ワクチン接種でリハビリ散歩を控えていましたが、少し歩くことにしました。
暑いのだけど、湿度が梅雨の時期に比べると低いので風が吹くと気持ちいいです。
「近畿地方 午前中から各地で30度超える 熱中症に注意を」(関西NHK)「ワクチン接種後に死亡 “接種と因果関係あると結論 事例なし”」(NHK 7月21日)
なんか本当かなと疑ってしまう。
「今月11日までにファイザーかモデルナのワクチンの接種を受けた人は合わせておよそ3760万人で、
このうち男女667人が接種後に死亡していたことが確認されました。」
ワクチン接種にはリスクが伴うので補償制度として
「予防接種健康被害救済制度」(厚生労働省)があるのだけど
亡くなった方は、補償されないということになるのだろうか?
若い人たちがワクチン接種に懐疑的になるばかりだと思うけど…安田菜津紀さんのTwitterに
何か「不祥事」が起きると、前首相は「膿を出しきる」という言葉を繰り返してきた。
首相が代わった今も、「出しきる」どころか、その底さえ見えてこない。
山崎雅弘さんのTwitterに
「人に不快な思いをさせることは、あってはならないこと」
「愚かな言葉選びが間違いだったということを理解し、反省しています」
「不快に思われた方々に、お詫びを申し上げます」って、
結局何がどう問題なのか理解していない様子。
言葉選びというレベルの問題だと思っている。
〝小林賢太郎氏「愚かな言葉選び、間違いだった」解任でコメント〟(毎日新聞)100分de名著「老い ボーヴォワール」が終わったのだけど
「第4回 役に立たなきゃ生きてちゃいかんか!」
の回も伊集院さんと上野さんの対話が面白かった。
……
伊集院光)
僕はここから先は、もう病気なんですとか
ここから先は、ちょっとした老いなんですっていうとこの線引きよりも
笑ってらっしゃるかそうじゃないかの方がとっても大事で。
苦しいですか、それとも楽しいですかっていうことで
かなり深刻な状態になってても笑顔でいてくれる
それが楽しいんなら僕は深刻じゃないと思ってて。
上野千鶴子)それは最高の見分け方ですねえ。
……
伊集院)
寄席の伝説なんですけどかなりご高齢のその名人級の師匠が
やっぱり少し認知症が始まってはいせつえ~と寄席の楽屋で排泄しちゃって。
そしたら周りの弟子たちがね「くせえ くせえ」って
「何々師匠 うんこ漏らしてやがる」ってなった時に
「うんこ 嫌がってたらいい野菜、作れないよ」って
ギャグ言ったっていうんだよ。伝説なの。
もうその人はもう何か認知症をももう笑に変えちゃう能力があるから憧れる。
……
伊集院)
何か良かったのは僕は、その、不勉強だから「第二の性」より先にこの「老い」に触れたんですね。
多分、僕いきなり「第二の性」に触れると、僕が女性になるっていうことが想像つかないから
僕が老いていく立場になるのは想像がつくので
何か、その差別感とか、これをどやって取り除いていけばいいのかみたいな
入り口としてとても分かりやすかったし自分ごとになったんですね。
そうすると一歩進めてこういうことが、自分が、こう内面から持ってちゃってる
差別意識なんだみたいなことが理解しやすくなるかなってちょっと思いました。
上野)
はい。よくぞ言って下さいました。
私はね、超高齢化社会は恵みだと思ってます。
老いは、誰にも訪れる。
で、差別していた、その当人にいつか、あなたがなっていく。
年寄りが安心して生きられない社会は若い人も安心して働けない社会なので
このボーヴォワールさんの宿題は、私たちがちゃんと引き受けなきゃいけないと思います。
(100分de名著「老い ボーヴォワール」より)
吾亦紅
草 木
庭の片隅に移し植ゑた萩は毎年、夏の終りには、垣根の上まで繁り、小さな紅い花を持つた。
暑い陽光に蒸れる地面も、その辺だけは爽やかな日蔭となり、こまかなみどりが風に揺れてゐた。
私は、あの風のゆらめく葉をぼんやりと眺めてゐると、そのまま、いつまでも、ここの生活がうつろはないもののやうな気持がしたのだが……。
(『定本原民喜全集Ⅱ』編集委員 山本健吉・長光太・佐々木基一 青土社 1978年)
最初その小さな庭に、妻と二人でおりたち、前の借主が残して行つた、いろんな草木を掘返した時の子供つぽい姿が、――素足で踏む黒土の鮮やかなにほひとともに――今も眼さきに髣髴とする。伊集院)
寄席の伝説なんですけどかなりご高齢のその名人級の師匠が
やっぱり少し認知症が始まってはいせつえ~と寄席の楽屋で排泄しちゃって。
そしたら周りの弟子たちがね「くせえ くせえ」って
「何々師匠 うんこ漏らしてやがる」ってなった時に
「うんこ 嫌がってたらいい野菜、作れないよ」って
ギャグ言ったっていうんだよ。伝説なの。
もうその人はもう何か認知症をももう笑に変えちゃう能力があるから憧れる。
……
伊集院)
何か良かったのは僕は、その、不勉強だから「第二の性」より先にこの「老い」に触れたんですね。
