涼しいというよりも寒さを感じるほどでした。
ムラサキシジミが翅を広げて体を温めていました。昨日、郵便受けに
「オミクロン株に対応した2価ワクチンの接種が開始されました」
の案内が入っていました。
それを見た父が「またワクチンを打たないといけないのか…」
父は副反応は、注射したところが痛くなる程度。
一方、妹は発熱とだるさがあるので「嫌だな…」
ワクチンよりも治療薬の登場はまだかな?
ネット見るとワクチン陰謀論が飛び交っているのですが…ルポ 副反応 第4回(最終回) 裁判闘争と「三基準」 山岡淳一郎
…前略…
国の責任として
いま「破壊的イノベーション」で製造されたワクチンの副反応被害について語ろうとすると、とても窮屈な空気に包まれる。
因果関係が濃厚な事実をもとに語っても、友人でさえ「危険さを煽って、反ワクチン派の陰謀論に加担するのか」と色眼鏡でみる。
反ワクチン派は「それみたことか。接種は悪だ。絶対に打たせるな」と全否定していきり立つ。
打つか打たないか「旗色を鮮明にしなさい」と言外に迫られるのだ。
(『世界 2022年11月号』岩波書店)
接種の判断は、小児はともかく、成人は本人の意思にかかっている。
限られた情報のなかで利益とリスクを勘案して本人が決めれば、まわりがとやかく言う問題ではない。
ところが、カルト的な反ワクチン派のなかには接種イコール悪と決めつけ、接種会場に乗り込んで妨害する団体まで現れた。
陰謀論は政界にもおよぶ。
先の参議院選挙に向けた運動期間中、「自分のまわりのコミュニティの数千人は誰もワクチンを打っていない」と豪語(?)した人物が事務局長を務める参政党が一議席を獲得した。 反ワクチンの暴論がはびこるのは、行政当局の副反応被害への対応が遅れているからではないか。
ワクチンへの不信感が陰謀論をかきたてる。
社会防衛のために「少数の不幸」を置き去りにすれば、反動が生じる。
多数の人にとって発熱や痛み、疲労感で終わる副反応が、一部の人には死や後遺障害をもたらす。
ワクチン接種を推奨する国は、副反応被害者を救済しなくてはなるまい。
とともに「どんな人に副反応が起きやすいのか」「副反応のリスクを抱えている人は誰か」を探求し、接種を避けたほうがいい人をあらかじめ見つけだす。
それが科学の王道だろうが、そのような動きはまだ伝わってこない。
私の手もとには四回目のワクチン接種券が届いている。
国への信頼度が試されているようだ。 (おわり)
(『世界 2022年11月号』岩波書店) 今月出たばかりの新書で、いつか京都を歩く時の参考にしようと買った本に
第5章 京の食文化――その未来
コロナ禍
2020年(令和2年)2月ころから、日本各地で新型コロナウイルスの流行が確認され、2022年9月段階で累計2000万人超の感染者、4万3000人超の死者数を数える巨大災害となった。
しかしやっかいなのは、感染力も致死率も、圧倒的多数の人びとを恐怖のるつぼに投げ込むほどに高くないことである。
加えて発症率も決して高くない。
つまり無症状のままウイルスをまき散らすスプレッダーがたくさん現れる。
それもあって、感染はなかなか終息の気配をみせない。
(『京都の食文化 歴史と風土がはぐくんだ「美味しい街」』 佐藤洋一郎 中公新書 2022年) このウイルスのやっかいなところは、食を直撃しているところにある。
といっても、ノロウイルスのように消化器を攻撃するわけではない。
飛沫(ひまつ)や接触により口、鼻、眼などから侵入し、呼吸器や循環器はじめ多臓器に損傷を与える。
眼や鼻はともかく、口は呼吸器の入り口であるとともに消化器の入り口でもある。
しかも、ヒトは食べるとき、他者と一緒に食べる習性を持ち続けてきた。
この習性は「共食」と呼ばれているが、共食という習性は単に食卓の上でのことに限らず、食の生産や流通の段階を含めて考えるべきであろう。
つまり、地球上に生きるヒトは誰一人として、自分の力で自分の食をまかなうことができないからだ。 皮肉にもこの共食という人類の習慣が、この感染症の終息を困難にしている。
こうウイルスは、じつに嫌なところを突いてきている。
他者との共食が、著しく制約を受けた。
人びとの行動は大きく変容した。
2020年春に出された緊急事態宣言時には飲食店の営業の自粛や営業時間の短縮が求められた。
また、「テレワーク」が推奨されるなどして、とくに都市部で人びとの外出や動きが大きく減った。
