今朝もひやっこい朝でした。
カタツムリが寒いのか引っ込んでいました。
石垣の所はなお寒いと思うのだけどなぁ…
これも新型コロナの影響があるそうです…
「小中学生の不登校 昨年度24万人で過去最多 コロナ禍が影響か」(NHK 10月27日)
「関西の小中学校で不登校の子ども4万人余 過去10年で最多」(関西NHK 10月27日)今朝の こころの時代~宗教・人生~
「オモニの島 わたしの故郷~映画監督・ヤンヨンヒ~」
「私は北朝鮮も総連もタブーにしない。私は”腫れ物”じゃないことを人生をかけて伝えてきた」
と語るヤンヨンヒさんの過去の映画作品もたどりながら、家族と国家に向き合い続ける姿を描く。
「東京都が朝鮮人虐殺題材の映像作品を上映禁止……」(東京新聞 10月28日)
〝「朝鮮人虐殺」を扱うアート作品、東京都が上映取りやめ……〟(籏智広太 BuzzFeed 10月28日)歴史否定論と陰謀論 武井彩佳
はじめに
近年、歴史否定論と陰謀論の類似性や親和性に社会の関心が向き始めている。
まず、どちらも本質的に政治的な言説であり、実際に両者の論理は似通っている。
事実の否定や歪曲を伴い、恣意的な「証拠」の選択、ときには捏造(ねつぞう)さえも見られ、その結果まったく根拠を欠く結論が導き出される点が共通している。
どちらも、現在の世界のあり方、つまり歴史の到達点としての現在の説明する枠組みとして提示されるという点で、一種の歴史観と言える。
また言説の類似性だけでなく、社会の中で拡散のメカニズムが発動する仕組みにも共通性がある。
その賛同者の集団は、イコールではないが、重なる部分が多い。
(『世界 2022年9月号』岩波書店) 歴史否定論と陰謀論が、いま注目されているのは理由がある。
それは、客観的事実に根拠のない疑いが投げかけられ、私たちの認識に揺さぶりがかけられることが増えたからだ。
歴史的事実の否定にせよ、現在起こっていることの否認にせよ、自分の好む事実だけを選んで受け入れるという風潮は、社会が拠って立つ基盤を切り崩す。
これが政治に持ち込まれると政策決定にまで影響する。
社会が根拠のない主張に実体化するような方向に向かえば、2021年に生じたアメリカ連邦議会襲撃事件がそうであったように、民主主義を一気に危うくするきっかけになり得る。 現在、ファクトとフェイクが融解する不安定な空間に、新しい政治的可能性が見いだされる。
ここでは歴史や事実を否定することに主眼があるのではなく、むしろ根拠なく疑い、否認することで引き起こされる認識上の揺らぎ、つまり私たちの認知の脆弱性を利用して、政治的な方向付けが試みられているすると、どうだろうか。
トランプ時代の「オルタナティブ・ファクト」「ポストトゥルース」は、まさにこうした「揺らぎ」の創出を意図していた。 いまやこれが歴史記述にも入り込む、「オルタナ・ヒストリー」が台頭していると、文化史家ヴァレンシア=ガルシアは編著『極右の歴史修正主義と歴史の終わり』(2020年)の中で指摘している。
「オルタナ・ヒストリー」という言葉がアメリカの「オルタナ右翼」から来ており、またタイトルにある「歴史の終わり」がフランシス・フクヤマの『歴史の終わり』(1992年)を意識したものであることは言うまでもない。
フクヤマから30年後、民主主義や自由主義経済が社会の発展の到達点として「歴史の終わり」をもたらしたかと問われれば、それはむしろオルタナ・ヒストリーをもたらしたということだろう。 こうした観点から本稿では、主に欧米における歴史否定論と陰謀論の交錯を過去の事例に求め、そこに共通する特徴や機能のパターンをあぶり出すことを試みる。
本稿において「歴史否定論」は、史実の全面的な否定、極端な歪曲、もしくは一側面の過度な強調など、意図的かつ政治的な歴史の否認という意味で使っている。
日本では「歴史修正主義( revisionism )」という言葉が使われることが多いが、その用法はかなり幅があり、学術的な歴史の再検証に分類できるものから、根拠のない「トンデモ論」まで含まれる。
