2020年12月17日木曜日

霜が降りている

各地の様子を見ていると大雪で大変です。
孤立化している地域もある。
大阪は幸いにも雪は降りませんでしたが、霜が降りていました。
霜が降りる朝は、風があまり吹いていない。

大雪に備える 注意したいポイントは?」(NHK 12月16日)
Shoko EgawaさんのTwitterに

「桜」夕食会、補填分は現金払い 安倍氏側 監査人へ発覚回避か
〈安倍氏側が補填分の記載を回避しようと、26年から現金決済に切り替えたとの指摘も出そうだ。〉
と…っていうか、それ以外考えられないのでは?

「桜」夕食会、補填分は現金払い 安倍氏側 監査人へ発覚回避か〟(産経新聞 12月17日)

産経新聞まで報道するようになりましたか!
岩田健太郎さんのTwitterに

首相「真摯に反省」 5人以上の会食「距離は十分」説明
距離を取るとどうしても声が大きくなる。
だから大人数はダメなのに、理解してないな


首相「真摯に反省」 5人以上の会食「距離は十分」説明〟(朝日新聞 12月16日)

真摯(しんし)」を国語辞典で調べると
他事を顧みず、一生懸命やる様子。まじめ。」(『新明解国語辞典<第四版>』)

ならば「他の方との距離は十分にあった」と言い分けすることないと思うなぁ!
 なかのとおるさんのTwitterに

大幅変更といえば聞こえがいいが、これは完全に泥縄いうやつですがな。
それも建築費は増加。
あのへんちくりんなロゴは、「非中心、非対称」をイメージしたんだと思うけど、ちぐはぐもいいところ。

環状の大屋根に170億円 大阪万博会場、なぜ大幅変更?」(日本経済新聞 12月16日)

2025年までにどれだけ予算が膨らむんだろう…
府民から寄付を募るのかな?
 12月17日
 東京浅草寺(せんそうじ)の羽子板市(はごいたいち)

 正月が近づいた暮のころ、羽子板や破魔弓(はまゆみ)を売る市が立つのは江戸時代からの風習で、庶民のたのしみの一つであった。
 12月17日、8日に浅草寺で羽子板市が立つのは比較的近年のならわしで、深川不動(ふかがわふどう)・神田明神(かんだみょうじん)・湯島天神(ゆしまてんじん)などでも開かれる。
 元禄のころにできた『江戸惣鹿(えどそうが)の子(こ)』には「一二月二六日より三〇日まで弓矢・羽子板売るなり。中橋、尾張町(おわりちょう)一丁目、十間棚、神明前、糀町(こうじまち)四丁目、浅草かや町」と記されており、こうした場所では雛市(ひないち)やのぼり市も立ち、江戸風物としてなくてはならないものとして庶民に親しまれた。
(『カレンダー日本史 岩波ジュニア新書11』永原慶二編著 1979年)
浅草寺(せんそうじ)」(錦絵でたのしむ江戸の名所 国立国会図書館)

“鐘は上野か浅草か”<時の話題>」(NHKアーカイブス 1946年)

三省堂 年中行事事典(旧版)』より「年の市」について転記しますφ(..)
正月の行事
 年(とし)の市(いち)

 年末に正月用品を売るために立つ市で、歳の市とも書き、暮市・節季市などともいう。
(『三省堂 年中行事事典(旧版)』田中宣一、宮田登 編 三省堂 1999年)
 江戸の年の市

