気象予報士の近藤奈央さんが、外から中継しているを見ていると風が冷たそうでした。
もうじき11月なんだけど、もう12月の寒さだった…今週のEテレ0655の「たなくじ」は「星を10個数えると大吉」でした(^^)v
今朝は、ヨタカには出会えませんでしたが…
よだかの星
よだかは、実にみにくい鳥です。
顔は、ところどころ、味噌(みそ)をつけたやうにまだらで、くちばしは、ひらたくて、耳までさけてゐます。
足は、まるでよぼよぼで、一間とも歩けません。
ほかの鳥は、もう、よだかの顔を見ただけでも、いやになってしまふといふ工合(ぐあひ)でした。
(『新修 宮沢賢治全集 第八巻』宮沢清六、入沢康夫、天沢退二郎編集 筑摩書房 1979年) たとへば、ひばりも、あまり美しい鳥ではありませんが、よだかよりは、ずっと上だと思ってゐましたので、夕方など、よだかにあふと、さもさもいやさうに、しんねりと目をつぶりながら、首をそっ方を向けるのでした。
もっとちひさなおしゃべりの鳥などは、いつでもよだかのまっかうから悪口をしました。
「ヘン。又出て来たね。まあ、あのざまをごらん。ほんたうに、鳥の仲間のつらよごしだよ。」
「ね、まあ、あのくちの大きいことさ。きっと、かへるの親類か何かなんだよ。」 こんな調子です。
おゝ、よだかでないたゞのたからならば、こんな生(なま)はんかのちひさい鳥は、もう名前を聞いただけでも、ぶるぶるふるへて、顔色を変へて、からだをちゞめて、木の葉のかげにでもかくれたでせう。
ところが夜だかは、ほんたうは鷹(たか)の兄弟でも親類でもありませんでした。
かへって、よだかは、あの美しいかはせみや、鳥の中の宝石のやうな蜂(はち)すゞめの兄さんでした。
蜂すゞめは花の蜜(みつ)をたべ、かはせみはお魚を食べ、夜だかは羽虫をとってたべるのでした。
それによだかには、するどい爪(つめ)もするどいくちばしもありませんでしたから、どんなに弱い鳥でも、よだかをこはがる筈(はず)はなかったのです。 それなら、たかといふ名のついたことは不思議なやうですが、これは、一つはよだかのはねが無暗(むやみ)に強くて、風を切って翔(か)けるときなどは、まるで鷹のやうに見えたことと、も一つはなきごゑがするどくて、やはりどこか鷹に似てゐた為(ため)です。
もちろん、鷹は、これをひじゃうに気にかけて、いやがってゐました。
それですから、よだかの顔さへ見ると、肩をいからせて、早く名前をあらためろ、名前をあらためろと、いふのでした。 ある夕方、たうとう、鷹がよだかのうちへやって参りました。
「おい、居るかい。まだお前は名前をかへないのか。ずゐぶんお前も恥知らずだな。お前とおれでは、よっぽど人格がちがふんだよ。たとへばおれは、青いそらをどこまででも飛んで行く。おまへは、曇ってうすぐらい日か、夜でなくちゃ、出て来ない。それから、おれのくちばしやつめを見ろ。そして、よくお前のとくらべて見るがいゝ。」
「鷹さん。それはあんまり無理です。私の名前は私が勝手につけたのではありません。神さまから下さったのです。」
「いゝや。おれの名なら、神さまから貰(もら)ったのだと云(い)ってもよからうが、お前のは、云はば、おれと夜と、両方から借りてあるんだ。さあ返せ。」
「鷹(たか)さん。それは無理です。」
「無理ぢゃない。おれがいゝ名を教へてやらう。市蔵(いちざう)といふんだ。市蔵とな。いゝ名だらう。そこで、名前を変へるには、改名の披露(ひろう)といふものをしないといけない。いゝか。それはな、首へ市蔵と書いたふだをぶらさげて、私は以来市蔵と申しますと、口上を云って、みんな所をおじぎしてまはるのだ。」
「そんなことはとても出来ません。」
「いゝや。出来る。さうしろ。もしあさっての朝までに、お前がさうしなかったら、もうすぐ、つかみ殺すぞ。つかみ殺してしまふから、さう思へ。おれはあさっての朝早く、鳥のうちを一軒づゝまはって、お前が来たかどうかを聞いてあるく。一軒でも来なかったといふ家があったら、もう貴様もその時がおしまひだぞ。」