これに対し欧米では、ホロコースト否定に大乗されるあからさまな史実の否定は、「否定論( denial )」もしくは「否認主義( denialism,negationism )」として歴史修正主義から区別するようになった。
本稿での「歴史否定論」は、上部概念としての「歴史修正主義」に含まれるが、より極端な歴史の歪曲を意味している。
…後略
(以下、■登場の背景 ■つながる水脈 ■論理と拡散 ■偽の等価性 ■おわりに)
(『世界 2022年9月号』岩波書店)(「宮沢賢治と風刺精神 燃やし尽くした精神」梅原猛 つづき)
賢治の童話をこのようなものとして見る私に対して、人はそれは意味のとりすぎではないかと云うかもしれない。
もう一つの童話の例をとってみよう。
「蜘蛛となめくじと狸」と云う童話がある。
蜘蛛となめくじと狸が洞熊学校に入った。
「洞熊先生の教えることは、三つでした。一つは競争ということで、一年生のときはうさぎと亀のかけくらのことで、も一つは、だから、だれでもほかの人を通りこして大きくえらくならなければならんということ、も一つは大きいものがいちばん立派だということでした。」
それで三人はみんないちばんになろうと一生懸命競争する。
三人はうわべは大変仲よさそうに、洞熊先生をよんで謝恩会をしたり、自分らの離別会をしたけれど、腹の中では、へんあいつらになにができるもんかと考えている。
洞熊学校を卒業して三人はどうなったか。
(『現代詩読本―12 宮澤賢治』 思潮社 1979年) 蜘蛛。
蜘蛛は洞熊学校でお金をみんな使ってしまったので、ひもじいのをがまんしてやっと二銭銅貨くらいの網をかける。
夜明け頃やっと小さなあぶの子供が網にかかる。
「蜘蛛はまるできちがいのように、枝のかげから駆け出してむんずとあぶに食いつきました。あぶの子どもは『ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。』と哀れな声で泣きましたが、蜘蛛は物も言わずに顔から羽からあしまで、みんな食ってしまいました。そしてほっと息をついてしばらくそらを向いて腹をこすってから、また少し糸をはきました。そして網が一まわり大きくなりました。」
次にめくらのかげろうが杖をついてやって来る。
「ここは宿屋ですよ。」と蜘蛛がうそを云い、かげろうの胴にかみつく。
かげろうはあわれな細い声で「あわれやむすめちちおやが、旅ではてたと聞いたなら、ちいさなあの手に白手甲、いとしい巡礼の雨とかぜ。もうしご冥加ご報謝と、かどなみなみに立つとても、非道の蜘蛛の網ざしき、さわるまいぞや。よるまいぞ。」とうたうが、蜘蛛はただ一息にかげろうを食い殺してしまう。
網は三まわり大きくなって、やがて蜘蛛は結婚し、子供を沢山生み、むしけら会の副会長になる。
この蜘蛛の出世をねたんで、なめくじや狸はひやかすが、蜘蛛は今にみろきっとむしけら会の会長になってやると思う。
こうして蜘蛛は一生懸命あちこちに十も網をかけたが、その結果、食物があんまりたまって腐敗し、それがうつって蜘蛛の夫婦と子供はみな死んでしまう。 なめくじ。
なめくじは蜘蛛よりもっと世渡り上手。
彼は学校を出たうえ、人がよくて親切だと云う評判をとる。
ある日かぶとむしがなめくじ家を訪問する。
「なめくじさん。私の食べるものはなし、水はなし、少しばかりお前さんのうちにためてあるふきのつゆをくれませんか。」
なめくじは親切だ。
「あげますとも、あげますとも。さあおあがりください。」
親切ななめくじはふきのつゆばかりか、あざみの芽やなんかを出してかぶとむしにすすめる。
かぶとむしがよろこんで食べると、「かぶとむしさん。気分がよくなったら一つひさしぶりですもうをとりましょか。ハッハハ。久しぶりです。」と云ってすもうをすすめる。
しかたなくかぶとむしはすもうをとるがひどくなげつけられる。
