2021年7月24日土曜日

木陰は涼しいけど…

 

今朝も暑い(-_-;)
時折、涼しい風が吹いてきてホッとしました。
歩いている途中で、自転車のカギがないのに気がつきました。
カギをかけ忘れたのか、落としたのか不安になりながら戻るとかけ忘れでした(^^;

台風6号の動きが遅いので、田舎のことが心配だなとテレビを見ていたら
台風8号が発生して関東方面を伺っている…

台風6号 沖縄から次第に離れるも広範囲が暴風域 台風8号も発生」(NHK)

1964年夏は、小河内ダムの湖底に沈んだ村が、昔の姿を見せるほどの大渇水に見舞われました。
空梅雨に加え70年ぶりという記録的な猛暑。
水不足の原因は気候によるものだけでなく終戦時350万だった人口が1000万を突破。
この人口の東京集中が加速し水需要が一気に高まったことも水不足の大きな原因となっていました。
7月21日、貯水池が満水時の6%にまで下がり、1日12時間の断水を伴う給水制限が実施されました。
荒川の水を引く工事を急ぐ中で、小河内ダムでは雨乞いをするほど。
8月20日に未明に降り出した雨が慈雨・喜雨となり起死回生の雨でした。
(映像の世紀プレミアム(15)「東京 夢と幻想の1964年」より)

1964年の雨とは違い、台風8号は、災害をもたらすのではないかと心配しています。
昨夜のEテレ2355の「日めくりアニメ
二人の男性が「23日」のカレンダーにキュウリをぶら下げて、カメラをセットしていました。
翌日、見に行くと「24日」に変わっていました。
カメラに写っていたのは…

 今日は「河童忌

岩波書店のTwitterに

【今日の名言】
わたしは良心を持っていない。わたしの持っているのは神経ばかりである。


――芥川竜之介侏儒の言葉 文芸的な、余りに文芸的な「侏儒の言葉」

名曲アルバム「交響管弦楽のための音楽」(再放送:7月30日午前5:55~)
芥川也寸志さんは、龍之介の三男として生れ、2歳の時に父を亡くしています。
侏儒の言葉」より

 自 殺

 万人(ばんじん)に共通した唯一の感情は死に対する恐怖である。
道徳的に自殺の不評判であるのは必ずしも偶然ではないかもしれない。

  又

 自殺に対するモンテェエヌの弁護は幾多の真理を含んでいる。
自殺しないものはしないのではない。
自殺することのできないのである。


  又

 死にたければいつでも死ねるからね。
 ではためしにやって見給え。
(『芥川龍之介全集 第十巻』伊藤整、吉田精一編 角川書店 昭和43年)
  青蛙おのれもペンキ塗りたてか  芥川龍之介

 雨の中に真っ青な葉と見まがうようなカエルがいる。
いかにもペンキ塗りたてという感じだ。
これを見て<おのれも>というからには、他に主眼とする対象があるはず。
それを芥川本人だとすると、自分自身をもあざけり笑う句。
ペンキは素材の安っぽさを隠すためにも効用がある。
<ペンキ塗りたて>には近づくなと警告の意もあるが、無機物に対していうことばを生命(いのち)あるものに振り向けてからかったところは彼特有の機知だろう。
 大正期の粗悪さを時代背景に書いた箴言集(しんげんしゅう)『侏儒(しゅじゅ)の言葉』と読み合わせてみるのもおもしろかろう。
社会の因習と、その因習にとらえられた人間の愚かさに対する衝動的な反発が書かれてあるが、掲出句は諧謔(かいぎゃく)を弄(ろう)した一句である。
(『きょうの一句 名句・秀句365日』村上護 新潮文庫 平成17年)
吾亦紅
 
  死の影


 永らく私は妻の軀を冷水摩擦してやつてゐたので、その輪郭は知り尽くしてゐた。
夕食後、床の上に脚を投げ出した妻を、足指の方から手拭でこすつて行く私は、どうかすると器具を磨いてゐるやうな、なほざりな気持もした。
「簡単な摩擦」と、そんなとき妻は私のやりかたを零すのであつた。
(『定本原民喜全集Ⅱ』編集委員 山本健吉・長光太・佐々木基一 青土社 1978年)
 妻が死んだ時、私はその全身をアルコールで拭いてやつたが、それは私にとつて、暫く杜絶えてゐた冷水摩擦のつづきのやうであつた。
だが、硬直した背中の筋肉や、四肢の窪みには、嘗てなかつた陰翳が閃いてゐた。
死体に触れた指を石鹼で洗ひ、それから自分の手にさはつてみると、ふと私は自分の体まで死体ではないかと思へた。
  原子爆弾遭難以来、私は食糧難とともに衰弱してゆく体を、朝夕怠らず冷水摩擦するのだつた。
痩せ細る足を手拭でこすりながら、ふと私はそれが死んだ妻のそれに似てくるのに駭かされることもある。
それから、私は近頃、嘗て妻が苦しんだ夜半の咳の発作にも悩まされてゐる。
夜と朝が入替る微妙な外気のうごきが咽喉の一点を襲ふと、もうそれからは、いくら制しようとしても制しきれぬ咳だ。
私は溢れ出る涙を夜着の袂で覆ひ、今も地上に、かうした悲境に突き陥されてゆく人々の悶えを悶えるのであつた。

        ――昭和二十一年九月 貞恵三回忌に――

(『定本原民喜全集Ⅱ』編集委員 山本健吉・長光太・佐々木基一 青土社 1978年)