多分、僕いきなり「第二の性」に触れると、僕が女性になるっていうことが想像つかないから
僕が老いていく立場になるのは想像がつくので
何か、その差別感とか、これをどやって取り除いていけばいいのかみたいな
入り口としてとても分かりやすかったし自分ごとになったんですね。
そうすると一歩進めてこういうことが、自分が、こう内面から持ってちゃってる
差別意識なんだみたいなことが理解しやすくなるかなってちょっと思いました。
上野)
はい。よくぞ言って下さいました。
私はね、超高齢化社会は恵みだと思ってます。
老いは、誰にも訪れる。
で、差別していた、その当人にいつか、あなたがなっていく。
年寄りが安心して生きられない社会は若い人も安心して働けない社会なので
このボーヴォワールさんの宿題は、私たちがちゃんと引き受けなきゃいけないと思います。
(100分de名著「老い ボーヴォワール」より)
吾亦紅
草 木
庭の片隅に移し植ゑた萩は毎年、夏の終りには、垣根の上まで繁り、小さな紅い花を持つた。
暑い陽光に蒸れる地面も、その辺だけは爽やかな日蔭となり、こまかなみどりが風に揺れてゐた。
私は、あの風のゆらめく葉をぼんやりと眺めてゐると、そのまま、いつまでも、ここの生活がうつろはないもののやうな気持がしたのだが……。
(『定本原民喜全集Ⅱ』編集委員 山本健吉・長光太・佐々木基一 青土社 1978年)
さういへば、二人であの浅い濁つた海に浸つたとき海水で顔を洗ひ、手拭の下から覗いた顔もまるで女学生の表情だつた。 はじめのころ妻は、クロツカアズ、アネモネ、ヒヤシンスなど買つて来て、この土地での春を待つた。
私は私で、芝生を一めんに繁らさうと工夫した。
春さきになると、まづ壺すみれが日南(ひなた)に咲いた。
それからクローバー、車前草(おほばこ)、藜(あかざ)などがほしいままに繁つた。
黄色い暑苦しい花、焔のやうな真赤な小さな花、黄や紫の白粉花など、毎歳その土地には絶えなかつた。
ダリヤは花を持つ頃になると風に吹き折られた。
紺菊は霜に痛められて細々と咲いた。
庭の手入も、年とともに等閑になつたが、鬼灯ばかりは最後の年までよく出来た。
私はその青い実の一輪を妻の病床に飾つたのだつた。 一つ一つはもう憶ひ出せないが、私は妻とあの土地で暮した間、どれほどかずかずの植物に親しみ、しみじみそれを眺めたことか。
妻が死んだ翌日、仏壇に供へる花を求めて、その名を花屋に問ふと、われもかう、この花を、つくづくと眺めたのはその時がはじめてだつた。
が、その花を持つて家に帰る途中、自転車の後に同じ吾亦紅と薄の穂を括りつけてゆく子供の姿をふと見かけた。
お月見も近いのだな、と私はおもつた。 菓 子
ある夕方、妻はぐつたりした顔つきで、「お菓子が食べたい」と云つた。
その頃妻は貪るやうにものを食べるのであつたが、どうも元気がなかつた。
いつも私は教員室で先生たちが「せめて子供に、大福をもう一度食べさすことが出来る日まで、生きてゐたいものだ」など話合つてゐるのをきかされてゐたが、「お菓子が食べたい」といふ妻の訴へは、普通の人のそれとは少し違つてゐたらしい。ひどく銷然としてゐるので、私は妻を慰めるつもりで、その傍にねそべり、一時間あまりも菓子の話をした。
思ひ出してみれば、世の中には随分いろんな菓子があつたものだ。
幼い時から親しんだ菓子の名前がすぐ念頭に浮かび、その恰好や、色彩をお互に話し合つた。
娘の頃から抹茶を習つてゐる妻は、日本菓子について詳しかつた。
さまざまな記憶を静かに語り合つてゐると、も返つて来ぬ夢のやうに、うつとりと絶望するのであつた。 妻の母は娘を悦ばすために、東京からわざわざ蓬団子を拵へて持つて来ることがあつた。
すると、妻は重箱に詰められた団子を、見る見るうちに平らげてしまふのであつた。
これまでにないことであつた。
たまたま、私も学校で生徒の父兄から贈られた菓子を少し頒けてもらつた。
甘納豆、豆板、飴玉など、この時も妻は悦んだ。
だが、菓子を食べても、ものを貪つても、どうも妻は元気にならなかつた。
ものに憑つかれたやうに、たらふく食事をした後で、ぐいぐいと水を飲んだ。
それが、糖尿病の所為だとは、暫くの間まだ気がつかなかつたのである。 その後、糖尿の養生をはじめ、順調に行きさうもない時、もの狂ほしげに妻は母に云つた。
「どうせ助からないのなら、思ひきり欲しいものを食べて死なうかしら」「それはまだ早いよ」と母は静かに宥めた。
結局、妻は思ひきり欲しいものを食べないうちに、死んでしまつたのである。 戦争が終つて、闇市にぽつぽつと菓子の姿を見かけられるやうになつた。
私はそれを亡き妻に報告したいやうな気持に駆られる。
報告したいのは、菓子のことばかりではない。
戦争によつて歪められてゐた数かぎりないことがらを、今は、しづかにかへりみてゐるのである。
(『定本原民喜全集Ⅱ』編集委員 山本健吉・長光太・佐々木基一 青土社 1978年)