歩いている時は、ちょっと小雨が降るていどでした。
帰り道、本降りになりました。
「近畿地方 広い範囲で雨や曇り 過去最も早い梅雨入り発表」(関西NHK)お昼のニュースを見ていて
日本維新の会の浅田政務調査会長は
「変異株は、重症化の速度が速く医療がひっ迫していて、看護師のさらなる派遣などが必要だ。
大阪で起きたことが全国に広がる懸念もあり、知見を周知すれば拡大が防げる」
と発言していたけど、「先見」でなく、大阪の「失敗」から学べば感染拡大は防げると思います。
「緊急事態宣言 拡大めぐり与野党が議論 NHK日曜討論」(NHK)「第4波の死者、大阪府で急増751人 病床逼迫も影響か」(朝日新聞)
で、札幌医科大学の井戸川准教授が
「死者数は感染者の増加から約1カ月遅れて増える傾向がある。
感染力の増した変異株の影響もあるかもしれないが、
大阪府では新規感染者を抑える時期を逸した結果が、死者の増加に表れているのではないか」
と指摘されている通りだと思います。
昨日転記した山之口貘さんが思い描いていた琉球の姿。
戦争で破壊される前の
「沖縄1935 写真でよみがえる戦前」(朝日新聞)
母が亡くなった後に発見されたので見せてあげたかった。
『写真集 沖縄1935』(週刊朝日編集部編 2017年)
Eテレ美の壺で午後11時より「沖縄の風をはらむ 芭蕉布」が放送されます。
柳宗悦(やなぎむねよし)が沖縄を訪ねて1939(昭和14)に出版した『琉球の富』より「首里」を転記しますφ(..)琉球の富
首 里
日本にあるほとんど凡ての城下町を訪ねて歩いた吾々に、どの町が最も美しいかと問われる方があるなら、私たちは躊躇(ためら)わず直ぐ答えるでしょう。
沖縄の首里が第一であると。
(『民藝四十年』柳宗悦 岩波文庫 1984年) 江戸城の濠端(ほりばた)、京洛の郊外、寧楽(なら)の寺々、姫路の古城等、数えれば忘れ難い風景が様々眼に浮びます。
しかし惜しい哉(かな)、それらのものは都の一部に過ぎなく、すぐその下には、縁のない洋風の建物、それも統一のない様々な様式、汚れた裏町、安価な店構え、俗悪な喧騒(けんそう)、ほとんど凡ての町が雑然たる様態を示しているのです。
時勢の流れが厳しかった近代において、人々は祖先から伝わるものには冷淡でした。
そのため古格と保つ町はほとんど失われ、今はただわずかの建物に昔を語るに過ぎません。
それらのものを保護し始めたのも近年のことで、明治初年の余裕のない時代に、大半のものは失われました。
京都のような都は比較的よく旧態を保存していますが、しかし新しいものがその間に遠慮なく介在し、もはや昔ながらの大路小路を見出すことは出来ません。
新しいものが昔のに優る美しさを示すならよいのですが、それはほとんど望みのない夢なのです。
残念ですが、日本の都市では世界に誇り得る美しいものは非常に少なくなりました。
その間に在って沖縄の都、首里は特筆されてよい状態において現存しているのです。
もとより昔をよく知る首里の人々は、半世紀この方、如何にその都が変り衰えたかを嘆くでしょう。
多くの建物は毀(こぼ)たれ、大木は切られ、崖(がけ)は落ち、幾多の人々がここを去って帰らないのを悲しむでしょう。
変りゆく都に愛惜(あいせき)の念を有たない多くの市民さえあることを悔むでしょう。
首里は明らかに衰えつつある首里なのです。
それにこの都の財力は貧しいのです。
ですが、それらの事実にもかかわらず、首里はどんな他の都市よりも古格を止め統一を有っているのです。
感謝すべきことは、あの拙悪な洋館が、ここにはまだ非常に少ないのです。
大きな学校や教会堂は憎むべき、しかしわずかな例外なのです。
そうしてあの安っぽい亜鉛板の屋根は、まだ無遠慮に介在してはいないのです。
建物のほとんど凡てはあの豊かな昔ながらの赤瓦を用いているのです。
全体としてかくも統一ある都市の例はもはや内地では見ることが出来ませぬ。
見慣れている土地の人々には驚きでなくとも、吾々の眼には夢の如き場面なのです。
見る人が見たら首里ほどまじり気の少い、存在の明らかな都市はないでしょう。 那覇の町から、漸く半道ほど街道を進めば、城壁を抱く首里の丘が早くも視野に入るのです。
