スッキリした五月晴れでないけど、梅雨の中休みかな?
赤い実のように見えるけど虫こぶだと思います(バラハタマフシ?)。池につくと先に来ていた方が元気ですよと教えてくれます(^-^) エリック・カールさんが亡くなりましたね。
青虫をあんなに愛らしく描かれて、主人公にした絵本は、他に知らないのだけど…。
エリック・カールチームのTwitterに
From the Eric Carle Team: It is with heavy hearts that we share that Eric Carle, author & illustrator of The Very Hungry Caterpillar and many other beloved classics, passed away on 23rd at the age of 91.
Thank you for sharing your talent with generations of young readers.
(語学力が低いのでGoogleによる英語からの翻訳を転記します)
エリック・カールチームから:「はらぺこあおむし」や他の多くの愛されているクラシックの作者兼イラストレーターであるエリック・カールが23日に91歳で亡くなったことを心から共有します。
何世代にもわたる若い読者とあなたの才能を分かち合ってくれてありがとう。
〝五輪とコロナ、為政者は「答責性」自覚せよ 井上達夫氏〟(朝日新聞 5月26日)
(前略)
法哲学者としては、欧米のロックダウンと対照的な、自粛要請という柔らかな規制の弊害を懸念してきた。
手続きや要件が厳格に求められる法治国家のルールが踏みにじられ、同調圧力による社会的制裁が野放しだ。
目に見えない危うさが見落とされている。
(中略)
答責任は、日本政府のみならず、開催に固執するIOCにもある。
当事国である日本のメディアは、外国の報道機関任せにせず、バッハ会長の説明責任、さらに答責任を追及しなければならない。
(後略)
昨日は、土砂降りだったので大人しくしていました。
読んでいた本の中にこんな言葉があります。
(祖母のタカさんの言葉)
「この頃思いやりのない人が増えたね……出来ない人にだって、お国を思う気持ちはある。
出来るのは結構だけど、それだからって偉そうにすることはないじょないの。
いやなご時世だねえ」
『トンネルの森 1945』の書き出しを転記したいと思います。
「試し読みをする」でその部分を読むことができます。
また、角野栄子さんの朗読を視聴することもできます。
〝「魔女の宅急便」の角野栄子さんご本人が朗読!『トンネルの森 1945』〟(YouTube) 『トンネルの森 1945』 角野栄子
昭和十五年、五歳の時、私を生んだおかあさんが死んだ。
それでおとうさんのおかあさんで、東京の本郷(ほんごう)に住んでいるおばあさん、タカさんに、私は預けられた。
「こんなご時世なのに、商売がいそがしくってねえ。それに店のもんが全部兵隊にとられちゃって、私ひとりじゃ、どうにもならない。かあさん、しばらくイコをおねがいしますよ」
(『トンネルの森 1945』角野栄子 KADOKAWA 平成27年) こんなご時世というのは、今、私たちの国、日本は近くの大陸で戦争をしていて、それが終わらないどころか、もっと大きな戦争にまでなっていくかもしれないというのだ。
大人たちは一日に何回も、こんなご時世だから、戦争だから、と、口にする。
「日本は大勝利、万々歳ですよ」「こてんぱんに、やっつてけやりましょうよ」「いざっていうときは、日本には神風が吹きますから」こんな風に、戦争になったら瞬く間に日本は勝つと、みんながみんな、威勢がいい。
世界が変わるぞー、と言っているみたい。
なんだかおもしろいことが起きどうだと、私もうきうきしていた。 「戦争というのは、勝つ国もあれば、負ける国もあるんだからねえ」
タカさんはときどき独り言のように言った。
あんまり嬉しそうではない。
でもこんなことを言う人はあまりいなかった。
みんな、戦争に向かって勇ましい気持ちになっているから、すこしでもいやそうなことを言うと、非国民とにらまれる。
私のおとうさんも、「お国のために」「だから今は少々のことは我慢しなけりゃならないのだ」というのが、口癖になってる。 戦争のために国はたくさんのお金が必要だから、いくらあっても足りないのだという。
それで、「ぜいたくは敵だ」が、みんなの合い言葉になった。
「パーマネントはやめましょう」とも言いだした。
おしゃれはいけないの? 私はおしゃれが好きなのに、大人になったら、いっぱいしたいと思っていたのに……。