「だってそれはあんまり無理ぢゃありませんか。そんなことをする位なら、私はもう死んだ方がましです。今すぐ殺して下さい。」
「まあ、よく、あとで考へてごらん。市蔵なんてそんなにわるい名ぢゃないよ。」鷹は大きなはねを一杯にひろげて、自分の巣の方へ飛んで帰って行きました。 よだかは、じっと目をつぶって考へました。
(一たい僕<ぼく>は、なぜかうみんなにいやがられるのだらう。僕の顔は、味噌<みそ>をつけたやうで、口は裂けてるからかな。それだって、僕は今まで、なんにも悪いことをしたことがない。赤ん坊のめじろが巣から落ちてゐたときは、助けて巣へ連れて行ってやった。そしたらめじろは、赤ん坊をまるでぬす人からでもとりかへすやうに僕からひきはなしたんだなあ。それからひどく僕を笑ったっけ。それにあゝ、今度は市蔵だなんて、首へふだをつけるなんて、つらいはなしだなあ。)
あたりは、もううすくらくなってゐました。
夜だかは巣から飛び出しました。
雲が意地悪く光って、低くたれてゐます。
夜だかはまるで雲とすれすれになって、音なく空を飛びまはりました。
それからにはかによだかは口を大きくひらいて、はねをまっすぐに張って、まるで矢のやうにそらをよこぎりました。
小さな羽虫が幾匹も幾匹もその咽頭(のど)にはひりました。
からだがつちにつくかつかないうちに、よだかはひらりとまたそらへはねあがりました。
もう雲は鼠(ねずみ)色になり、向ふの山には山焼けの火がまっ赤です。
夜だかが思ひ切って飛ぶときは、そらがまるで二つに切れたやうに思はれます。
一疋(ぴき)の甲虫(かぶとむし)が、夜だかの咽喉にはひって、ひどくもがきました。
よだかはすぐそれを呑(の)みこみましたが、その時何だかせなかがぞっとしたやうに思ひました。
雲はもうまっくろく、東の方だけ山やけの火が赤くうつって、恐ろしいやうです。
よだかはむねがつかへたやうに思ひながら、又そらへのぼりました。
また一疋の甲虫が、夜だかののどに、はひりました。
そしてまるでよだかの咽喉をひっかいてばたばたしました。
よだかはそれを無理にのみこんでしまひましたが、その時、急に胸がどきっとして、夜だかは大声をあげて泣き出しました。
泣きながらぐるぐるぐるぐる空をめぐったのです。
(あゝ、かぶとむしや、たくさんの羽虫が、毎晩僕に殺される。そしてそのたゞ一つの僕がこんどは鷹に殺される。それがこんなにつらいのだ。あゝ、つらい、つらい。僕はもう虫をたべないで餓<う>ゑて死なう。いやその前にもう鷹が僕を殺すだらう。いや、その前に、僕は遠くの遠くの空の向ふに行ってしまはう。)
山焼けの火は、だんだん水のやうに流れてひろがり、雲も赤く燃えてゐるやうです。一疋(ぴき)の甲虫(かぶとむし)が、夜だかの咽喉にはひって、ひどくもがきました。
よだかはすぐそれを呑(の)みこみましたが、その時何だかせなかがぞっとしたやうに思ひました。
雲はもうまっくろく、東の方だけ山やけの火が赤くうつって、恐ろしいやうです。
よだかはむねがつかへたやうに思ひながら、又そらへのぼりました。
また一疋の甲虫が、夜だかののどに、はひりました。
そしてまるでよだかの咽喉をひっかいてばたばたしました。
よだかはそれを無理にのみこんでしまひましたが、その時、急に胸がどきっとして、夜だかは大声をあげて泣き出しました。
泣きながらぐるぐるぐるぐる空をめぐったのです。
(あゝ、かぶとむしや、たくさんの羽虫が、毎晩僕に殺される。そしてそのたゞ一つの僕がこんどは鷹に殺される。それがこんなにつらいのだ。あゝ、つらい、つらい。僕はもう虫をたべないで餓<う>ゑて死なう。いやその前にもう鷹が僕を殺すだらう。いや、その前に、僕は遠くの遠くの空の向ふに行ってしまはう。)
よだかはまっすぐに、弟の川せみの所へ飛んで行きました。
きれいな川せみも、丁度起きて遠くの山火事を見てゐた所でした。
