今朝は、自転車でやってきたので、いつもより1時間ほど早くリハビリ散歩を始めることができました。
というのも父が土日は人が多いので来園するのを自粛しています(雨の日は人が少ないので…)
1時間ほど早いだけでも暑さが違うような気がします。
これから暑さが厳しくなるので、駐車場が利用できるようになるといいのだけど…
「3府県 緊急事態宣言再延長の措置決定」(関西NHK)「破綻の危機に直面した大阪の医療現場 24時間密着で見えたこと」(NHK 5月28日)
大阪府知事のTwitterを見ると、支持者の方が「早く寝てください」などの言葉をかけていますが、
医療現場では、肉体的にも精神的に限界を超えています。
〝尾身会長 東京五輪・パラ「ウイルス流入のリスクある」〟(NHK 5月28日)支持者の多い東京都知事についても
なすこさんのtwitterに
#令和の歴史教科書
迷走する築地市場跡地
(画像1 、 画像2 、 画像3 、 画像4)今回、パソコンの初期化をした後、Twitterなどのパスワードを変更したために携帯で見ることができなくなりました(T_T)
というのも携帯でTwitterにログインしようとしたら携帯に認証コードがショートメールで送られてきます。
スマホなら画面を変えることできるけど、携帯は変えることができない…
ものは考えようで、携帯依存にならなくてすむと考えることにしました(^_^)v
ぼやいているときりがないので原民喜の『美しき死の岸に』より「小さな庭」を転記しますφ(..)
Ⅱ 愛の章
三 結婚という幸福
(前略)
貞恵の死後も、原は彼女への思いを詩に書き続けた。
1944(昭和19)年から1945(同20)年にかけて綴られたそれらの散文詩は、「小さな庭」としてまとめられている。
(後略)
(『原民喜 死と愛と孤独の肖像』梯久美子 岩波新書 2018年)美しき死の岸に
小さな庭
庭
暗い雨のふきつのる、あれはてた庭であつた。
わたしは妻が死んだのを知つておどろき泣いてゐた。
泣きさけぶ声で目がさめると、妻はかたはらにねむつてゐた。
……その夢から十日あまりして、ほんとうに妻は死んでしまつた。
庭にふりつのるまつくらの雨がいまはもう夢ではないのだ。
(『定本原民喜全集Ⅱ』編集委員 山本健吉・長光太・佐々木基一 青土社 1978年)
そら
おまへは雨戸を少しあけておいてくれというた。
おまへは空が見たかつたのだ。
うごけないからだゆゑ朝の訪れが待ちどほしかつたのだ。 閨
もうこの部屋にはいないはずのおまへの柩がふと仄暗い片隅にあるし、妖しい胸のときめきで目が覚めかけたが、あれは鼠のしわざ、たしかに鼠のあばれた音だとうとうと思ふと、いつの間にやらおまへの柩もなくなつてゐて、ひんやりと閨の闇にかへつた。 菊
あかりを消せば褥の襟にまつはりついてゐる菊の花のかほり。
昨夜も今夜もおなじ闇のなかの菊の花々。
嘆きをこえ、夢をとだえ、ひたぶるにくひさがる菊の花のにほひ。
わたしの身は闇のなかに置きわすれられて。 真冬
草が茫々として、路が見え、空がたれさがる、……枯れた草が濛々として、白い路に、たれさがる空……。
あの辺の景色が怕いのだとおまへは夜更におののきながら訴へた。
おまへの眼のまへにはピンと音をたてて割れさうな空気があつた。 沼
足のはうのシイツがたくれてゐるのが、蹠に厭な頼りない気持をつたへ、沼のどろべたを跣足で歩いてゐるやうだとおまへはいふ。
沼のあたたかい枯葉がしづかに煙むつて、しづかに睡むつてゆくすべはないのか。 墓
うつくしい、うつくしい墓の夢。
それはかつて旅をしたとき何処かでみた景色であつたが、こんなに心をなごますのは、この世の眺めではないらしい。
たとへば白い霧も嘆きではなく、しづかにふりそそぐ月の光も、まばらな木々を浮彫にして、青い石碑には薔薇の花。
おまへの墓はどこにあるのか、立ち去りかねて眺めやれば、ここらあたりがすべて墓なのだ。
ながあめ
ながあめのあけくれに、わたしはまだたしかあの家のなかで、おまへのことを考へてくくらしてゐるらしい。
おまへもわたしもうつうつと仄昏い家のなかにとぢこめられたまま。
(『定本原民喜全集Ⅱ』編集委員 山本健吉・長光太・佐々木基一 青土社 1978年)
つづく…