王城は美しい丘の上に礎を置いているのです。
なだらかな斜面を下に控え、ゆるやかに起伏する丘を左右に侍(はべ)らし、遠く白波の立つ那覇の港を望みながら、都は静かに今も立っているのです。
小高い城壁に佇(たたず)んで眺めるなら、その景観の美にして大なること譬(たと)えようもないのです。
ただの自然景であるならば、更に壮大なものがあるでしょう。
ただの城址(じょうし)であるならば、もっと雄健なものがあるでしょう。
ですが自然と人文とがかくも美しく組み合わさった光景を、日本のどの土地に見出すことが出来るでしょう。
そうしてどの都市が首里ほど美しい山水を四囲に控え、夢に満ちた城郭を内に備え、歴史を語る宮殿や寺院や民屋や、人文の凡てを、かくもよく保有しているでしょう。 今も守礼(しゅれい)の門は心を正せと告げているのです。
歓会(かんかい)の石彫は神域を犯すなと守っているのです。
円覚(えんかく)の山門は修行せよと誡(いまし)めているのです。
鬱々(うつうつ)たる城下の森は千歳をことほいでいるのです。
竜潭(りゅうたん)の静寂は歴史の深みを漂わせているのです。
王家の正門は一国の威権を背負うているのです。
玉御殿(たまうどうん)に至っては怖るべき精霊の実在を、吾々の胸に指し示しているのです。
樹陰のゆらぐ城内の道を辿(たど)れば、誰も詩境に誘われ画境に招かれるでしょう。
終りない夢が次ぎ次ぎに呼ばれて来るのです。
一度道を横に折れて町々を縫えば、小石に敷きつめられた、昔ながらの道が吾々の足を終りなく誘うのです。
右にも左にも苔(こけ)むした石垣が連なり、それに被いかぶさる「がじまる」や、濃い福木の緑が続き、その間に見事な赤瓦の屋根が、あの怪物を戴いて現れてくるのです。
それは真に活きた庭園の都市なのです。
これ以上に人文の華を織りなした名園があるでしょうか。
一度その懐に入るならば、佇徊(ちょかい)時を久しくして去り難い想いを禁ずることが出来ないでしょう。
自然と歴史と人文との調和が、かくもよく保存せられている都市は、稀有(けう)な存在だといわねばなりません。 衰えたというも、首里はまだ純然たる沖縄の王都なのです。
これに比べるならば、他の国の都市は如何に外来の雑多な文化に影響されて不純なものに陥っているでしょう。
それらのものは既に半ば独自の相を失っているのです。
ですが首里ばかりは彼自身の首里なのです。
それは日本における貴重な観光の都市だといわねばなりません。
沖縄の人はその城都の美を熱愛すべきなのです。
県の人はその都市美に対してあらゆる保護を講ずべきなのです。
首里さえその姿を乱さないならば、今後那覇の港はあらゆる旅人を引きつけて多忙を極めるでしょう。
(『民藝四十年』柳宗悦 岩波文庫 1984年)転記しながら思い出したのは、日付を記入していなかったけど大阪市廃止の住民投票の時に朝日新聞の大阪版に津村記久子さんが一文を寄せていました。
大阪の選択 わたしの見方 [3] その後 津村記久子
街の個性 考え直しては?
(前略)
最近兵庫県に引越しました。
初の一人暮らしです。
住民投票を始めとした、終わりのない政治的な駆け引きに疲れ果てたので。
大阪市廃止が可決されたら、もう帰ることはないと考えていました。
今の大阪の人は、もともといいものを持っていても「自信が足りない。もっと自信が欲しい」と思ってるやないですか。
(都道府県版の)GDPで愛知に負けたし、人口も神奈川より少ないですしね。
東京に負けたくないというであれば、京都や兵庫や奈良や和歌山と接していることを生かして、近畿圏全体としての個性や価値を高めたほうがいいんじゃないでしょうか。
100年以上の歴史がある(自転車レースの)「ツール・ド・フランス」を見ながら、フランスになぜ世界から観光客が集まるのか考えていました。
フランスの人には天性のブランディング力があるんでしょうが、伝統や文化を強みにしている部分も大きいと思います。
大阪にも文楽などの文化、商店街の一朝一夕で作れない町並みなどはあります。
「都」「副」「2位」という軸ではなく、まず自分にどんな個性があるのかを、考え直してもいいんじゃないでしょうか。
(朝日新聞夕刊 2020年?)
