2021年7月30日金曜日

厳しい日々…

暑さが厳しいだけでなく…

政府分科会 4府県“宣言”追加 5道府県“まん延防止”適用了承」(NHK)
昨日も書いたけど、オリンピックが開催されているのだから緊張感がないと思う。
クマゼミがワシャワシャ…とうるさく鳴いているように
毎度、同じようなカタカナの言葉を使うのでなく
具体的で分かりやすい言葉や図などで注意喚起することが大事だと思います。

安川康介さんのTwitterに

この図を使用しても良いかという連絡を複数の方から頂きました。
僕に確認をせず使用していただいて構いません。

イラストは「いらすとや」さんのを使わせて頂きました。

日本での重症度分類は新型コロナウイルス感染症診療の手引きのp33にあります。

(「一部の方が抱く新型コロナ感染症のイメージ?医者が持つ実際のイメージ」の図)

神奈川県の取り組みもいいと思います。
新型コロナ “ジワジワくる” 神奈川県の注意呼びかけ文が話題」(NHK 7月29日)
昨日紹介した加藤陽子さんの『この国のかたちを見つめ直す』に
五輪開催の可否は科学的知見で」とあったけど、
戦前・戦中の日本軍のように、
首相をはじめ組織員会は「プランB」をまったく考えていなかったような…
西浦教授の予測はさらに厳しものになりました…

東京の感染者 2週間後に一日5000人超か 来月末には1万人超も…」(NHK 7月29日)

まさか私が… 新型コロナ 当事者の証言」(NHK)
 岩波書店のTwitterに

今日は童話作家・新美南吉の誕生日(1913年)。
わずか29歳、2冊の童話を出版しただけで世を去りますが、その作品は今もなお多くの人の心をとらえています。
岩波文庫には、「ごん狐」ほか、豊かな空想と郷土色を特徴とする14篇を収録。


新美南吉童話集
(「燈 籠」つづき)

 やがて私は、水野さんからもお手紙いただきました。
 ――僕は、この世の中で、さき子さんを一ばん信じてゐる人間であります。ただ、さき子さんには、教育が足りない。さき子さんは、正直な女性なれども、環境に於いて正しくないところがあります。僕はそこの個所を直してやろうと努力して来たのであるが、やはり絶対のものがあります。人間は、学問がなければいけません。先日、友人とともに海水浴に行き、海辺にて人間の向上心の必要について、ながいこと論じ合つた。僕たちは、いまに偉くなるだらう。さき子さんも、以後は行ひをつつしみ、犯した罪の万分の一にても償ひ、深く社会に陳謝するやう、社会の人、その罪を憎みてその人を憎まず。水野三郎。(読後かならず焼却のこと。封筒もともに焼却して下さい。必ず。)
 これが、手紙の全文でございます。
私は、水野さんが、もともと、お金持の育ちだつたことを忘れてゐました。
(『太宰治全集 第二巻』太宰治 筑摩書房 昭和50年)
 針の筵(むしろ)の一日一日がすぎて、もう、こんなに涼しくなつてまゐりました。
今夜は、父が、どうもこんなに電燈が暗くては、気が滅入つていけない、と申して、六畳間の電球を、五十燭のあかるい電球に取りかへました。
さうして、親子三人、あかるい電燈の下で、夕食をいただきました。
母は、ああ、まぶしい、まぶしいといつては、箸持つ手を額にかざして、たいへん浮き浮きはしやいで、私も、父にお酌をしてあげました。
私たちのしあわせは、所詮こんな、お部屋の電球を変へることくらゐのものなのだ、とこつそり自分に言ひ聞かせてみましたが、そんなにわばしい気も起らず、かへつてこのつつましい電燈をともした私たちの一家が、ずゐぶん綺麗な走馬燈のやうな気がして来て、ああ、覗くなら覗け、私たち親子は、美しいのだ、と庭に鳴く虫にまで知らせてあげたい静かなよろこびが胸にこみあげて来たのでございます。
(『太宰治全集 第二巻』太宰治 筑摩書房 昭和50年)
高校生の時に太宰治の『斜陽』を読んだけど好きになれなかったというか苦手な小説だった…
なのに、『人間失格』に出会って沼にはまった(^^ゞ
でも、今は、太宰の中期の作品が好きです。
その中でも『燈籠』が一番好きだなと思いながら転記していましたφ(..)