「巣ごもり需要」などという語が生まれ、家庭で料理する人が増えた。
外食の需要は大きく落ち込んだ。
これまでなら昼食は、外で弁当などを買ってくるか、社員食堂や外食店で摂(と)るのが普通だった。
夜は仲間や仕事の関係者と一緒に摂ることが多かった。
その習慣を、このウイルスは突いている。
出かけないのだから、外食のチャンスは当然、減少する。
しかも外食という行為が危険だとやり玉に挙げられた。
冷静に考えれば、外食そのものがリスクの高い行為なのではない。
たしかに都会の飲食店は狭い。
テーブルも小さいし、テーブルとテーブルの間隔も狭い。
だがそれは外食そのものの属性ではない。
外食店は、感染症対策をして客を迎えようとしたが、そもそも人出が伸び悩んでいる。
窮余の策として、多くの外食店がとったのは配達や仕出し、あるいは弁当販売などだった。
いわば中食化がおきたといってよいだろう。 国内からの訪問客も訪日外国人も激減したことで、京都でも飲食店を含む観光産業は大打撃を受けた。
外食店は窮地に立たされた。
小規模なところには廃業・倒産したところも多くあった。
飲食店の廃業・倒産は連鎖反応をおこし、店の従業員はもちろんのこと、食材を納入している会社、それを運ぶ運送業者、農家や漁業者など、関係する多くの関係者を連鎖的にいためつけた。
コロナ禍は、食の生産・流通の段階でも、人と人とのつながりを絶つ。
感染の第七波は、感染力がこれまでのどの系統よりも強いウイルス株によってもたらされた。
発祥すれば症状の軽重によらず一定期間の隔離が求められる。
いろいろな業界・分野で、感染者や濃厚接触者の急拡大により、櫛(くし)の歯が欠けるように要員が欠けてしまう。
医療従事者の感染は医療の力をそいでゆく。
同じく流通従事者の感染は流通の力をそいでゆく。
日本ではそれほど顕在化しなかったが、国外では感染の急拡大が食材をはじめ資材の運搬を阻害した事例がいくつもある。
(『京都の食文化 歴史と風土がはぐくんだ「美味しい街」』 佐藤洋一郎 中公新書 2022年)
中公新書のサイトを見ていていつも思うのは、せめて「目次」くらいは載せてもいいのにと…父の画像です(^^)v
ここ数日、ヨタカを写しています。
これは、10月23日に写しました。
今朝も写しているのですが、目をつぶって眠っていました。
23日は、眠そうに少し目を開けていた(*´▽`*)
よだか【動】夜鷹。
正しくはヨタカでダは賢治独特の方言ふうのにごり。
タカ目ヨタカ科の鳥。
童話[よだかの星]に「ほんたうは鷹の兄弟でも親類でもありませんでした。よだかはあの美しいかはせみや、鳥の中の宝石のやうな蜂すゞめの兄さんでした」とあるが、かつての分類ではいずれも仏法僧目(ぶっぽうそうもく)に属するとされていた。
翼長22㎝ほどでハトの大きさ。
体は樹木の幹に似た灰褐色で保護色。
大きい嘴は平たく、キョキョキョと鳴きながら虫を捕食する。
夜行性のたくましさをもつので、英語でも night hawk(ナイト ホーク)と言えば昔から夜の女(ストリート・ガール→street girls )のたとえにもされたり、日本でも古くから夜鳴きそばのことを夜鷹蕎麦(よたかそば)と言ったりした。
「夜だか鳴き、/オリオンいでて/あかつきも ちかく/お伊勢の社をすぎたり」(短歌)、「顔は、ところどころ、味噌をつけたやうにまだらで、くちばしは、ひらたくて、耳までさけています」「曇ってうすぐらい日か、夜でなくちゃ、出て来ない」(童話[よだかの星])、「あたいの兄貴はやくざもの、と/(中略)/名前を夜鷹と申しますといふんだ」(詩[花鳥図譜、七月])、「夜鷹が食って かけすが死んで」(童話[タネリはたしかにいちにち嚙んでゐたやうだった](→ホロタイタネリ)等。
なお、よだかが星になる童話[よだかの星]はむろん作品の生んだ星の名だが、「すぐとなりはカシオピア座でした。天の川の青じろいひかりが、すぐうしろになってゐました。(中略)今でもまだ燃えてゐます」と書かれている。
この位置づけは、カシオピア近くで有名な超新星、ティコの星が出現したことがあり、賢治はこれを念頭においていたかとも考えられる。
(『新宮澤賢治語彙辞典』原 子朗 東京書籍 1999年)
「すばる望遠鏡、ティコの超新星残骸の起源を解明」(AstroArts 2008年12月8日)