今朝も青空で暑いくらいでした。
昨日と違ってモコモコした雲が見られました。
いろんな雲を見てきたけど…
「【動画】北海道で漏斗雲か」(NHK 10月15日)
「竜巻のはなし」(福岡管区気象台)「旧海軍の特攻基地 鹿屋市串良町で犠牲者の追悼式」(鹿児島NHK 10月15日)
有田焼の人間国宝、井上萬二さん(93)が
「戦争は、勝者であれ敗者であれ、尊い人命の犠牲を伴うことには変わりありません。
今の日本の平和が永遠に続くことを祈っており、若くして命を落とした戦友たちの鎮魂の場となればと思います」
〝訓練なく2週間で戦死 予備役「無言の帰郷」〟(時事ドットコム 10月15日) 骨のうたう
戦死やあわれ
兵隊の死ぬるや あわれ
遠い他国で ひょんと死ぬるや
だまって だれもいないところで
ひょんと死ぬるや
ふるさとの風や
こいびとの眼や
ひょんと消ゆるや
国のため
大君のため
死んでしまうや
その心や
(『愚の旗』 竹内浩三著 成星出版 1998年)白い箱にて 故国をながめる
音もなく なんにもなく
帰っては きましたけれど
故国の人のよそよそしさや
自分の事務や女のみだしなみが大切で
骨は骨 骨を愛する人もなし
骨は骨として 勲章をもらい
高く崇められ ほまれは高し
なれど 骨はききたかった
絶大な愛情のひびきをききたかった
がらがらどんどんと事務と常識が流れ
故国は発展にいそがしかった
女は 化粧にいそがしかったああ 戦死やあわれ
兵隊の死ぬるや あわれ
こらえきれないさびしさや
国のため
大君のため
死んでしまうや
その心や 三ツ星さん
私のすきな三ツ星さん
私はいつも元気です
いつでも私を見て下さい
私は諸君に見られても
はずかしくない生活を
力一ぱいやりまする
私のすきなカシオペア
私は諸君が大すきだ
いつでも三人きっちりと
ならんですゝむ星さんよ
生きることはたのしいね
ほんとうに私は生きているバギオの土
松島こう
山幾重越え来て夏を冷えびえと
バギオの街は黄昏れゐたり
難路を八時間ほどバスに揺られて、私が比島の北部ルソンにあるバギオを訪れたのは、昭和五十一年七月二十八日のことだった。
弟、竹内浩三最期の地と戦死広報に記されている「バギオ北方一〇五二高地」とは、私が考えていた高地とは違い、当時呼ばれていた陣地の名称番号であったことを、着いてみて初めて知った。
一〇五二高地が現在のどこにあたるのかを知る人はいなかった。 翌朝早く、私はホテルの後ろにある丘に登った。
バギオの街を眼下に見下ろせるそこは、赤松林になっていて、日本の風景そのままであった。
探せば、松茸、しめじと茸狩りでもできそうなこの丘に陣を敷き、一寸先も判らぬ生命の極限のなかに、遥かな故国の父母、妻、子、兄弟、恋人に届かぬ想いを馳せていたであろう日本兵のことを思うと、私は熱いものが込み上げ、思わずその場に身体を投げ出し、慟哭した。
幾千幾万の若い血潮で固まった黒い土。
バギオの丘の土。
私はその土を両掌でかきよせ、両腕に両頬にとなすりつけ、息をひそめた。 バギオ市内の英霊追悼碑の前では慰霊祭が行われ、遺族たちがそれぞれ故人の好物の品、煙草や酒や茶などを供え、僧侶の先達で般若心経を唱え、冥福を祈った。
もう再び訪れることもあるまいこのバギオの地。
私は「姉ちゃん、姉ちゃん」と追いかけてくる幼い日の浩三の、あのベソをかいたような童顔が目の前から消えず、瞼を閉じたまま、帰りのバスの振動にただ身をゆだねていた。 八月一日、合同慰霊祭のため慰霊塔のあるカリラヤへと向かった。
カリラヤの丘は夏の陽光が燦々と満ち溢れ、眼下に拡がる椰子の密林は果てしなく、遥かな空へと融けこんでいた。
この雲一つない真っ青な南国の空は、カリラヤの激戦地、いや、南方のすべての島々の戦場に果てた人たちが恋いこがれた故国日本の空へと続いているのにちがいなかた。
弟の魂よ今こそわが胸に憑きて帰れよふる里の地へ
握りしめ掌にあたる石一つ弟が果てしこの島の石
(『愚の旗』 竹内浩三著 成星出版 1998年)
「詩人・竹内浩三を育てた伊勢志摩の山と海…姉・松島こうさんに聞く」(季節を歩く) 今朝の父の一枚です(^^)/
エゾビタキを写していました(^^)v
蝦夷鶲[えぞびたき]
北海道らしくない「エゾ」の鳥
サメビタキ属の代表的な3種(エゾビタキ、サメビタキ、コサメビタキ)は、互いによく似た灰色っぽい色彩の小鳥です。
大雑把にいえばコサメビタキが平地、サメビタキが山岳地(亜高山帯)に棲(す)み分け繁殖する夏鳥で、エゾビタキは基本的に国内では繁殖せず春秋に通過する旅鳥です。
エゾビタキは特に秋季に数多く渡来し、公園などのちょっとした緑地にも現れます。
ちょっと不思議なのはエゾビタキという和名です。
蝦夷というのはご存じのように北海道のことですから、普通はエゾビタキと名が付けば北海道で多く見られるものと相場が決まっています。
国内では北海道にのみ生息する種や亜種を示す言葉として、エゾライチョウやエゾフクロウといった例がすぐに思い浮かびます。
ところが、エゾビタキは北海道ではほとんど見ることのない鳥なのです。
私は北海道を本拠地として30年近く鳥を見てきましたが、エゾビタキを北海道で見たことはほとんどないのです。
確実にそれと断定できるのは1回だけです。
それに対して、東京や沖縄では何度もエゾビタキを観察しています。
たまたま私に北海道での観察運がないだけなのかもしれませんが、少なくとも私の経験からはこの鳥に蝦夷の名を冠するのは適切ではないと感じます。
そう思って調べてみると、蝦夷地とはアイヌ民族の居住地の意。
つまり、北海道だけでなく、千島列島や樺太も含む地名なのだそうです。
エゾビタキの繁殖地は千島列島やサハリンなどですから、まさに蝦夷地で繁殖する鳥なのでありました。
いやはや、蝦夷イコール北海道と考えていた私の認識不足でした。
ただ、『広辞苑』には蝦夷は「北海道の古称」とありますから、突き詰めれば「蝦夷地」がどこまでの範囲を指すのか、という問題になりそうです。
ともあれ、北海道ではほとんど見られない鳥をこの名のままにしておくのはいかがなものかと、いまだに私は思っています。
(『日本野鳥歳時記』大橋弘一 ナツメ社 2015年)