今朝も青空が広がっていました。
昨日までと違って風も弱く、穏やかな天気です。
家族連れが多いのは、今、のんびりとできるのは公園くらいだと思います。
ちなみに父は、この連休期間は人出が多いので散歩を止めています。
「大型連休 大阪の公園には家族連れなど」(NHK 関西)
「朝日新聞阪神支局 襲撃事件から34年」(NHK関西)昨日までと違って風も弱く、穏やかな天気です。
家族連れが多いのは、今、のんびりとできるのは公園くらいだと思います。
ちなみに父は、この連休期間は人出が多いので散歩を止めています。
「大型連休 大阪の公園には家族連れなど」(NHK 関西)
この事件は、「時効」になったのですが、このような凶悪なテロに時効が成立するのは納得できないです。
そのために「刑法及び刑事訴訟法の一部を改正する法律」(平成22年法律第26号)が成立しています。
「コラム5:公訴時効制度の改正について」(平成23年版 犯罪被害者白書) 「NHK世論調査 “憲法改正必要”33% “必要ない”20%」(NHK)
石川健治東京大学教授の仰る通りだと思います。
「憲法改正の議論をするには、賛成する側も、反対する側も、立憲主義的でなければならないが、日本学術会議の会員任命をめぐる対応など今の政権運営を見るかぎり、その前提ができていないと言わざるをえない」
中満泉さんのTwitterに
「パンデミックのような「動く標的」を相手に対応を考える場合は、状況に応じた機動性、柔軟性、スピード感が鍵だと思うのだが、入国者への対応にしろ、ワクチン整備のスピードにしろ、日本が最も不得意とするところを突かれたような気がしてならない」
〝北欧の明暗を分けたコロナ対策 切り札となったデンマークの「コロナパス」と日本との違いは?〟(井上陽子 BuzzFeed)
新型コロナ対策で憲法が保障している「自由」や「平等」(医療従事者などへの差別や偏見)などが問題になっていますが
憲法記念日特集「新型コロナと憲法~問われる“個人の自由”~」(見逃し配信:5月10日 午前11:20 まで)
憲法を改正(改悪)して私権制限を狙っているのが大阪の為政者。
〝維新・松井代表「私権制限、議論すべき」〟(産経新聞 4月30日)
「緊急事態条項、早急に議論を 馬場伸幸・日本維新の会幹事長―憲法改正を問う」(JIJI.COM 2020年5月7日)
緊急事態宣言を前倒しにして感染拡大を招いたことをうやむやにしようとしている。
憲法記念日特集を見ていると、ある方が大阪のやり方はズルイと言っていましたが、共感します。
そして、現在の大阪の医療崩壊をすでに去年の段階で警告していた記事が
〝大阪の医療崩壊と看護師不足は維新の医療削減政策のせい! 橋下徹は大阪市長時代、看護師の給料を「バカ高い」と攻撃〟(LITERA 2020.12.05)
第5章 「自分は象徴でいい」と第二の聖断
*ようやく成立した新憲法
さて憲法を改正することになって、最後に残された問題があります。
それまでは明治憲法が生きているわけですから、その七十三条によれば、憲法改正には勅命(ちょくめい<天皇陛下の命令>)を絶対必要としています。
内閣が決めても天皇がノーと言えばだめなわけです。
そこで、天皇陛下がどう言われるだろうかということが最後の問題となります。
(『平凡社ライブラリー672 昭和史 戦後編1945-1989』半藤一利 2009年) 幣原(喜重郎)さんがマッカーサーに会って閣議で報告したその2月22日、記録によれば午後2時5分から3時15分というかなり長い時間、いったん閣議を中止して幣原さんが天皇のもとに行き、報告をしています。
天皇陛下はその日、軽い風邪気味で執務室には出ず、御文庫で静養中でした。
例の神奈川県巡幸の三日間が非常に寒く、それが原因だったのではないでしょうか。
首相が経緯とGHQ草案の内容、極端に言えば「天皇は象徴」「主権在民」「戦争放棄」の三原則を伝えると、天皇は――幣原平和財団編『幣原喜重郎』によれば――次のように言われました。
「最も徹底的な改革をするがよい。たとえ天皇自身から政治的機能のすべてを剥奪(はくだつ)すほどのものであっても、全面的に支持する」
とにかく徹底的にやっていい、自分の権限は何もなくなってもいいと。
また、もう一説に、出典は不明なのですが、こうきっぱり言ったとも伝わっています。
「自分は象徴でいい思う」
これは、二回目の「聖断」ですね。
戦争をやめるという聖断をした天皇が、戦後日本をつくる基本となる憲法作成の際に、自分は象徴でいいと決意表明したのです。
これによって、憲法改正が動きだすのです。
幣原さんは退出し、閣議に戻って天皇陛下の言葉を閣僚に伝えました。