 江戸では暮になると各地に年の市が立った。
12月14日・15日の深川八幡宮の市がはじまりで、17日・18日の浅草の市は規模が大きく、江戸第一の市であった。
『東都歳時記』には、浅草の市のにぎわいの様子を、店は浅草寺(せんそうじ)の境内はもちろん、南は駒形から御蔵前通り浅草御門まで、西は門跡前から下谷車坂町、上野黒門前に至る範囲に出たと記している。
これらの店で売っているものは、注連(しめ)飾り・破魔弓・手毬(てまり)・羽子板などの飾り物や縁起物で、売り声があたりに響き、これらの品々を買い求める人々は天候にかかわらず、また昼夜の別なく集ってきたという。
翌19日には同じ浅草寺雷門の門前で蓑(みの)市が開かれる。
続いて20日・21日は神田明神の年の市であった。
『武江年表』の寛永3(1626)年12月の項には「十四日・十五日神田社年の市始まる。浅草市へ障るゆゑとて、後年二十日、二十一日に改む」という記述がみられることから、神田社の市も、もとは14日・15日に開かれていたことがわかる。
さらに22日・23日には芝神明宮(現在の芝大神宮)、24日は芝愛宕権現(現在の愛宕神社)でも開かれた。
この愛宕権現の年の市の様子は『東都歳時記』に「浅草に続て大市なり、遠近の商人こゝに集ひ、参詣の老若通り町は芝の辺より日本橋迄の賑ひ也」と記されているように多くの人々が集まった。
25日・26日には平河天満宮(現在の平河神社)で年の市が立った。
これ以後は辻々・川岸・広場などに松竹を並べて売ったり、仮屋を建てて注連飾り・歯朶(しだ)・譲葉(ゆずりは)・海老(えび)・搗(か)ち栗(ぐり)などを商った。
また、28日には薬研堀(やげんぼり)不動尊で年の市が立つ。
大晦日の市は捨てるように安売りするので、捨市とも呼ばれ、人々はこの日を待って買い物をした。
年の市で売られるものが『絵本江戸風俗往来』に記されている。
その中の主なものをあげてみると、木の皿・鏡餅の台・三方・橙(だいだい)・海老・羽子板・凧(たこ)・餅の焼き網・火箸(ひばし)・箒(ほうき)・ちり取り・雪搔き・暦などで、正月用品をはじめ、遊び道具・日用品など多彩である。
 ガサ市と羽子板市

 地域名ではなく、人気商品の名で呼ばれる年の市もある。
浅草では、注連飾りを扱う人たちは年の市のことをガサ市と呼んでいる。
この名のおこりは、注連飾りはとてもガサつくものであるし、さらに取り扱うときにガサガサ音がするところからきているといわれる。
この市では、玉飾り・大根じめ・輪飾りをはじめとして注連飾りを売る店が中心であるが、そのほかにも正月用の品々を売る店も軒を並べる。
若水を汲む桶(おけ)・七草を刻む俎(まないた)・菜箸や雑煮箸なども売られており・こうした縁起物を客は値切ることなく言い値で買い求めていく。
 浅草寺の年の市は、古くから押絵羽子板を売る市でもあった。
第二次大戦後になって羽子板を売る店が多くなり、年の市の主役になってしまった観がある。
初正月を迎える男の子には破魔弓を、女の子には羽子板を贈るという風習によって羽子板は人気をえてきたようである。
羽子板はもっぱら飾りものとして、その絵の図柄に関心がもたれ、今日では歌舞伎役者などの似顔絵だけではなく、若い人たちに人気のある歌手やタレントをあしらった図柄が登場するようになった。
また、大きさも30センチほどのものから1メートルをこえる特大の羽子板まで売られている。
羽子板の値段は売り手と買い手とのかきひきによって決められ、交渉が成立すると威勢のいい「お手を拝借」で手締めが行なわれる。
 各地の年の市

 鳥取県赤碕(あかさき)町の年の市は荒神市と呼ばれ、暮の28日に立つ。
この市では昆布・数の子・するめ・鰤(ぶり)などが売られる。
これらの品々を買って家に帰ると、まず年神に供え、それから台所の隅に吊るしておく。
富山県福野町では、27日に三百ほどの店が路上に並び、葱(ねぎ)・牛蒡(ごぼう)をはじめとする野菜や、臼・杵・天神様の掛け軸・注連縄などの正月用品が売られる。
この年の市では正月用品だけでなく越冬用の野菜も買い求められる。
 東北地方では年末に開かれる市のことを詰市(つめいち)と呼んでいる所がある。
たとえば福島県磐城(いわき)地方や岩手県陸前高田市などにその名がある。
また青森県三戸(さんのへ)地方ではツメマチと呼んでいる。
このツメというのは年の暮を意味する言葉で、東北地方では広く使われている。
一方、山口県長門地方では斎満市(さいみていち)という名がある。
ミテルというのはしまいになることで、年間の立つ市のうちで最終のものということである。
(『三省堂 年中行事事典(旧版)』田中宣一、宮田登 編 三省堂 1999年)
今朝の父の一枚です(^^)v
久しぶりに山に登りました。
母と一緒に登った時のことを思い出していたそうです。