今日は「山の日」ですが、本来は11日。
11日になった理由は、谷垣禎一氏の尽力があったみたいです。
谷垣氏がケガをしなかったら与党はもっとましだったのではと思うのは私だけかな?
〝8月11日「山の日」とは一体何をする日なのか〟(太田彩子 東洋経済 2017年8月11日11)
羽海野チカさんのTwitterに
除菌をしようとアルコールを手ゆびにつけることが増えたのですが、
キッチンでふと「これ気をつけないとアルコールがついてる手に火がうつることもあるかも…」と思いました
夏は花火をしたり、お盆でお線香やロウソクに火をつける事があったりするとおもうので
みなさんもどうぞ気をつけて
とあり、返信欄に紹介されていた記事と動画
〝火気厳禁…? 新型コロナで使用増えた「アルコール消毒液」、引火可能性は?〟(otona×answer 2020.03.26)
「【松戸市消防局】アルコール 使用方法 気を付けて」(YouTube)
8月10日
御成敗式目(ごせいばいしきもく)が制定された。 1232(貞永<じょうえい>元)年
執権北条泰時(やすとき)は御家人の義務をはっきりさせたり裁判の公平をはかったりするために、法の制定に着手した。
起草には評定衆(ひょうじょうしゅう)のうち法律に明るい太田康連(やすつら)らがあたった。
そしてこの日、御成敗式目51カ条が完成した。
これは初め「式条」とするはずであったが、それでは大げさなように思った泰時が「式目」と改めたのである。
神社を修理し祭祀(さいし)に励むべしという第一条から始まる式目は、武家社会の道理や先例にのっとって、文字のよめない武士にも分かるようにという意図で定められた。
この式目とその立法の主旨は書き写されて諸国の守護に送られ、国中の地頭・御家人に知らされた。
(『カレンダー日本史 岩波ジュニア新書11』永原慶二編著 1979年)
「北条氏による執権政治」(小学6年 動画)
『story 日本の歴史―古代・中世・近世史編』より「式目の世界」を転記しますφ(..)
3 式目の世界
制定の趣旨・内容
1232(貞永元)年、御成敗式目51カ条を制定した執権北条泰時は、弟の六波羅探題(ろくはらたんだい)重時(しげとき)に宛てた手紙(消息)のなかで、その制定理由を次のように述べる。
「このたび制定した式目は、たしかに、漢籍の文を典拠(てんきょ)にしたわけではない。われら武家社会の道理(どうり)を書き記(しる)したものだ。人の高下(こうげ<地位・身分>)によらず、公正な裁判が行われるためにこの式目を制定した。式目には、多少、律令など公家社会の法とは異なるものもある。しかし、決してこれらを変更・否定するものではない。京都の公家などで誹謗・非難する者があったら、この趣旨を心得て問答(もんどう)をしてくれ」(「北条泰時書状」より)。
(『story 日本の歴史―古代・中世・近世史編』日本史教育研究会 山川出版社 2001年)
制定にあたって泰時は、古今東西の法律を検討したという。
条文の表記、配列などは公家社会の法を参考にしているが、内容は、武家社会の道理・慣習、「右大将家(うだいしょうけ<頼朝>以来の先例(せんれい)」を明文化した独自のものである。
式目はまた、幕府の法制担当者だけに秘蔵されるものではなく、書写(しょしゃ)してひろく地頭(じとう)・御家人(ごけにん)に周知徹底させた発布法(はっぷほう)であった。
今に残る御成敗式目51カ条は、もともと別の51カ条(原形)があって、後に新たに16カ条を追加する際、51カ条(原形)を35カ条に圧縮(統合・整理)したとする説が有力である。
内容
1条で神社の祭祀(さいし)を専(もっぱ)らにすること、2条で寺塔(じとう)の仏寺を尊崇(そんすう)するように説(と)く。
3・4条では守護の職務(大犯<だいぼん>3カ条など)・義務を示し、5条では地頭が年貢を不当に抑留(よくりゅう)することを禁じている。
6条では、「国司や領家(りょうけ<荘園領主>)の成敗(せいばい)について、幕府は口出しをしない」と、朝廷や荘園領主への不干渉を明言している。
7条・8条では裁判の二大原則が示されている。
