それでも時々、陽が雲に隠れると風が冷たく感じました。
天気予報をみると紅葉予想が出ているのですが、
夏の酷暑のためか公園の桜の葉は赤くなる前に散っているのが多いです。野口悠紀雄さんのTwitterに
海外ファンドの日本国債先物売りに対して、日銀は強引な手法で金利を抑え込もうとしているので、国債市場が深刻な歪みを抱えるに至った。
日銀は世界の大勢に逆らって金利を抑え込んでいる。
しかし、いずれ政策転換を余儀なくされるだろうと予測する海外のファンドが、日本国債を売り浴びせて、日銀に挑戦している。
#円安と補助金で自壊する日本今朝のNHK映像ファイル あの人に会いたいは「早乙女勝元(作家)」でした。
見逃し配信はないようですが、
NHKアーカイブスを検索すると幾つか記事を読むことができます。
早乙女勝元さんの言葉
知っているなら伝えよう
知らないなら学ぼう
過去の歴史の事実を今きちんと知る
学ぶということが
恐らく戦争への道のブレーキになる
平和は歩いて来てくれないんだ
という気がしてなりません
〝「トマホーク」政府が購入を検討 いったいなぜ?〟(NHK 10月28日)
ロシア軍のウクライナでの汚い攻撃を見ていると
反撃能力よりも原子力発電所をミサイル攻撃から守る方が先決だと思いますよ。
彼はなによりも生命あるものを殺すことを趣味とし、生命の尊厳さに対する感覚を少しも持たない。
彼の愛犬が死んだ時も、二千四百円の損害だとうそぶくばかりである。
そこでは一切は金銭に還元される。
こうした人間は自分の文明を注文の多い料理でかざることを好むのである。
こういう彼は山猫が自分達に課している注文を自分勝手に解釈し、それは食獣の文明にいささかの風味をそえるものだとしか考えていない。
しかし実はこの注文とは向う側、山猫の側からの人間に対する注文であり、西洋料理にしてすべての動物を食べようとする人間そのものが西洋料理にして食べられようとするのではないか。
この食べる立場から食べられる立場への場面の転換はまことに見事であり、自分を決して食べられる立場に置いたことのない人間がはじめて食べられる立場に立ち身ぶるいする、それはまことに「案内してきた専門の鉄砲打ちも、ちょっとまごついて、どこかへ行ってしまったくらいの山奥」にふさわしい出来事であるように思われる。
賢治は近代文学の深奥を見つめていた人のように思われる。反撃能力よりも原子力発電所をミサイル攻撃から守る方が先決だと思いますよ。
そのためにも外交努力を怠ってはいけない。昨日、最後に転記した部分を冒頭に再度転記しています。
(「宮沢賢治と風刺精神 燃やし尽くした精神」梅原猛 1966年)
宮沢賢治は民話風の童話作家であり、その童話は危険のない愛情にみちていると思っている人に、この童話の意味について深く考えてほしいと思うである。
宮沢賢治は三島由紀夫が危険であると云う意味よりもはるかに深い意味における危険な文学者なのである。
三島由紀夫の批判精神は現代の底の浅い市民精神に対するそれ自身底の浅いみかけは強烈な批判にすぎないが、宮沢賢治批判精神は現在地球上を支配しているヨーロッパ文明に対する東洋的な慈悲の精神からの強烈な批判なのである。
三島の危険さは戦後日本を支配した市民的インターナショナリズムに対してある疑問符をなげかけ、反動の道を用意するにすぎないが、賢治の危険さは、何千年にわたる人類の文明に疑問符をなげかけ、そしてその文明の根本的変革によって新しい慈悲の文明を地上に現出させようとするものである。
(『現代詩読本―12 宮澤賢治』 思潮社 1979年)
「ぴかぴかする鉄砲をかついだ、すっかりイギリスの兵隊のかたちをした」紳士は殺害の愛好者である。(「宮沢賢治と風刺精神 燃やし尽くした精神」梅原猛 1966年)
宮沢賢治は民話風の童話作家であり、その童話は危険のない愛情にみちていると思っている人に、この童話の意味について深く考えてほしいと思うである。
宮沢賢治は三島由紀夫が危険であると云う意味よりもはるかに深い意味における危険な文学者なのである。
三島由紀夫の批判精神は現代の底の浅い市民精神に対するそれ自身底の浅いみかけは強烈な批判にすぎないが、宮沢賢治批判精神は現在地球上を支配しているヨーロッパ文明に対する東洋的な慈悲の精神からの強烈な批判なのである。
三島の危険さは戦後日本を支配した市民的インターナショナリズムに対してある疑問符をなげかけ、反動の道を用意するにすぎないが、賢治の危険さは、何千年にわたる人類の文明に疑問符をなげかけ、そしてその文明の根本的変革によって新しい慈悲の文明を地上に現出させようとするものである。
(『現代詩読本―12 宮澤賢治』 思潮社 1979年)
彼はなによりも生命あるものを殺すことを趣味とし、生命の尊厳さに対する感覚を少しも持たない。
彼の愛犬が死んだ時も、二千四百円の損害だとうそぶくばかりである。