新潮文庫『きりぎりす』の解説を奥野健男氏が書かれています。
  解 説  奥野健男
……
 『燈籠』は昭和12年10月の「若草」に発表された。
太宰は昭和12年「新潮」四月号に『HUMAN LOST』を発表してから、翌13年「新潮」の十月号に『姥捨(うばすて)』を発表するまでの約一年半の間、小説としてはこの『燈籠』しか発表せず、沈黙している。
左翼からの脱落、麻薬中毒による錯乱、精神病院への収容、妻初代のかなしい姦通(かんつう)、芥川賞事件等々が重なり、世間から自分のことを性格破綻者(はたんしゃ)、生活落伍者(らくごしゃ)と特別の目で眺(なが)められていること、先輩、友人そして最愛の妻に裏切られたことを知り殆(ほと)んど生きる気力をうしなって、老残の生活を送る。
(『きりぎりす』太宰治 新潮文庫 昭和49年)
もちろん彼には言い分がある。
自分は自分の信じている主観的真実のため、反立法の役割をはたそうとして懸命に生きたのだ……と。
しかしいくら言っても弁解になる。
男の論理で説明しようとしても誰も聞いてくれない。
「言えば言うほど、人は私を信じて呉(く)れません。逢うひと、逢うひと、みんな私を警戒いたします。……たまらない思いでございます」という『燈籠』の冒頭は哀切の限りだ。
 太宰は、無知で貧しい、しかも恋人に対する懸命な愛から万引きして捕った少女に託して、自分の論理にならない論理を、心情を懸命に告白する。
重要なことは女性の一人称告白体がこのようなぎりぎりの心情から発明されたと言うことだ。
そして人は信じてくれなくても自分は正しいのだ。
電燈の明るいのにとりかえ「私たち親子は、美しいのだ、と庭に鳴く虫にまでも知らせてあげたい静かなよろこびが、胸にこみあげて来たのでございます」と、絶望の中の小さな小さな幸福に希望を灯(とも)して生き抜こうとするいじらしい決意が表明されている。
これは前期から中期への移行を直截(ちょくせつ)に表現した唯一(ゆいいつ)の小説である。
心に沁(し)みいるような印象的な作品である。
……
(『きりぎりす』太宰治 新潮文庫 昭和49年)
転記しながら「さき子」は初代ではないかと思いました。
というのも太宰のあの疾風怒濤の時代を初代はよく付き合ったと思うのです。
心中未遂の果てに離別された初代が哀れだなと思ってしまいます(その後の人生もなお哀れです)。
 疾風怒濤時代
  意外な妻の告白


 入院のおかげで中毒の方は全治したが、小説をかく目的で一ト月ほど熱海の温泉宿に逗留し、小説の方はかけなくて、呼び寄せた檀氏と遊んだだけで帰京すると、ここにまたまた困ったことが起った。
昭和6年以来、どうやら無事に同棲生活を続けていた初代が、船橋時代に太宰とは親戚筋にあたるある若い男と間違いを犯していて、その男と一緒になりたいと、太宰に告白かたがた急にいいだしたのである。
いきなりこんな事態にぶつかって、太宰は狼狽するばかりであったという。
これは無理もないことで、太宰は初代に対して、あまりにも負い目が多すぎた。
昭和5年、初代と仮祝言して、東京で同居するまでのわずかな期間に、カフェーの女給と心中未遂事件をひき起し、左翼運動から身を引いてどうやら落ちついたと思ったら、鎌倉での縊死未遂事件、続いて盲腸炎から腹膜炎を併発して、合わせて三ヵ月の入院生活、懸命に看病してやっと退院したと思えば、今度は惨憺たるパビナール中毒のあげくに脳病院入院と来るのである。
(『恋と革命 評伝・太宰治』堤重久 講談社現代新書 昭和48年)
 こうした太宰の不行跡の連続に、初代は妻として、よくぞ堪えてきたものである。
持前の無邪気で呑気な性質と、太宰に対する愛情と、前身がいろいろ過去のある芸者であったという負い目と、それからおそらく若さから、やっと堪えてきたあげくの間違いであっただけに、太宰としてもむげに拒絶することもできなかったのである。
結局、太宰は二人の幸福のために、自分だけ身を引く決心をしたのだが、その心境には相当に苦しいものがあったらしく、このことを打明けて、山岸氏には「不快」という言葉を使い、檀氏には「酸鼻」という形容を使ったとのことであるが、『姥捨』のなかでは、「倫理は、おれは、こらえることができる。感覚が、たまらぬのだ。とてもがまんできぬのだ。」と記されている。
……
(『恋と革命 評伝・太宰治』堤重久 講談社現代新書 昭和48年)
今朝の父の一枚です(^_^)v

2回目のワクチン接種を受けた妹は、午前中、微熱が続いていました(37度5分と37度2分を行ったり来たり)。
午後3時前に電話で36.8度になったと連絡があり父もホッとしていました(^_^)v