公園に自転車で向かっているとひんやりとして気持ちよかったです。
この天気も日曜日位に崩れるみたい。
これから気温も高くなるようです…体調管理が難しい(^^;
〝国連総会、ロシアのウクライナ4州「併合」非難決議を採択 過去最多143カ国賛成〟(BBC)
非難決議に反対したのはロシア、ベラルーシ、シリア、北朝鮮、ニカラグアの5か国
中国とインドなど35カ国が棄権しています。
〝印首相、ウクライナ侵攻を公に批判 「今は戦争の時でない」〟(ロイター 9月17日)Shoko EgawaさんのTwitterに
周回遅れのデマを振りまいて、謝罪と訂正もできずに言い訳に終始した挙句の差別発言。
そもそも裁判の判決を無視して平気な人を、識者のように扱うメディアがおかしいのでは?
→ひろゆき氏「沖縄の人って文法通りしゃべれない」 県民の“日本語”めぐり発言(沖縄タイムス)
辛淑玉さんのTwitter(10月11日)に
濁音が不得手な旧植民地出身者を官民で虐殺したのは99年前の9月。
そして、いまなお、日本語がヘンということで沖縄を侮蔑する。
帝国日本の「方言札」の精神が否定されることなく今日まで来た。
百年たっても幼い。
先日『田辺聖子の古典まんだら(上)』で紹介した『今昔物語集』。
古文の方を転記したいと思います。
尚、注は省略していますし、表記も変えたりしています。
(「不●(にくから)ず」(愛想よく)の箇所は、「●」を表記できませんでした)
巻第27
産女(うぶめ)南山科(みなみやましな)に行(ゆ)き、鬼(おに)に値(あ)ひて逃(に)げたる語(こと) 第十五
今昔(いまはむかし)、或(あ)る所に宮仕(みやづかえ)しける若き女有けり。
父母(ぶも)・類親(るいしん)も無く、聊(いささか)に知(しり)たる人も無ければ、立寄る所も無くて、只局(つぼね)にのみ居て、「若(も)し病などせむ時に何(い)かゞ為(せ)む」と、心細く思(おもい)けるに、指(させ)る夫も無くて懐妊(かいにん)しにけり。
(『今昔物語集 本朝部(下)』池上洵一編 岩波文庫 2001年)
然れば、弥(いよい)よ身の宿世(しゅくせ)被押量(おしはかられ)て、心一つに嘆(なげき)けるに、先(ま)づ産まむ所を思ふに、可為(すべ)き方(かた)無く、可云合(いいあわすべ)き人も無し。そもそも裁判の判決を無視して平気な人を、識者のように扱うメディアがおかしいのでは?
→ひろゆき氏「沖縄の人って文法通りしゃべれない」 県民の“日本語”めぐり発言(沖縄タイムス)
辛淑玉さんのTwitter(10月11日)に
濁音が不得手な旧植民地出身者を官民で虐殺したのは99年前の9月。
そして、いまなお、日本語がヘンということで沖縄を侮蔑する。
帝国日本の「方言札」の精神が否定されることなく今日まで来た。
百年たっても幼い。
先日『田辺聖子の古典まんだら(上)』で紹介した『今昔物語集』。
古文の方を転記したいと思います。
尚、注は省略していますし、表記も変えたりしています。
(「不●(にくから)ず」(愛想よく)の箇所は、「●」を表記できませんでした)
巻第27
産女(うぶめ)南山科(みなみやましな)に行(ゆ)き、鬼(おに)に値(あ)ひて逃(に)げたる語(こと) 第十五
今昔(いまはむかし)、或(あ)る所に宮仕(みやづかえ)しける若き女有けり。
父母(ぶも)・類親(るいしん)も無く、聊(いささか)に知(しり)たる人も無ければ、立寄る所も無くて、只局(つぼね)にのみ居て、「若(も)し病などせむ時に何(い)かゞ為(せ)む」と、心細く思(おもい)けるに、指(させ)る夫も無くて懐妊(かいにん)しにけり。
(『今昔物語集 本朝部(下)』池上洵一編 岩波文庫 2001年)
主(あるじ)に申さむと思(おもう)も、恥かしくて不申出(もうしいで)ず。
