公園に自転車で向かっていた時は、曇り空で寒かったです。
次第に晴れ間が見えてきました。帰るときに出会った方にこれから父を歯科医院に送っていくので
早めに帰りますと話すと、
「早じまいですね」と声をかけられました。
昨日、父の差し歯が抜けたので、
今朝、父が電話をすると午前中に診てもらうことになりました。
公園を駆け足で回ると舞ちゃんのように熱は出ないけど
心臓がオーバーヒートするので歩く距離を短くしました。
予告動画を見ていると、全力で走っても熱がでなくなりそうだなぁ
今まで散歩から帰ってきたらすぐに画像の編集などをしていたのですが
ついつい見逃し配信やあさイチの朝ドラ受けを見てしまっています(*´▽`*)田辺聖子さんの『今昔物語集』の続きです( ..)φ
女はやっぱりしたたか――今昔物語集
現代では、母親が産んだ子供を捨てるという怖い事件がときどき起こりますが、『今昔物語集』にも、一人で出産して、その子を捨てようとした女の話があります。
あるところに宮仕えする女がいました。
父母も親類もなく天涯孤独で、行くところもないので、いつも局(つぼね)にいます。
病気にかかったりしたら、どうしようと心配しています。
(『田辺聖子の古典まんだら(上)』 新潮社文庫 2011年) ところが、これと決まった夫はいないのに、女は懐妊してしまいます。
相談する人もいないし、御主人にも恥ずかしくて言えません。
悩み抜いた末、出産しそうになったら、彼女に仕えている女童(めのわらわ)を連れて、どこか山の中へでも行って産み落とそう。
自分の命がなくなればそれでもいいし、命をとりとめたなら、何くわぬ顔をして帰ってこよう、と考えつきます。 ある明け方近くに女は産気づきます。
夜が明けないうちにと、あらかじ用意しておいた食べ物などを女童に持たせ、急いで出て行きます。
とにかく山に近いのは東だと、東を指して進みます。
賀茂川を越えたあたりで夜が明けました。
北山科まで来ると、一軒の荒れ果てた山荘が目につきます。
人の住んでいる気配はありません。「よかった。これでやっと子供が産める」と、中に入って休息している、奥から老婆(ろうば)が出てきます。
きっと追い出されるだろうと思ったのですが、老婆は微笑(ほほえ)みながら、どうしてここにいるのか訊ねます。
女が泣きながら事情を説明すると、老婆は親切にこう言ってくれました。
「可哀想(かわいそう)に。ここでお産みなさい」 これも仏様のおかげだと、女はとても喜びます。
案じていたよりも安らかに、無事男の子が産まれました。
老婆は言います。
「私は歳も歳だし、片田舎の独り住まいなので、産の穢(けが)れも一向にいといません。七日ほど、ここにいてから帰ればいい」
当時は、死や出産は穢れになるので物忌(ものい)みをしなければなりません。
出産の物忌みは七日間でした。 女童に湯を沸かしてもらい、産湯(うぶゆ)をつかわせました。
女は一安心です。
しかし、産まれた子がとても可愛(かわい)かったのは、計算違いでした。
山中に捨てて、何食わぬ顔をして帰るなどとは、もはや考えられません。 二、三日ほど過ぎました。
女が昼寝していると、老婆が子供を見ながら、「何とうまそうな赤子だろう。一口だわ」と言うのが、夢うつつに聞こえました。
眼を覚まして老婆を見ると、女は思わずゾーッとします。
乱れた髪といい、鋭い光をたたえた細い目といい、まさに鬼そのものです。
「鬼だったのだ。きっと食われてしまう」、女はひそかに逃げようと考えます。 幸いなことに、ある時老婆が長い昼寝をしました。
女童に赤ん坊を抱かせて、自分も取るものもとりあえず、山荘からまろぶように逃げ出します。
いまにも老婆が追いかけてくるのではないかと怖(おそ)ろしかったのですが、仏を一心に念じて走り、ほどなく粟田口(あわたぐち)に至りました。 人の家を借りて、衣を直したりして、日が暮れてから、主人のもとに戻りました。
子供は人に預けることにし、そののちは、その子の成長を楽しみ過ごしました。
女は虎口を逃れて赤ん坊を得たのです。
(『田辺聖子の古典まんだら(上)』 新潮文庫 2011年)