そしてよだかの降りて来たのを見て云ひました。
「兄さん。今晩は。何か急のご用ですか。」
「いゝや、僕は今度遠い所へ行くからね。その前一寸(ちょっと)お前に遭ひに来たよ。」
「兄さん。行っちゃいけませんよ。蜂雀(はちすずめ)もあんなに遠くにゐるんですし、僕ひとりぼっちになってしまふぢゃありませんか。」
「それはね。どうも仕方がないのだ。もう今日は何も云はないで呉(く)れ。そしてお前もね、どうしてもとらなければならない時のほかはいたづらにお魚を取ったりしないやうにして呉れ。ね、さよなら。」
「兄さん。どうしたんです。まあもう一寸お待ちなさい。」
「いや、いつまで居てもおんなじだ。はちすゞめへ、あとでよろしく云ってやって呉れ。さよなら。もうあはないよ。さよなら。」
つづく…
(『新修 宮沢賢治全集 第八巻』宮沢清六、入沢康夫、天沢退二郎編集 筑摩書房 1979年)今朝の父の一枚です(^^)v
もず【動物】
百舌。スズメ目モズ科の鳥。
翼長9㎝ほどで雀より大きく尾が長い。
色は雀に似ているが、嘴が大きく先端がカギ形に下に曲がっている。
キーッキーッとけたたましく鳴く。
北方で繁殖するが冬期は南へ移動する。
雌雄番(つが)いであっても別々に生活する典型的な単独鳥である。
だから賢治が「まるでまるで百疋ばかりの百舌が、一ぺんに飛び立って」(童話[鳥をとるやなぎ]<→楊、柳>)とか、「萱(かや)にとびこむ百舌の群」(詩[〔しばらくぼうと西日に向ひ〕])、「もずはみな、一ぺんに飛び立って、気違ひになったばらばらの楽譜のやうに」(童話[めくらぶだうと虹])と書くのは、おそらくムクドリ(椋鳥、スズメ目ムクドリ科)とモズを混同していたのではあるまいか。
なぜならモズは群れで行動しないからである。
賢治作品中のモズをムクドリに置き換えてみると、どれも生態的にぴったりする。
ムクドリはなりこそモズより大きいが(翼長13㎝ほど)騒がしく鳴き、群れをなして行動するからである。
したがって「学校行きのこどもらが/もずのやうに叫んで飛び出してくる」(詩[水仙をかつぎ])も、どう見てもモズよりムクドリこそふさわしい。
もっとも、花巻地方では今も両者を混同しているという現地の説もあるが。
(『新宮澤賢治語彙辞典』原 子朗 東京書籍 1999年)
(『定本宮沢賢治語彙辞典』筑摩書房 2013年)
(『新修 宮沢賢治全集 第八巻』宮沢清六、入沢康夫、天沢退二郎編集 筑摩書房 1979年)今朝の父の一枚です(^^)v
もず【動物】
百舌。スズメ目モズ科の鳥。
翼長9㎝ほどで雀より大きく尾が長い。
色は雀に似ているが、嘴が大きく先端がカギ形に下に曲がっている。
キーッキーッとけたたましく鳴く。
北方で繁殖するが冬期は南へ移動する。
雌雄番(つが)いであっても別々に生活する典型的な単独鳥である。
だから賢治が「まるでまるで百疋ばかりの百舌が、一ぺんに飛び立って」(童話[鳥をとるやなぎ]<→楊、柳>)とか、「萱(かや)にとびこむ百舌の群」(詩[〔しばらくぼうと西日に向ひ〕])、「もずはみな、一ぺんに飛び立って、気違ひになったばらばらの楽譜のやうに」(童話[めくらぶだうと虹])と書くのは、おそらくムクドリ(椋鳥、スズメ目ムクドリ科)とモズを混同していたのではあるまいか。
なぜならモズは群れで行動しないからである。
賢治作品中のモズをムクドリに置き換えてみると、どれも生態的にぴったりする。
ムクドリはなりこそモズより大きいが(翼長13㎝ほど)騒がしく鳴き、群れをなして行動するからである。
したがって「学校行きのこどもらが/もずのやうに叫んで飛び出してくる」(詩[水仙をかつぎ])も、どう見てもモズよりムクドリこそふさわしい。
もっとも、花巻地方では今も両者を混同しているという現地の説もあるが。
(『新宮澤賢治語彙辞典』原 子朗 東京書籍 1999年)
(『定本宮沢賢治語彙辞典』筑摩書房 2013年)