7条は不易法(ふえきほう)と呼ばれるもので、「右大将家(源頼朝)以後代々の将軍と二位殿(にいどの<四代将軍頼経(よりつね)を後見<こうけん>した北条政子)の時に拝領(はいりょう)された所領(土地)を、もとの知行者(ちぎょうしゃ)がその知行権を主張した場合、基本的に現在の知行者の権利が認められる」とするもんであり、8条は不知行年紀法(ふちぎょうねんきほう)と呼ばれるもので、「幕府から公的に認められたものでなくても、所領を知行して20年間過ぎれば、大将家(頼朝)の例によって、その知行者は改替(かいたい)されない」とするものである。
刑事法関係では、重いものから比較的軽いものの順序で列記(れっき)する。
謀叛人(9条)、殺害刃傷(にんじょう <10条>)、夫の罪科(ざいか)によって妻女(さいじょ)の所領は没収されるかどうか(11条)、盗賊・悪党を所領内に隠し置くこと(32条)、強盗、窃盗、放火(33条)、他人の妻との密通(34条)、悪口(あっこう)の咎(とが<12条>)、殴人(おうじん)の咎(13条)、代官の罪科が主人におよぶかどうか(14条)、謀書(ぼうしょ)の罪科(15条)、承久合戦(じょうきゅうかっせん)時の没収地ののこと(16条)、承久合戦時の上皇方となった父あるいは子を持つものについて(17条)などを載せる。
家族法関係では、所領を女子に譲与(じょうよ)した後になって不和が生じた場合、親がその所領を悔(く)い還(かえ)す(取り戻す)ことができるかどうか(18条)、主人に忠勤(ちゅうきん)を尽くして所領・諸識(しょしき)を譲り受けたものが、主人の子孫に「和与(わよ)の物」と主張して反抗すること(19条)、譲状(ゆずりじょう)を得た後、その子が父母に先んじて死去した場合の相続について(20条)、妻や妾(めかけ)が夫から譲られた所領を、離別されたあとも知行できるかどうか(21条)、父母が所領を配分する時、成年の子息(しそく)に譲与(じょうよ)しないことがあってよいかどうか(22条)、子のない女人(にょにん)が所領を養子に譲り与えることは、頼朝以来の先例(せんれい)として認められていること(23条)、夫の所領を譲り得た妻が、その後再嫁(さいか)した場合の所領の知行について(24条)、関東の御家人が公卿(くぎょう)や殿上人(でんじょうびと)を婿君(むこぎみ)として所領を譲ったことによる公事(くじ)の減少について(25条)、所領を子に譲り、安堵(あんど)の御下文(おんくだしぶみ)を給(たま)わった後、親がその所領を取り戻して他の子に譲与すること(26条)、未処分跡(みしょぶんぜき)のこと(27条)などを載せる。
訴訟法(そしょうほう)関係では、虚偽を述べて讒訴(ざんそ)をすること(28条)、担当の奉行人(ぶぎょうにん)をさしおいて別人(べつじん)に訴訟をすること(29条)、審理をおえたものが、幕府の判決をまたずに有力者の援助を得ること(30条)、奉行人(裁判担当者)がえこひいきをしていると訴えること(31条)、たびたび召文(めしぶみ<裁判の召喚状(しょうかんじょう)>)を受け取りながら参上しない罪科(35条)などを載せる。
中世法のなかの式目
式目以降、新たに制定された追加法を式目以来追加(しきもくいらいついか)という(今に残る36条以下の条文ももとは追加法だと思われる)。
幕府の裁判では、式目、追加、判例(先例<せんれい>、傍例<ぼうれい>)が重視された。
これら幕府法は、得宗(とくそう)・御内人(みうちびと)の専制に対抗する手段として、泰時の時代の合議政治を理想とする御家人層によって強く守られた。
このため、次の室町幕府でも御成敗式目は武家社会の基本法典とされ、さらには『庭訓往来(ていきんおうらい)』とともに庶民の読み書きの手本書として活用されるなど、中世に長く、しかも広い階層に密着していった。
16世紀の石山本願寺法主(ほっす)証如(しょうにょ)も、謀書の罪を犯した犯人を死罪に処す際、式目15条が同罪を遠流(おんる)と規定しているため、執行を躊躇したという。
(『story 日本の歴史―古代・中世・近世史編』日本史教育研究会 山川出版社 2001年)
朝から30度を超えて厳し暑さになりましたね…
「残暑見舞い」という生易しいものではないですね(^-^;
これから「猛暑見舞い」とか「酷暑見舞い」が必要になるのではないかな…
明日、明後日と歯科と循環器科の受診があるので二日間、リハビリ散歩を休みます。
「午前中から36度超の猛暑日」(関西NHK)