朝、土砂降りで雷も…
諦めていたら止んでくれました。
でも、妹を病院へ送る時間があるので本を読んだりしていました。
午後から買い物に出ると、これまた凄い雨でした…
「近畿 局地的に激しい雨のおそれ 浸水・増水など十分注意」(関西NHK)
以前紹介した『江戸問答』を読んでいたら『日本問答』も読みたくなりました。田中優子さんと松岡正剛さんの問答は、幅が広くかつ奥が深いので何度も読み返したくなります。
朝日新聞に田中さんの記事が連載されていて今朝は
「(語る 人生の贈りもの)田中優子:13 ぶれない発言、忖度するのは損」(朝日新聞)
上記の『日本問答』『江戸問答』から「あとがき」の一部を転記しますφ(..)
あとがき 田中優子
……
日本の歴史叙述は、明治新以後の「欧化」という方向性をもった出来事の列挙が基本となってしまった。
近代では、江戸時代以前の歴史も、それと同じ方法で語られるようになった。
誰が何をしたか、誰が勝ったか、誰が何を作ったか等々、主語の歴史である。
名を持たぬ人びとの日々の営みは埋もれ、彼らによって作られた無数のアート(優れた技術で生み出されたもの)も語られない。
しかし「おおもと」は、そのなかにこそある。
内と外の出入りによってデュアルに、そしてダイナミックに無限展開されてきた「もの」と「生き方」が、無数の襞のなかに折りたたまれている。
松岡正剛の言う「編集的歴史観」が必要なのは、そのためである。
……
(『日本問答』田中優子、松岡正剛 岩波新書 2017年)
あとがき2
訂正と保留をこえて 松岡正剛
……
ぼくは徳川社会史や江戸文化に詳しい者ではないので、詳しいことは何度となく田中さんに尋ねながら話をすることになるのだが、江戸の研究者である田中さんに問答をふっかけるということになった。
失礼を承知でそういうことをしてみたが、こういう機会はもっとあったほうがいいと、つくづく感じた。
江戸社会のあれこれに突っ込みながら、その後の日本の来し方行く末を考えてみるのは、はなはだスリリングであり、ときにラディカルであり、しばしば予想以上のブレークスルーをもたらしてくれた。
最近、そうしたほうがいいだろうと思うことが頻繁におこっている。
いくつか思いあたったことをあげておく。
たとえば、日本会議や森友問題が話題になったときは、誰かが山崎闇斎(あんさい)のことを持ち出すといいと思った。
闇斎は神道や儒教をまぜこぜにした垂加神道を提唱した儒者だけれど、会津藩主の保科正之に招かれて地方政治にかかわったり、京都の公家社会に入りこんで吉川神道継承しようとした憂国型の思想家である。
尊王攘夷イデオロギーの扉をあけた一人であるのに、ほとんど注目されていない。
しかし最近の日本主義者の台頭を見るには、国学以前の闇斎の折衷力の検討は欠かせない。
テレビのリアリティ番組とその後のSNSの過剰な中傷にさらされたプロレスラーの木村花さんが自殺したという報道の接したときは、江戸社会おいてなぜ「虚実皮膜」という見方が過熱したかということをふりかえりたくなった。
これについては、田中さんはニューヨークを拠点とする歴史社会学者の池上英子さんと『江戸とアバター』(朝日選書)という対話をして、われわれの内なるダイバーシティについて深い議論をしているのが参考になる。
池上さんにはサムライ精神の構造を問うた『名誉と順応』や、日本人の国際文化を問うた『美と礼節の絆』(いずれもNTT出版)という著書もあるのだが、あまり知られていない。
『江戸とアバター』とともにもっと読まれるべきだ。
……
(『江戸問答』田中優子 松岡正剛 岩波新書 2021年)
……
日本の歴史叙述は、明治新以後の「欧化」という方向性をもった出来事の列挙が基本となってしまった。
近代では、江戸時代以前の歴史も、それと同じ方法で語られるようになった。
誰が何をしたか、誰が勝ったか、誰が何を作ったか等々、主語の歴史である。
名を持たぬ人びとの日々の営みは埋もれ、彼らによって作られた無数のアート(優れた技術で生み出されたもの)も語られない。
しかし「おおもと」は、そのなかにこそある。
内と外の出入りによってデュアルに、そしてダイナミックに無限展開されてきた「もの」と「生き方」が、無数の襞のなかに折りたたまれている。
松岡正剛の言う「編集的歴史観」が必要なのは、そのためである。
……
(『日本問答』田中優子、松岡正剛 岩波新書 2017年)
あとがき2
訂正と保留をこえて 松岡正剛
……
ぼくは徳川社会史や江戸文化に詳しい者ではないので、詳しいことは何度となく田中さんに尋ねながら話をすることになるのだが、江戸の研究者である田中さんに問答をふっかけるということになった。
失礼を承知でそういうことをしてみたが、こういう機会はもっとあったほうがいいと、つくづく感じた。
江戸社会のあれこれに突っ込みながら、その後の日本の来し方行く末を考えてみるのは、はなはだスリリングであり、ときにラディカルであり、しばしば予想以上のブレークスルーをもたらしてくれた。
最近、そうしたほうがいいだろうと思うことが頻繁におこっている。
いくつか思いあたったことをあげておく。
たとえば、日本会議や森友問題が話題になったときは、誰かが山崎闇斎(あんさい)のことを持ち出すといいと思った。
闇斎は神道や儒教をまぜこぜにした垂加神道を提唱した儒者だけれど、会津藩主の保科正之に招かれて地方政治にかかわったり、京都の公家社会に入りこんで吉川神道継承しようとした憂国型の思想家である。
尊王攘夷イデオロギーの扉をあけた一人であるのに、ほとんど注目されていない。
しかし最近の日本主義者の台頭を見るには、国学以前の闇斎の折衷力の検討は欠かせない。
テレビのリアリティ番組とその後のSNSの過剰な中傷にさらされたプロレスラーの木村花さんが自殺したという報道の接したときは、江戸社会おいてなぜ「虚実皮膜」という見方が過熱したかということをふりかえりたくなった。
これについては、田中さんはニューヨークを拠点とする歴史社会学者の池上英子さんと『江戸とアバター』(朝日選書)という対話をして、われわれの内なるダイバーシティについて深い議論をしているのが参考になる。
池上さんにはサムライ精神の構造を問うた『名誉と順応』や、日本人の国際文化を問うた『美と礼節の絆』(いずれもNTT出版)という著書もあるのだが、あまり知られていない。
『江戸とアバター』とともにもっと読まれるべきだ。
……
(『江戸問答』田中優子 松岡正剛 岩波新書 2021年)