もはや、反対する人は一人もなく、さすがの松本烝治(じょうじ)国務大臣も「止むを得ません」と納得したそうです。
とにかくゴタゴタはこれで終わりました。
以下、憲法が正式に決まるまでにはまだいろいろあります。
幣原内閣はこの後まもなく退陣し、4月の総選挙を経て、昭和21年5月に吉田茂が首相に就任します。
戦後の選挙制度に基づき新しい衆議院議員が決まり、内閣も吉田さん率いる自由党中心となり、憲法改正問題が国家に諮られます。
そのために吉田内閣は、とりわけ憲法担当として新しく入閣した金森徳次郎(かなもりとくじろう)国務大臣はたいへん苦労をしますが、詳しく話すときりがありません。
ですが、いくら新しい議員たちがどう突っ込んできても、考えてみれば、GHQがそれまでに天皇制の改革を徹底的にやってきていますから、今さら議論をしてもどうにもならないところまで来ていたのです。 ひとつは、「人間宣言」です。
これによって、神がかり的国家観は消滅しています。
新議員にもまだ「日本は神の国だ」と叫ぶ人はいましたが、もう誰も相手にしません。
日本のリーダーが呪文のように唱えてきた「国体は護持されたのだ」なんてことさえ(実際は結果的にはされていないのですが)、すでに不明確のままやりすごすことになってしまっています。 二つめに、国会質疑で吉田さんは「ごまかし」の答弁を繰り返すのですが、彼は直接GHQとやり合ってきた人です。
GHQ案は日本には合わない、受け入れ難い強引なものであっても、これを飛ばしてしまえばまた一からやり直し、天皇陛下の身柄の問題も再燃するに決まっています。
天皇陛下ご自身も象徴でいいと言われたし、この象徴規定以外に天皇制を守る道はないと、吉田さんは非常にリアリスティックに考えた、いや立場上、考えざるを得なかったんですね。
議会で猛反対されても、何を言われても、とにかく受け入れるしかないと観念している立場で答弁するわけです。
たとえば、
「皇室の御存在なるものは、これは日本国民、自然に発生した日本国体そのものであると思います。皇室と国民との間に何等の区別もなく、いわゆる君臣一如であります。君臣一家であります」 こんなふうにぬけぬけと答えるのですが、今読むと何言ってんだか、国民主権と天皇主権とはずいぶん違いますし、ちょっと頭がおかしいのでは、というような内容で、これで納得する議員はいないんじゃないでしょうか。
さらに吉田さんは言い切ります。
「国体は新憲法によっていささかも変更せられないのであります」
主権は国民にあって天皇にはないとはっきり言っていて、天皇陛下の絶対的な権力を基礎としたいわゆる戦前の国体は完全に否定されてなくなっているにもかかわらず、堂々とこう言うのです。
詭弁(きべん)でしかないのですが、これで押し通す以外に天皇陛下の身柄を守りぬく方法はないのだから、言外に「おまえたち、ぐずぐず言わずに納得してくれ」と言っているわけです。
この方針で、吉田さんの代わりに答弁に立つ金森さんも、どんな質問をされようと「とにかく国体は変更されていない」「国民主権であっても君臣一如だから同じなんだ」と答え、戦中に聖戦完遂(かんすい)・鬼畜米英と叫んでいた不満でしようがない代議士たちをも押し切ったのです。
一方、リベラル派だとか社会党には「GHQ案で日本の国はよくなる」と喜ぶ人もいました。
面白いには、共産党がなぜか「軍隊をもたない」「戦争放棄」の条項に猛反対したんです。
これでは国民の権利である自衛戦争も認められないではないか、と。
今の共産党とはずいぶん違いますね。
こうして議会で議論が交わされ、GHQ草案が少しずつ手直しされ、しかし大原則の「国民主権」「象徴天皇」「戦争放棄」はしっかり守りながら、憲法は審議決定されていきました。
やがて議会で全条項が可決され、昭和21年(1946)11月3日、「日本国憲法」が国民に公布され、翌年5月3日からの施行が決まりました。
これが実際に生きた憲法として、その後の戦後日本の土台となるわけです。
いや、機軸となったのです。 公布の前に、天皇陛下が新しい日本国憲法に署名をしましたが、それは57年間続いた大日本帝国憲法の解体を意味する最後の儀式でした。
こうしてやっと、憲法が成立したのです。
そして、ここまでは、GHQによる改革で日本ががたがたと解体される話でしたが、これからは、いよいよ、この憲法を機軸に新しい日本をつくるために日本人がどうやって努力してきたのかの話になっていくわけです。
御文庫 防空施設として昭和16年(1941)、宮城の吹上御苑の森を切り開いてつくり、戦後の天皇の居所として使用された。
(『平凡社ライブラリー672 昭和史 戦後編1945-1989』半藤一利 2009年)