「『もう一ぺんやりましょう。ハッハハ。』『もうだめです。』『まあもう一ぺんやりましょうよ。ハッハハ。よっしょ。そら。ハッハハ。』かぶとむしはひどく投げつけられました。『もう一ぺんやりましょう。ハッハハ。』『もうだめ。』『まあもう一ぺんやりましょうよ。ハッハハ。よっしょ。そら。ハッハハ。』かぶとむしはひどくなげつけられました。『もう一ぺんやりましょうよ。ハッハハ。』『もう死にます。さよなら。』『まあもう一ぺんやりましょうよ。ハッハハ。さあ、お立ちなさい。起こしてあげましょう。よっしょ。そら。ヘッヘッヘ。』かぶとむしは死んでしまいました。そこで銀色のなめくじはかぶとむしを殻ごとみしみし食べてしまいました。」それから一月ばかりたって、とかげがなめくじの立派なおうちへびっこをひいてやって来る。
へびにかまれて、薬をくれとなめくじ云う。
なめくじは「私がちょっとそこをなめてあげましょう。わたしがなめればへびの毒はすぐ消えます。なにせへびさえ溶けるくらいですから。ハッハハ。」と笑う。
なめくじはとかげの傷をなめる。
「『なめくじさん。おなかがなんだか熱くなりましたよ。』と、とかげは心配して言いました。『ハッハハ。なあにそれほどじゃありません。ハッハハ。』となめくじやはりもがもが答えました。『なめくじさん。からだが半分とけたようですよ。もうよしてください。』と、とかげは泣き声を出しました。『ハッハハ。なあにそれほどじゃありません。ほんのも少しです。ハッハハ。』となめくじは言いました。それを聞いたとき、とかげはやっと安心しました。安心したわけは、その時ちょうど心臓がとけたのです。そこでなめくじはペロリととかげをたべました。そして途方もなく大きくなりました。」
こうしてなめくじは大きくなるがこの頃からなめくじの評判は悪くなる。
なめくじは早くむしけら院の名誉議員になって彼をあざけるむしたちを見返してやろうと思う。ある日雨蛙がやって来る。
少し水を飲ませてくれと云うので、水を飲ませるが蛙は「なめくじさんすもうをとりましょうか」という。
なめくじはこれはうまいと思って、蛙を投げつけるが投げつけられた蛙は大変あわててふところから塩の袋を出して云う。
「土俵へ塩をまかなくちゃだめだ。そら。ジュウ。」塩が白くそこらへ散らばる。
なめくじは再び蛙を投げつけ、死んだようになった蛙の方へ進んでペロリとやろうと思うが、どうしたのか足が動かない。
「あ、やられた。塩だ。ちくしょう。」かくしてなめくじは死ぬ。
…つづく
(『現代詩読本―12 宮澤賢治』 思潮社 1979年)今朝の父の一枚です(^^)/
農事の季語
稲作の現場を見たことのない方も、歳時記に「耕(たがやし)」「田打」「畦塗(あぜぬり)」「代田(しろた)」「種選(たねえらび)」「種浸(たねひたし)」「種下(たねおろし)」「種蒔(たねまき)」「早苗(さなえ)」「溝浚(みぞさらえ)」「代掻(しろか)く」「田植」「田草取」「植田」「青田」「田水沸(わ)く」、「鳥威(とりおどし)」「稲刈」「稲架(はさ)」「稲干す」「稲扱(いねこき)」「籾(もみ)」「籾摺(もみすり)」「秋収(あきおさめ)」「新藁(しんわら)」「藁塚」などが季語として立項されていることはご存じでしょうし、これらの季語で句を作ったという方も多いでしょう。
これらの季語は、なにもかもを人の力でやっていた時代の春から秋までの稲作の作業工程のあらかたです。
これに「水口祭(みなくちまつり)」「早乙女(さおとめ)」「早苗饗(さなえぶり)」「牛馬冷す」「案山子(かかし)」「鳴子(なるこ)」「虫送(むしおくり)」「夜庭」「俵編み」などが加わります。
かつてこの作業で米づくりを実行してこられた方は、そうだよ、そうだよ、これを朝早くから夜遅くまでやってたんだよ、今は楽になったが昔はつらかったね、とかつての農作業を思い出しておられるだろうと思います。
今は飯米農家や、規模の小さい田や機械の入らない山田を耕作しておられる方々以外は、よほどでないかぎり鍬(くわ)や鎌、牛や馬に代わるトラクターやコンバインなどの大型機械や、除草のための農薬を駆使してこれらの作業をおこなっておられます。
それも多くは高齢者です。
…後略
(『NHK俳句 暦と暮す 語り継ぎたい季語と知恵』宇多喜代子 NHK出版 2020年)
NHK俳句「歳時記食堂 おいしい俳句いただきます2022秋」
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