そこでは一切は金銭に還元される。
こうした人間は自分の文明を注文の多い料理でかざることを好むのである。
こういう彼は山猫が自分達に課している注文を自分勝手に解釈し、それは食獣の文明にいささかの風味をそえるものだとしか考えていない。
しかし実はこの注文とは向う側、山猫の側からの人間に対する注文であり、西洋料理にしてすべての動物を食べようとする人間そのものが西洋料理にして食べられようとするのではないか。
この食べる立場から食べられる立場への場面の転換はまことに見事であり、自分を決して食べられる立場に置いたことのない人間がはじめて食べられる立場に立ち身ぶるいする、それはまことに「案内してきた専門の鉄砲打ちも、ちょっとまごついて、どこかへ行ってしまったくらいの山奥」にふさわしい出来事であるように思われる。
近代文明の奥の奥には人間中心主義の殺害精神が宿っている。
その殺害精神に、賢治は慈悲の精神からの厳しい批判の目を、なげかけるのである。
もしもこの童話の結末が二人の人間が助かるということにならず、山猫に食われてしまったらどうなるのか。
その時、この話は現代文明に対するはなはだ無気味な批判とはなりえても、仏教的な慈悲の精神にもとづく童話とはならないであろう。
賢治はたとえ想像の世界においても人間を殺すにはしのびないのである。
どんなに殺害を好む人間であっても、無惨に殺されてはならず、人間達は皮肉にも彼等がその死を冷淡に金銭の損失に還元した犬に、かえって生命を助けられる。
しかしこの結末によって賢治の慈悲精神は満足させられるが、賢治の云わんとした風刺はかえって慈悲精神に包まれてその鋭い鉾(ほこ)先をかくしてしまうのである。
人はこの童話の含む無気味な風刺の意味を、それをつつんだ慈悲精神のためにかえって見失ってしまうのである。
私は「注文の多い料理店」と云う童話を近代日本文学が生んだ近代西洋文明に対するもっとも鋭い風刺の書と見るのである。
「ぴかぴかする鉄砲をかついだすっかりイギリスの兵隊のかたちをした」紳士は、ヨーロッパ文化を採用する人間に対する見事な風刺である。
彼は殺害を趣味とし、すべてを金銭に還元する。
彼はいつも殺害者としての立場に立ち、殺害される側から人間を考えない。
しかしひょっとしたこの無邪気な殺人者である紳士が、いつかどこかで殺害される側に立つのではないか。
現在ベトナムでおこっている事態は、この賢治の無邪気な童話に含む寓意を現実化しているのかもしれない。 詩人はいつも遠くを見る。
純粋な心をもつ詩人は一つの文明に含まれている精神を本能的に直視し、その危機について誰よりも早く予言する。
「注文の多い料理店」が書かれたのは大正十二年、多くの日本の思想家たちは西洋文明を輸入することに急で、誰もその限界について議論する人はなかった。
しかし賢治はこの文明の中に含まれた深い病気をただ一人見ていたのである。
近代文明の背後には人間の生命というものへの畏敬をもたない殺害精神がかくれているのではないか、そしこのような殺害を文明の原理とする文明は、やがて近い将来にほろびるのではないか。
イギリスの兵隊のかたちをした、鉄砲をかついだすべてを金銭に還元する紳士は、山猫に食われようとする。
ちょうどそのように、鉄砲と軍隊と金銭によって象徴される近代文明は、まさに破滅にのぞもうとしているのではないか。「注文の多い料理店」は賢治がこの童話を書いた時より四十数年たった今日、ますますその意味を明らかにしてくるように思われる。
賢治の予言どおり、ヨーロッパ文明は今日ますますその底にひそむ好戦的精神の矛盾を明らかにしてきているように思われる。
原水爆の時代にはたしてヨーロッパ文明は自己の内面からこの人類の大量殺害を避ける原理を生み出すことが出来るか。
賢治が云うようにヨーロッパ文明の性格が、無邪気な殺害文明にありとすれば、この大量殺人を避ける唯一の道は、こうしたヨーロッパ的原理とちがった原理を文明の原理とすることによってのみ可能ではないか。賢治はこのような新しい時代の文明の原理を大乗仏教の慈悲の精神に見る。
すべての生きとし生けるものが相いたわりあい、相い愛しい、それぞれ持って生まれた生命の力を最大限に発揮する世界、それが賢治の理想の世界であり、彼はそこへと現代文明の方向を志向させようとするのである。
大正十二年と云う時点において、ヨーロッパ文明の危機はいまだあらわでなく、従って賢治の風刺を誰一人理解する人はいなかった。
後に賢治が理解され始めた時もなお賢治は季節はずれに出現した東洋的賢者とか、それともあまりに空想的な不徹底な社会主義者として考えられた。
しかし賢治の意味はまったく別のところにあるのである。
トインビーの云う西洋文明に対する東洋文明の挑戦、殺害の文明に対する慈悲の文明の対決、その挑戦と対決が賢治においてはじめて始められたのである。
…つづく
(『現代詩読本―12 宮澤賢治』 思潮社 1979年)