アメリカの女優さん、シャーリーテンプルみたいにくりんくりんにパーマをかけたい。
ふあんふあんの足首まであるスカートをはいて、きらきらのシャンデリアの下で、踊ってみたいなんて、夢見ていたのに、もちろんだめ。
アメリカの女優さんのまねなんて、とんでもない。 食べ物は贅沢(ぜいたく)品じゃなくても、だんだんと少なくなってきた。
お金は戦車を買うために必要だから、食べ物にはたくさん使えないのだ。
なにごとも辛抱だ。戦争に勝つまでは。
私の好きな、カステラや、ビスケットや、チョコレートがお店に並ばなくなった。
「チョコレートなんて、敵の国の食べ物だ」口ではそんな悪口を言っているくせに、たまにお店に並ぶと、みんなわれ先にとならんで、ちゃっかり買っている。
毎日、たべているお米も配給制になった。
欲しいだけなんて買えない。
私のおとうさんの名前はセイゾウさん、深川(ふかがわ)で骨董(こっとう)屋をしている。
「戦争になる、なるって言いながら、存外、品物が動くんですよ。こんなご時世だから、金持ちは金目のものに換えておきたいんですかねえ」
また、こんなご時世だって……なんでもこの言葉で終わる。
番頭さんや、小僧さんがつぎつぎ招集されて、兵隊さんになったので、セイゾウさんは品物を風呂敷(ふろしき)に包んで、一人でお得意さんまわりをするようになった。
おとうさんの深川のお店は通りに面した古い小さな二階建てだったけど、隣の「洗い張り屋さん」と、その先の「金物屋さん」は主人が兵隊に行ってしまうと、店じまいをして、家族みんなで田舎に移ってしまった。
それでセイゾウさんは空いた店を二つとも借りて、荷物置き場に使っている。
壁に穴をあけて廊下をつけ三軒をつなげたり、へんなところに急な梯子(はしご)をつけたり、おかしな家になった。
かくれんぼするのは最高に面白い。
でも一人でお留守番となると、恐い。
廊下の隅には昔の鎧(よろい)が立っていたり、槍(やり)が壁にかかっていたり、古いお人形さんがガラスケースの中からこっちを見ていたり、だめ、一人じゃ、とってもいられない。
「ええ、いいですよ。イコといっしょに暮らすなんて、わたしはうれしいよ」
タカさんはうきうき。私も文句はない。私の引っ越しはすぐ決まった。
タカさんは、七年前に死んだおじいちゃんと、本郷というところで、仕立て屋さんをしていた。
いまでも、近所の人の注文を少し受けている。
やっぱりこんなご時世だから、絣(かすり)の着物をもんぺにというような、仕立て直しが多い。
それでもたまにかわいい布で洋服の注文なんかもあって、あまり布が出ると、継ぎ合わせて私のシャツなんか作ってくれた。
「なけりゃないで、なんとかなるもんだね」
タカさんの腕は確かで、つぎはぎだらけでも、かわいくって、私は自慢だった。
タカさんのビロードのショールを仕立て直したワンピースを着て、昭和十六年、私は一年生になった。
「国民学校一年 西田イコ 血液型 O型」という布の名札を洋服の胸に縫い付けた。
血液型は、もし空襲にでもあって、怪我をして、輸血が必要になったときのためのものなのだ。 そう、この年から、今までの尋常小学校は「国民学校」と名前が変わった。
「どうして変わったの?」
セイゾウさんにきいたら、
「さあなあ、でも元気がよさそうに聞こえていいじゃないか」と返事をした。
「イコは、国民学校の最初の一年生だぞ」
セイゾウさんは誇らしげに言う。
「こくみ~がっこ~う いちねんせ~い」
私はちょっといばって、歌にして歌ってみた。
(後略)
(『トンネルの森 1945』角野栄子 KADOKAWA 平成27年)
今朝の父の一枚です(^_^)v
タイサンボクを何枚も写していました。
母と一緒にタイサンボクを見ている写真があって、その横に撮影した写真を並べています。
母に報告しているようです。
「ワクチン予約がディフィカルト!」(NHK 5月27日)
パソコンやスマホを使ったことのない高齢者には、ハードルが高すぎますよね!
「リコンファメーション」という言葉なんて知らなかった。
「離婚ファメーション」ってなんのことと思ったくらい。
日本製OS、「TRON」があったのに日米の貿易摩擦でアメリカのいいなりになってしまった。
ソフトの価値を当時の日本の政治家たちは理解できなかったとしか思われません。
ワクチンも国内で研究されていたのに、
ワクチンは「国防」だという認識が欠如していたために外国からの供給に頼っている。
「民度」ではなく「危機管理能力」が低レベルなので、現在の感染爆発を招いたと思います。
「トロン―国産OSが世界標準になる」(読売新聞 2020年10月20日)