而(しかる)に、此の女心賢(さかし)き者にて、思得(おもいえ)たりける様、「只、我(わ)れ其の気色(けしき)有らむ時に、只独り仕(つか)ふ女(め)の童(わらわ)を具(ぐ)して、何方(いずかた)とも無く深き山の有らむ方(かた)に行(ゆき)て、何(いか)ならむ木の下にても産まむ」と、「若(も)し死なば、人にも不被知(しられ)で止(やむ)なむ。若し生(いき)たらば、然気無(さるけな)き様(よう)にて返り参らむ」と思(おもい)て、月漸(ようや)く近く成(なる)まゝには、悲(かなし)き事云はむ方(かた)無く思(おぼえ)けれども、然気無く持成(もてな)して、蜜(ひそか)に構(かまえ)て、可食(くうべ)き物など少し儲(もうけ)て、此の女の童に此の由(よし)を云ひ含(ふくめ)て過(すぐし)けるに、既(すで)に月満(みち)ぬ。 而(しか)る間、暁方(あかつきがた)に其の気色思(おぼ)えければ、夜の不暛(あけ)ぬ。
哀(あわ)れ何(いず)ち行かむと、心細けれども、念じて打息(うちやす)みうちやすみ、粟田山(あわたやま)の方様(かたざま)に行(ゆき)て山深く入(いり)ぬ。 可然(さるべ)き所々(ところどころ)を見行(みありき)けるに、北山科(きたやましな)と云ふ所に行(ゆき)ぬ。
見れば、山の片副(かたそい)に山庄(さんぞう)の様(よう)に造(つくり)たる所有り。
旧く壊(こぼ)れ損(そん)じたる屋(や)有り。
見るに、人住(すみ)たる気色無し。
「此(ここ)にて産(さん)して、我が身独りは出(いで)なむ」と思(おもい)て、構(かまえ)て垣の有けるを超(こえ)て入(いり)ぬ。
(「北山科」:標題の「南山科」は、誤りのようです)
放出(はなちいで)の間(ま)に板敷(いたじき)所々に朽残(くちのこれ)るに上(あがり)て、突居(ついい)て息(やす)む程に、奥の方より人来(く)る音(お)とす。
「穴侘(あなわび)し、人の有(あり)ける所を」と思ふに、遣戸(やりど)の有るを開(あ)くるを見れば、老(おい)たる女の白髪(しらがみ)生(おい)たる、出来(いでき)たり。
「定めて半無(はしたな)く云はむずらむ」と思ふに、不●(にくから)ず打咲(うちえみ)て、「何人(なにびと)の、此(かく)は不思懸(おもいかけ)ず御(おわし)たるぞ」と云へば、女、有(あり)のまゝに泣々(なくな)く語(かたり)ければ、嫗(おうな)、「糸哀(いとあわれ)なる事かな。只此(ここ)にて産し給へ」と云(いい)て、内に呼入(よびい)るれば、女喜(うれし)き事無限(かぎりな)し。
「仏の助け給ふ也けり」と思(おもい)て入(いり)ぬれば、賤(あやし)の畳(たたみ)など敷(しき)て取(とら)せたれば、程も無く平(たいら)かに産(うみ)つ。 嫗来て、「喜(うれし)き事也。己(おのれ)は年老(おい)て、此(かか)る片田舎(かたいなか)に侍(はべ)る身なれば、物忌(ものいみ)もし不侍(はべら)ず。七日計(ばかり)は此(かく)て御(おわ)して返り給へ」と云(いい)て、湯など此の女(め)の童(わらわ)に涌(わか)させて、浴(あぶ)しなど為(す)れば、女喜(うれし)く思(おもい)て、棄(す)てむと思(おもい)つる子も糸厳気(いといつくしげ)なる男子(おのこご)にて有れば、否不棄(えすて)ずして、乳打呑(ちうちのま)せて臥(ふ)せたり。 此(かく)て二三日許(ばかり)有る程に、女昼寝(ひるね)をして有(あり)けるに、此の子を臥(ふ)せたるを、此の嫗、打見(うちみ)て云(いう)なる様、「穴甘気(あなうまげ)、只一口(ただひとくち)」と云(いう)と、髴(ほのか)に聞(きき)て後(のち)、驚(おどろき)て此の嫗を見るに、極(いみじ)く気怖(けおそろ)しく思(おぼ)ゆ。
「然(さ)れば、此れは鬼にこそ有(あり)けれ。我れは必ず被噉(くらわれ)なむ」と思(おもい)て、蜜(ひそか)に構(かまえ)て逃(にげ)なむと思ふ心付(つき)ぬ。 而(しか)る間、或る時の嫗の昼寝久(ひさし)くしたりける程に、密(ひそか)に子をば女の童に負(おお)せて、我れは軽(かろ)びやかにして、「仏助け給へ」と念じて、其(そこ)を出(いで)て、来(き)し道のまゝに走りに走(はしり)て逃(にげ)ければ、程も無く粟口に出(いで)にけり。
其(そこ)より川原様(かわらざま)に行(ゆき)て、人の小家(こいえ)に立入(たちいり)て、其(そこ)にて衣(きぬ)など着直(きなお)してなむ、日暮(くら)して主(あるじ)の許(もと)には行(ゆき)たりける。 心賢(さかし)き者也ければ、此(かく)も為(す)ぞかし。
子をば人に取(とら)せて養(やしなわ)せけり。