今朝の父の一枚です(^_^)v母が亡くなった後に発見されたので見せてあげたかった。
『写真集 沖縄1935』(週刊朝日編集部編 2017年)
Eテレ美の壺で午後11時より「沖縄の風をはらむ 芭蕉布」が放送されます。
柳宗悦(やなぎむねよし)が沖縄を訪ねて1939(昭和14)に出版した『琉球の富』より「首里」を転記しますφ(..)琉球の富
首 里
日本にあるほとんど凡ての城下町を訪ねて歩いた吾々に、どの町が最も美しいかと問われる方があるなら、私たちは躊躇(ためら)わず直ぐ答えるでしょう。
沖縄の首里が第一であると。
(『民藝四十年』柳宗悦 岩波文庫 1984年) 江戸城の濠端(ほりばた)、京洛の郊外、寧楽(なら)の寺々、姫路の古城等、数えれば忘れ難い風景が様々眼に浮びます。
しかし惜しい哉(かな)、それらのものは都の一部に過ぎなく、すぐその下には、縁のない洋風の建物、それも統一のない様々な様式、汚れた裏町、安価な店構え、俗悪な喧騒(けんそう)、ほとんど凡ての町が雑然たる様態を示しているのです。
時勢の流れが厳しかった近代において、人々は祖先から伝わるものには冷淡でした。
そのため古格と保つ町はほとんど失われ、今はただわずかの建物に昔を語るに過ぎません。
それらのものを保護し始めたのも近年のことで、明治初年の余裕のない時代に、大半のものは失われました。
京都のような都は比較的よく旧態を保存していますが、しかし新しいものがその間に遠慮なく介在し、もはや昔ながらの大路小路を見出すことは出来ません。
新しいものが昔のに優る美しさを示すならよいのですが、それはほとんど望みのない夢なのです。
残念ですが、日本の都市では世界に誇り得る美しいものは非常に少なくなりました。
その間に在って沖縄の都、首里は特筆されてよい状態において現存しているのです。
もとより昔をよく知る首里の人々は、半世紀この方、如何にその都が変り衰えたかを嘆くでしょう。
多くの建物は毀(こぼ)たれ、大木は切られ、崖(がけ)は落ち、幾多の人々がここを去って帰らないのを悲しむでしょう。
変りゆく都に愛惜(あいせき)の念を有たない多くの市民さえあることを悔むでしょう。
首里は明らかに衰えつつある首里なのです。
それにこの都の財力は貧しいのです。
ですが、それらの事実にもかかわらず、首里はどんな他の都市よりも古格を止め統一を有っているのです。
感謝すべきことは、あの拙悪な洋館が、ここにはまだ非常に少ないのです。
大きな学校や教会堂は憎むべき、しかしわずかな例外なのです。
そうしてあの安っぽい亜鉛板の屋根は、まだ無遠慮に介在してはいないのです。
建物のほとんど凡てはあの豊かな昔ながらの赤瓦を用いているのです。
全体としてかくも統一ある都市の例はもはや内地では見ることが出来ませぬ。
見慣れている土地の人々には驚きでなくとも、吾々の眼には夢の如き場面なのです。
見る人が見たら首里ほどまじり気の少い、存在の明らかな都市はないでしょう。 那覇の町から、漸く半道ほど街道を進めば、城壁を抱く首里の丘が早くも視野に入るのです。
王城は美しい丘の上に礎を置いているのです。
なだらかな斜面を下に控え、ゆるやかに起伏する丘を左右に侍(はべ)らし、遠く白波の立つ那覇の港を望みながら、都は静かに今も立っているのです。
小高い城壁に佇(たたず)んで眺めるなら、その景観の美にして大なること譬(たと)えようもないのです。
ただの自然景であるならば、更に壮大なものがあるでしょう。
ただの城址(じょうし)であるならば、もっと雄健なものがあるでしょう。
ですが自然と人文とがかくも美しく組み合わさった光景を、日本のどの土地に見出すことが出来るでしょう。
