人に云ふ事も無かりつるに、何(いか)にして我が食物をさへ持来(もてき)たるにか有らむ。若(も)し異夫(ことおうと)の有(ある)にや有(あ)らむ」と思ひけれども、物の欲(ほし)く成にければ、吉く食(くい)つ。女も、男にも不憚(はばから)ず物食ふ様(さま)、月無(つきな)からず。
食畢(くいはて)つれば、女房めきたる者取り拈(したた)めなどして、出で吉ぬ。
其の後、男を遣(やり)て戸をば差(ささ)せて、二人臥ぬ。
 夜明て後、亦(また)門を叩(たたき)ければ、男行て開(あけ)たるに、夜前(よべ)の者共には非で、異者共(ことものども)入来て、蔀打上け、此彼(ここかし)こ打掃(うちはらい)などして暫居(しばしい)たる程に、粥(かゆ)・強飯(こわいい)持来(もてき)て、其等(それら)(くわ)せなどして、取り次(つづ)き昼の食物持来(もてき)て、其等食せ畢(はて)て、亦皆去(さり)ぬ。
 此様(かよう)にしつゝ二三日有る程に、女、男に「物などへ可行(ゆくべ)き所や有る」と問へば、男、「白地(あからさま)に知たる人の許(もと)に行て、可云(いうべ)き事こそ侍れ」と答ふれば、女、「然(さ)らば疾(と)く御(おわ)せ」と云て、暫(しばし)居たる程に、吉き馬に尋常(よのつね)の鞍置て、水旱装束(すいかんしょうぞく)なる雑色(ぞうしき)三人許(ばかり)、舎人(とねり)と具(ぐ)して将来(いてき)たり。
(さて)、其の居たる後(うしろ)に、壺屋立(つぼやだち)たる所の有(あり)けるより、着(き)ま欲(ほし)き程の装束を取出(とりいだ)して着せければ、男、其れを打着(うちき)て、其の馬に這乗(はいのり)て、其の従者共を具して行(ゆき)けるに、其の男(おのこ)共、心に叶(かな)ひ仕(つか)ひ吉き事無限(かぎりな)し。
(さ)て返(かえり)にければ、馬も従者共も、女何(いか)にも不云(いわ)ねども、返り去(さり)ぬ。
物食(くわ)する事なども、女の云ひ俸(おき)つる事無けれども、何(いず)こより持来(もてきた)るとも無くて、只同じ様(よう)にぞしける。
(『今昔物語集 本朝部(下)』池上洵一編 岩波文庫 2001年)

…つづく…
今朝の父の一枚です(^^)/

 秋収(あきおさ)

 春に耕しを始め、施肥、田植え、取水、除草などに心を配り、秋になって稲刈り、稲扱き、籾摺りなどを行い、今年米を俵や袋に納めます。
田んぼに散乱したままの藁屑や畦(あぜ)の雑草などをまとめて焼いたり、農機具の片づけをしたりして、野外での農作業を終えます。
無事に終わったことを祝って「秋仕舞い」の宴を開いたり、「鎌祝い」と称して農具をねぎらう祭を催したりして喜び合います。
 そのやり方や名称は地域によってさまざまですが、今年も無事に収穫することができたという田の神への感謝と、これで冬を越せるという安堵(あんど)の表れであることにおいては共通しています。
田植えの日からこの日までの間、ひどい風雨の害や冷夏などの被害もなく、五風十雨(ごふうじゅうう)の恵みをうけて無事に実りの秋が迎えられたということは、この上もなく喜ばしいことです。
 当節では、田植えから稲刈りまでに機械がもちこまれ、人手を煩(わずら)わせることが少なくなりました。
農作業を共同で行う「結(ゆい)」という互助制度も見られなくなりました。
稲作にかかわる神事や、秋祭の内容からかつてのような敬虔(けいけん)な祈りが薄らぎました。
 夕暮れの畦に立ち、田の白い煙を眺めるとき、しみじみと「今年の秋も終わりだなぁ」という感慨を深くします。
日本人が見てきた秋収めの煙です。
(『NHK俳句 暦と暮す 語り継ぎたい季語と知恵』宇多喜代子 NHK出版 2020年)