其の後、其の嫗の有様を不知(しら)ず。
亦(また)、人に、「此(かか)る事なむ有(あり)し」と語る事も無かりけり。
然(さ)て、其の女の年など老(おい)て後に語(かたり)ける也。 此(こ)れを思ふに、然(さ)る旧(ふる)き所には必ず物の住(すむ)にぞ有ける。
然れば、彼の嫗も、子を「穴甘気(あなうまげ)、只一口」と云(いい)けるは、定めて鬼などにてこそは有けめ。
此(こ)れに依(より)て、然様(さよう)ならむ所には、独(ひと)りまには不立入(たちいる)まじき事也となむ語り伝へたるとや。
(『今昔物語集 本朝部(下)』池上洵一編 岩波文庫 2001年)
放出(はなちいで)の間(ま)に板敷(いたじき)所々に朽残(くちのこれ)るに上(あがり)て、突居(ついい)て息(やす)む程に、奥の方より人来(く)る音(お)とす。
「穴侘(あなわび)し、人の有(あり)ける所を」と思ふに、遣戸(やりど)の有るを開(あ)くるを見れば、老(おい)たる女の白髪(しらがみ)生(おい)たる、出来(いでき)たり。
「定めて半無(はしたな)く云はむずらむ」と思ふに、不●(にくから)ず打咲(うちえみ)て、「何人(なにびと)の、此(かく)は不思懸(おもいかけ)ず御(おわし)たるぞ」と云へば、女、有(あり)のまゝに泣々(なくな)く語(かたり)ければ、嫗(おうな)、「糸哀(いとあわれ)なる事かな。只此(ここ)にて産し給へ」と云(いい)て、内に呼入(よびい)るれば、女喜(うれし)き事無限(かぎりな)し。
「仏の助け給ふ也けり」と思(おもい)て入(いり)ぬれば、賤(あやし)の畳(たたみ)など敷(しき)て取(とら)せたれば、程も無く平(たいら)かに産(うみ)つ。 嫗来て、「喜(うれし)き事也。己(おのれ)は年老(おい)て、此(かか)る片田舎(かたいなか)に侍(はべ)る身なれば、物忌(ものいみ)もし不侍(はべら)ず。七日計(ばかり)は此(かく)て御(おわ)して返り給へ」と云(いい)て、湯など此の女(め)の童(わらわ)に涌(わか)させて、浴(あぶ)しなど為(す)れば、女喜(うれし)く思(おもい)て、棄(す)てむと思(おもい)つる子も糸厳気(いといつくしげ)なる男子(おのこご)にて有れば、否不棄(えすて)ずして、乳打呑(ちうちのま)せて臥(ふ)せたり。 此(かく)て二三日許(ばかり)有る程に、女昼寝(ひるね)をして有(あり)けるに、此の子を臥(ふ)せたるを、此の嫗、打見(うちみ)て云(いう)なる様、「穴甘気(あなうまげ)、只一口(ただひとくち)」と云(いう)と、髴(ほのか)に聞(きき)て後(のち)、驚(おどろき)て此の嫗を見るに、極(いみじ)く気怖(けおそろ)しく思(おぼ)ゆ。
「然(さ)れば、此れは鬼にこそ有(あり)けれ。我れは必ず被噉(くらわれ)なむ」と思(おもい)て、蜜(ひそか)に構(かまえ)て逃(にげ)なむと思ふ心付(つき)ぬ。 而(しか)る間、或る時の嫗の昼寝久(ひさし)くしたりける程に、密(ひそか)に子をば女の童に負(おお)せて、我れは軽(かろ)びやかにして、「仏助け給へ」と念じて、其(そこ)を出(いで)て、来(き)し道のまゝに走りに走(はしり)て逃(にげ)ければ、程も無く粟口に出(いで)にけり。
其(そこ)より川原様(かわらざま)に行(ゆき)て、人の小家(こいえ)に立入(たちいり)て、其(そこ)にて衣(きぬ)など着直(きなお)してなむ、日暮(くら)して主(あるじ)の許(もと)には行(ゆき)たりける。 心賢(さかし)き者也ければ、此(かく)も為(す)ぞかし。
子をば人に取(とら)せて養(やしなわ)せけり。
其の後、其の嫗の有様を不知(しら)ず。
亦(また)、人に、「此(かか)る事なむ有(あり)し」と語る事も無かりけり。
然(さ)て、其の女の年など老(おい)て後に語(かたり)ける也。 此(こ)れを思ふに、然(さ)る旧(ふる)き所には必ず物の住(すむ)にぞ有ける。
然れば、彼の嫗も、子を「穴甘気(あなうまげ)、只一口」と云(いい)けるは、定めて鬼などにてこそは有けめ。
此(こ)れに依(より)て、然様(さよう)ならむ所には、独(ひと)りまには不立入(たちいる)まじき事也となむ語り伝へたるとや。
(『今昔物語集 本朝部(下)』池上洵一編 岩波文庫 2001年)