そうしてどの都市が首里ほど美しい山水を四囲に控え、夢に満ちた城郭を内に備え、歴史を語る宮殿や寺院や民屋や、人文の凡てを、かくもよく保有しているでしょう。 今も守礼(しゅれい)の門は心を正せと告げているのです。
歓会(かんかい)の石彫は神域を犯すなと守っているのです。
円覚(えんかく)の山門は修行せよと誡(いまし)めているのです。
鬱々(うつうつ)たる城下の森は千歳をことほいでいるのです。
竜潭(りゅうたん)の静寂は歴史の深みを漂わせているのです。
王家の正門は一国の威権を背負うているのです。
玉御殿(たまうどうん)に至っては怖るべき精霊の実在を、吾々の胸に指し示しているのです。
樹陰のゆらぐ城内の道を辿(たど)れば、誰も詩境に誘われ画境に招かれるでしょう。
終りない夢が次ぎ次ぎに呼ばれて来るのです。
一度道を横に折れて町々を縫えば、小石に敷きつめられた、昔ながらの道が吾々の足を終りなく誘うのです。
右にも左にも苔(こけ)むした石垣が連なり、それに被いかぶさる「がじまる」や、濃い福木の緑が続き、その間に見事な赤瓦の屋根が、あの怪物を戴いて現れてくるのです。
それは真に活きた庭園の都市なのです。
これ以上に人文の華を織りなした名園があるでしょうか。
一度その懐に入るならば、佇徊(ちょかい)時を久しくして去り難い想いを禁ずることが出来ないでしょう。
自然と歴史と人文との調和が、かくもよく保存せられている都市は、稀有(けう)な存在だといわねばなりません。 衰えたというも、首里はまだ純然たる沖縄の王都なのです。
これに比べるならば、他の国の都市は如何に外来の雑多な文化に影響されて不純なものに陥っているでしょう。
それらのものは既に半ば独自の相を失っているのです。
ですが首里ばかりは彼自身の首里なのです。
それは日本における貴重な観光の都市だといわねばなりません。
沖縄の人はその城都の美を熱愛すべきなのです。
県の人はその都市美に対してあらゆる保護を講ずべきなのです。
首里さえその姿を乱さないならば、今後那覇の港はあらゆる旅人を引きつけて多忙を極めるでしょう。
(『民藝四十年』柳宗悦 岩波文庫 1984年)転記しながら思い出したのは、日付を記入していなかったけど大阪市廃止の住民投票の時に朝日新聞の大阪版に津村記久子さんが一文を寄せていました。
大阪の選択 わたしの見方 [3] その後 津村記久子
街の個性 考え直しては?
(前略)
最近兵庫県に引越しました。
初の一人暮らしです。
住民投票を始めとした、終わりのない政治的な駆け引きに疲れ果てたので。
大阪市廃止が可決されたら、もう帰ることはないと考えていました。
今の大阪の人は、もともといいものを持っていても「自信が足りない。もっと自信が欲しい」と思ってるやないですか。
(都道府県版の)GDPで愛知に負けたし、人口も神奈川より少ないですしね。
東京に負けたくないというであれば、京都や兵庫や奈良や和歌山と接していることを生かして、近畿圏全体としての個性や価値を高めたほうがいいんじゃないでしょうか。
100年以上の歴史がある(自転車レースの)「ツール・ド・フランス」を見ながら、フランスになぜ世界から観光客が集まるのか考えていました。
フランスの人には天性のブランディング力があるんでしょうが、伝統や文化を強みにしている部分も大きいと思います。
大阪にも文楽などの文化、商店街の一朝一夕で作れない町並みなどはあります。
「都」「副」「2位」という軸ではなく、まず自分にどんな個性があるのかを、考え直してもいいんじゃないでしょうか。
(朝日新聞夕刊 2020年?)
巣立ったばかりのツバメの子どもに出会っていました。
空が明るければもっとハッキリ写せたと思います。
でも、喜んでいました♪
今日は、日曜日だけど、天気が悪いので人出が少ないだろうと出かけましたp(^^)q