この雨のことを洒涙雨(さいるいう)
陰暦七月七日の雨。
「灑涙雨(さいるいう)」とも書く。
陰暦七月七日は七夕。
牽牛と織姫が別れを惜しむ、あるいは相会することができずに悲しむ涙が雨になって降るのだといわれる。
「このゆふべ降り来る雨は彦星の早漕ぐ船の櫂(かい)の散沫(ちり)かも」(『万葉集』巻十)は洒涙雨を詠んでいる。
中西進訳によると「この夕に降って来る雨は、彦星がいそいで漕ぐ船の櫂のしずくだなあ」(講談社文庫)。
七夕の夜の雨を櫂の滴(しずく)に見たてているところ、メルヘンのように美しい。
(『雨のことば辞典』倉嶋厚・原田稔編著 講談社学術文庫 2014年)大野義輝・平塚和夫『お天気歳時記』によれば「東京の統計だと、七月七日は晴れ18パーセント、くもり37パーセント、雨45パーセントで、晴れる率は圧倒的に少ない」とある。
ただし、この七月七日は太陽暦。
陰暦の七月七日は一般に、晴れる率が高い。
なお、「洒涙雨」を七月六日とする説もある。
その場合は牽牛・織姫が相会できないのを悲しむ涙雨。
洒涙雨車軸をながす蘇鉄かな 飯田蛇笏
(『雨のことば辞典』倉嶋厚・原田稔編著 講談社学術文庫 2014年)浮世絵EDO-LIFE「街に巨大な竹林が!広重“市中繁栄七夕祭”」
七夕飾りには、江戸庶民たちの願いが込められています。今月の100分de名著「老い ボーヴォワール」について書きたいなと思っていたら
容赦なく「老い」を見つめて
(前略)
2回目は、政治家や作家、芸術家などジャンルごとに年齢がどう影響を与えるかを見た「老いに直面した人びと」だった。
画家と音楽家を除き、ある時期から経年劣化していく……。
容赦がない。
解説する上野さんにも遠慮がない。
「政治家は結果責任。オリンピックを信念でやられても感染が広がったら誰が責任をとるのか」。
ここを切らなかった制作、えらいぞ。
初回は「マラ」と口にした。
動揺を隠さずにそれに答えた伊集院光、えらいぞ。
2人の会話に脳が刺激される。
(ライター・島﨑今日子 朝日新聞 2021年7月7日))
上野千鶴子さんが伊集院光さんの話を楽しいそうに聞いておられるのが印象的です。仏教辞典より転記しますが、省略しています。
魔羅(まら)
サンスクリット語 Māra に相当する音写。
<魔>とも。
修行中の釈尊(しゃくそん)を誘惑しその成道(じょうどう)を妨げようとした魔王の名。
魔羅はまた成道後の釈尊に転法輪(てんぽうりん)を断念させようとはかり、入滅(にゅうめつ)直前の仏陀(ぶっだ)には般涅槃(はつねはん)に入ることを勧めている。
マーラとは、死・死神を意味し、婆羅門教(ばらもんきょう)の死神、冥府の主ヤマ(閻魔)と同じくムリトゥユ、アンタカの異名を持つが、両者の関係は定かでない。
初期仏典では魔羅は阿修羅ナムチとして登場し、『ブッダチャリタ』(仏所行讃<ぶっしょぎょうさん>)では愛神カーマに等しいものとなっている。
男根を<まら>とうのは、<魔羅>が諸悪・諸煩悩(ぼんのう)の根元であることからの転義で、もと僧侶の隠語だったとされる。
ただし、この語源説については、排泄を意味する和語<まる>よりの転訛とする異説もある。
(『岩波仏教辞典(旧版)』中村元他編 岩波書店 1989年) 華 燭
もう間もなく式が始まる時刻で、今迄小声で話し合つてゐた人々も暫し沈黙した。
駿二は何がなしに木村氏の口髭を眺めた。
チツクでよく揃へて尖らせてゐる鬚がいかにも改まつた感じであつた。
それから今度は母を眺めた。
人中へ出るとのぼせる癖のある母は頻りにハンケチで紋附の膝のあたりを払つてゐた。
(『定本原民喜全集Ⅰ』編集委員 山本健吉・長光太・佐々木基一 青土社 1978年)廊下の方から足音がして、白い装束をした男が「どうぞ」と一同へ挨拶した。
一同は立上つて、ぞろぞろその男の後から従いて行つた。
板の間の白い布を掛けた二列のテーブルの片方の端へ駿二の席があつた。
正面は開け放しになつてゐて、山の崖の一部が見え、岩の中に神棚がしつらへてあつた。
何処からともしれず琴の音がして、天井の色紙や榊がさらさらと揺れてゐた。
そこは控への間より更に冷々としてゐた。間もなく、白装束の男に導かれ先頭に白い被衣を被った女と介錯と、それに続いて八九人の紋附がぞろぞろと入場して来た。
それらの人々は駿二と向ひ合はせのテーブルの着席した。
白衣の女は被衣の下に顔を伏せてゐて、薄い被衣が重たさうに見えた。駿二が向のテーブルの男達の顔を見ると、向でも駿二をじろじろと眺めてゐるのだつた。
初めて見るやうな顔や、何処かで見たことのあるやうな顔が並んでゐた。
神主が現れて、儀式は徐々に進行して行つた。駿二がぼんやりと神主の立居振舞を見てゐると、神主はやがて大きな紙を展げて朗読しだした。
次いて木村氏が誓詞を読み上げた。
それが終つたかと思ふと、緋の袴を穿いた白衣の少女が何か捧げて駿二の前に置いた。
それから又何か運んで来た。
見ると土器の盃が据ゑてある三方であつた。神主の合図に従つて、駿二はその上の盃を掌にした。
少女は銚子から盃の上にかすかに土器が湿る程度の液体を注いだ。
それを駿二が唇にあてて下に置くと、少女は向のテーブルの新婦の方へ持つて行つた。
それから再び駿二のところへ持つて来て、また新婦の方へ持つて行つた。漸く土器の持運びが終ると、今度は榊の枝を駿二の前に持つて来た。
神主が新郎新婦に起立を命じた。
どうなることかと駿二は起立してゐると、神主が号令を掛け、駿二は岩の方の神棚へ対つて、ぴよこんとお叩儀をして席に戻つた。
儀式はそれからまだ暫く続いた。一段落終つて、席の入替りがあり、又盃が運ばれて来た。
両方の親戚の姓が木村氏によつて、次々に紹介されて行つた。
その頃になると、皆の顔もいくらか寛ぎの色が漾ひ、駿二も吻としたやうな気持だつた。
そして式は当然終つたのであつた。
(『定本原民喜全集Ⅰ』編集委員 山本健吉・長光太・佐々木基一 青土社 1978年)
つづく…今朝の父の一枚です(^_^)v
スズメたちが雨宿りしていました。
9時ごろから本降りになる予報だったので、ほんの少しだけ歩こうと出かけました(駐車場の利用料金が1時間の300円でした)。
スズメが雨宿りしている所でコーヒーを飲んで、ほんの30~40分ほど歩きました。
帰ってきてから従妹のワクチン予約の準備をしようとしたらパソコンの動きが遅い…
Windowsアップデートを見ると品質更新プログラムのインストール…
確か7月14日のはずだったのにと焦りました(^^;
明日は、
「近畿 非常に激しい雨おそれ 土砂災害・浸水・増水氾濫に警戒」(関西NHK)
なので歩けないだろうなぁ…
なので歩けないだろうなぁ…